- 看護
「看護のアジェンダ」20年の思索の行方
対談・座談会 井部俊子,佐々木菜名代,矢野理香
2026.06.09 医学界新聞:第3586号より
2025年12月に最終回を迎えた本紙連載「看護のアジェンダ」は,2005年の連載開始当初から一貫したコンセプトを掲げています。それは「看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示すること」です。掲載された回数は,なんと251回。著者である井部俊子氏の言葉に影響を受け,自身の実践を省みた経験のある読者も数多くいることでしょう。
このたび,2016年に発行された書籍化第1弾に続き,連載の後半が『看護のアジェンダ2』(医学書院)として上梓されました。看護の本質に立ち返り,新たな視点を常に提示してきたこの20年間の思索の行方とは。愛読者である佐々木氏,矢野氏が井部氏を囲み,看護界ひいては医療界へ向けた議論を展開しました。
井部 お集まりくださりありがとうございます。日頃から連載「看護のアジェンダ」(以下,「アジェンダ」)をご愛読いただき,連載内でも登場していただいたことのある佐々木さんと矢野さんと共に,本日は議論をしたいと思います。
知らず知らずのうちに染まる「現場の常識」に抗う
佐々木 収録に当たって「アジェンダ」を読み返しました。私の一番好きな展開は,患者さんや看護師のあるある事例が共有された後で,文献に基づきながら考察をしていくパターンです。単なる事例紹介にとどまらず,文献による考察で議論に深みが出てくるのが,「アジェンダ」の面白いところと言えます。
特に印象深いのは,キャリア論に一石を投じた第122回「キャリアははしご(ラダー)ではなくジャングルジム?!」(本紙3114号)です。当時その内容に強く影響を受けて,自身のキャリアを見直すきっかけとなりました。こうして影響を受けたのは私だけではないはず。掲載当時から約10年が経過し私自身の立場も変わり,今改めて読み返してみると,別の角度での気づきを得られる機会ともなりました。井部さんの文章は,なぜこんなにも人々に元気や勇気を与えてくれるのか。読み返しながら「その魅力は何なのだろう」と考えていました。
矢野 私の「アジェンダ」との出会いは,認知症患者への入浴介助について記された論文を紹介しながら,高齢者へのかかわり方に対して問題提起がなされた第18回「入浴を介助するナースへ」(本紙2688号)です。この回だけでなく,連載を通じて井部さんが看護の原点に立ち返って問題提起する内容を読んで,「井部さんも臨床現場では当たり前とされているケアに対して同じような疑問を持っている」とわかったことは,私にとって衝撃であり,エールとなりました。そうした問題提起の中には,自分も違和感を抱いていなかった事項が含まれていることもあり,知らず知らずのうちに現場の見方に染まっていたのかもしれません。もっと患者さん目線で日々のケアに当たるべきだと,その都度省みました。
佐々木 患者さんの視点を優先することに異論のある方はいないと思いますが,働いていると医療者側の視点が優先されている場合も多いです。「アジェンダ」を読むたびに,「やっぱり患者さんの視点を意識すべきだよね」と何度も引き戻されます。実際,「アジェンダ」に影響を受けて,院内の体制を変更したこともあります。
井部 どのような事例でしょうか。
佐々木 当院では,訪問看護への出向事業をきっかけに,一部の病棟で訪問看護師に退院支援カンファレンスへ毎週参加してもらうようになりました。すると,転院調整がスムーズになったことはもちろん,「どうすれば自宅で生活できるかを検討すれば,ほとんどの患者さんが在宅復帰できますよ」という訪問看護師の一言で,立位ができなければ帰宅は困難ととらえていた多くの病棟看護師のマインドに変化が見られるようになったのです。
井部 「意思決定支援」として立派なことを掲げている施設は多いものの,実際にカンファレンスに同席してみると,全く実現できていない施設は少なくありません。訪問看護師の参加をシステムとして体制に組み込んだ佐々木さんの手腕は素晴らしいです。
佐々木 訪問看護師の一言によって病棟看護師の目の色が変わった瞬間を今でも覚えています。「この先どうしたいですか?」と患者さんの意思を聞き,ケアプランへ反映するように院内のマインドが変化をしていきました。看護の本質に立ち返る良い契機になりましたね。
「アジェンダ」を起点に思考発話する面白さ
矢野 先日,本学2年次の看護学概論の授業で,手術をした男児の父親の語りを通じて医療者の日常と患者の非日常のすれ違いが論じられた第181回「息子の手術と父親の経験」(本紙3356号)を取り上げました。「どんな医療を求めていたのかを当事者の視点に立って考えてみよう」と学生に投げかけてみたところ,ある学生が「筆者は父親の語りを参考に書いているけれども,息子の考え全てを父親が把握できていない可能性があるのではないか」と指摘したのです。確かにその通りかもしれないと思い,同回で描写されていた「ストレッチャーに正座したまま微動だにしなかった」「飲食禁止となる直前にほとんど水を飲まなかった」という男児の様子をピックアップし,これらは彼からのどのようなメッセージだったのだろうかと議論を深めていきました。
井部 それは貴重な視点ですね。この回の元となるエピソードを伺った当時の私は,息子自身がどう感じていたのかまでには思い至らなかったですから。
矢野 父親の声が全てだと思ってしまいますよね。でもその学生は,「筆者はわかっているように書いているが,子どもの声を聞いていないじゃないか」と批判的に読み取ったのです。当該の回が伝えようとしたであろう内容とは少し違った切り口で,当事者のひとりは子どもであり,その行動から理解できることは何か,どうしてほしかったのかという視点に議論が広がっていく様子を目の当たりにし,クラス全体で思考発話する面白さを改めて感じました。
井部 思考発話において引用されるタナーの理論の背景には「Thinking like a nurse(看護師のように考える)」という考えがあります。私はその考えに少し抵抗があるのです。以前,緩和ケア病棟に学生を連れて行った際,死の場面に直面して葛藤を処理できず気分を...
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井部 俊子(いべ・としこ)氏 聖路加国際大学 名誉教授/株式会社井部看護管理研究所 代表
聖路加看護大卒業後,聖路加国際病院勤務,日本赤十字看護大講師ののち,聖路加国際病院看護部長・副院長,日本看護協会副会長を歴任。その後,聖路加看護大教授,聖路加看護大学長(聖路加国際大学に改称),長野保健医療大副学長・看護学部長を経て,現職。博士(看護学)。著書に『看護という仕事』(日本看護協会出版会),『マネジメントの探究』(ライフサポート社),『看護のアジェンダ』(医学書院),編著に『現象学でよみとく専門看護師のコンピテンシー』(医学書院),『実践家のリーダーシップ』(照林社)など。

佐々木 菜名代(ささき・ななよ)氏 浜松医科大学医学部附属病院 副病院長/看護部長
愛知県立看護短大卒業後,病院勤務を経て1995年聖路加看護大に編入学。2002年には聖路加看護大大学院修士課程に進学する。厚労省医政局看護課,三宿病院,川崎市立多摩病院に勤務し,看護師長,教育担当副部長,医療安全管理室副室長(医療安全管理者)を務めた。14年聖路加看護大大学院博士課程を修了。博士(看護学)。19年より現職。

矢野 理香(やの・りか)氏 北海道大学大学院保健科学研究院基盤看護学分野 教授
北海道大学医療技術短大看護学科を卒業後,看護学を深く学びたいと考え聖路加看護大に編入学。同大修士,博士課程に進学。天使大看護栄養学部講師,北大大学院保健科学研究院講師,准教授を経て2017年より現職。博士(看護学)。現在は北大の副理事としてダイバーシティ・インクルージョン推進本部の副本部長も兼務する。
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