看護のアジェンダ
2005年から続く「週刊医学界新聞」の人気連載、待望の書籍化
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著 | 井部 俊子 |
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発行 | 2016年09月判型:A5頁:372 |
ISBN | 978-4-260-02816-5 |
定価 | 2,750円 (本体2,500円+税) |
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序文
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序
本書『看護のアジェンダ』は,「週刊医学界新聞」看護号(医学書院発行)に連載したものを,基本的に連載の順番に並べ,単行本としています。看護のアジェンダの第1回は,2005年1月24日に書いていますから,かれこれ11年間連載していることになります。この間,1回も休まず連載を続けてきたのは我ながらあっぱれというべきでしょう。
連載の主旨は「看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示」することでした。第1回の看護のアジェンダは,厚生労働省『「痴呆」に替わる用語に関する検討会』の委員として参加した時の経験を書いたものです。現代では「痴呆」という“病者の王国”は滅亡し,「認知症」という用語が普及しました。専門用語と専門家集団との関連も論考していて,当時の自分の意気込みが生き生きとよみがえります。
「週刊医学界新聞」3000号(2012年10月29日付)の読者アンケートでは,看護のアジェンダについての感想がダントツに多かったと編集者が伝えてくれました。「再就職して1年たちます。10年ぶりの臨床に戸惑い,悩み,自己嫌悪の毎日ですが,“看護のアジェンダ”は楽しみに読ませていただいています。いろいろな角度で身近な話題をからめての文章,わかりやすくて大好きです」「(看護のアジェンダが)面白い内容の時はコピーして,看護職員に配布して読んでもらっています。今後も楽しみにしていますのでがんばって下さい」「看護のアジェンダは,何というか痛快な読み応え感があり,管理者をめざしている者として,考え方を見習うことが多いステキなコーナーです。とても参考になっています」や,「面白さに病み付き」になった人まで,たくさんのファンレターに励まされました。
もっとも,この頃書いた『「村上ラヂオ」の涼風』で村上春樹を引用して,「相手が何を思うかなんてとくに考えずに,自分の書きたいことを,自分が面白いと感じることを,好きなように楽しくすらすら書いていれば,それでいいじゃないか」という記述に共感しています。
看護のアジェンダの原稿は,毎月20日を過ぎる頃から執筆にとりかかります。といってもテーマを決め,書き出しの一文が舞いおりてくるまでに数日を要します。テーマを早い時期に決めて,文献を調べたり,取材をすることもありました。看護を中心として考える日常は刺激的であり,書くことに困ることはありません。原稿はおよそ1週間で完成することになります。大学の教員は夜勤がないので,看護のアジェンダを執筆することは私の規則正しい生活リズムに組み込まれています。
長い連載期間,最初の読者として,原稿を洗練して下さった「週刊医学界新聞」編集室の中嶋慶之さんとのコンビは快適でした。そして,それらの原稿すべてに目を通し本に仕上げて下さった七尾清さんに,心からの感謝を申し上げます。
2016年盛夏
井部 俊子
本書『看護のアジェンダ』は,「週刊医学界新聞」看護号(医学書院発行)に連載したものを,基本的に連載の順番に並べ,単行本としています。看護のアジェンダの第1回は,2005年1月24日に書いていますから,かれこれ11年間連載していることになります。この間,1回も休まず連載を続けてきたのは我ながらあっぱれというべきでしょう。
連載の主旨は「看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示」することでした。第1回の看護のアジェンダは,厚生労働省『「痴呆」に替わる用語に関する検討会』の委員として参加した時の経験を書いたものです。現代では「痴呆」という“病者の王国”は滅亡し,「認知症」という用語が普及しました。専門用語と専門家集団との関連も論考していて,当時の自分の意気込みが生き生きとよみがえります。
「週刊医学界新聞」3000号(2012年10月29日付)の読者アンケートでは,看護のアジェンダについての感想がダントツに多かったと編集者が伝えてくれました。「再就職して1年たちます。10年ぶりの臨床に戸惑い,悩み,自己嫌悪の毎日ですが,“看護のアジェンダ”は楽しみに読ませていただいています。いろいろな角度で身近な話題をからめての文章,わかりやすくて大好きです」「(看護のアジェンダが)面白い内容の時はコピーして,看護職員に配布して読んでもらっています。今後も楽しみにしていますのでがんばって下さい」「看護のアジェンダは,何というか痛快な読み応え感があり,管理者をめざしている者として,考え方を見習うことが多いステキなコーナーです。とても参考になっています」や,「面白さに病み付き」になった人まで,たくさんのファンレターに励まされました。
もっとも,この頃書いた『「村上ラヂオ」の涼風』で村上春樹を引用して,「相手が何を思うかなんてとくに考えずに,自分の書きたいことを,自分が面白いと感じることを,好きなように楽しくすらすら書いていれば,それでいいじゃないか」という記述に共感しています。
看護のアジェンダの原稿は,毎月20日を過ぎる頃から執筆にとりかかります。といってもテーマを決め,書き出しの一文が舞いおりてくるまでに数日を要します。テーマを早い時期に決めて,文献を調べたり,取材をすることもありました。看護を中心として考える日常は刺激的であり,書くことに困ることはありません。原稿はおよそ1週間で完成することになります。大学の教員は夜勤がないので,看護のアジェンダを執筆することは私の規則正しい生活リズムに組み込まれています。
長い連載期間,最初の読者として,原稿を洗練して下さった「週刊医学界新聞」編集室の中嶋慶之さんとのコンビは快適でした。そして,それらの原稿すべてに目を通し本に仕上げて下さった七尾清さんに,心からの感謝を申し上げます。
2016年盛夏
井部 俊子
目次
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1.「痴呆」から「認知症」へ 2.辞める新人看護師たち 3.看護界の負の遺伝子 4.The Notebook 5.健康は平和の道具 6.組織のミッション 7.ホーソン工場の実験 8.管理責任をとるということ 9.われわれがアサーティブになれない理由 10.ぬくもり 11.「2対1看護」の真相 12.薬剤師のいない病院の夜 13.看護の実力 14.「先生」のひしめく病院社会 15.病院幹部の院内巡回 16.結束のかたち 17.必読文献 18.入浴を介助するナースへ 19.「かんじゃさま」再考 20.学生たちの学習能力 21.「血圧はどうなの?」 22.神は細部に宿る 23.マネジメントの名著論文に学ぶ 24.美しい死 25.最期の場所の選択 26.「疲れたから辞める」をなくそう 27.古くて新しい「患者中心」 28.文体の魅力 29.奇妙なカップル 30.Fall(転倒・転落)防止プログラム 31.拝啓 朝ズバッ!みのもんた様 32.麻原教授の憂うつ 33.巨大な訪問看護サービス事業 34.事件は現場で起きているんだ 35.Nurses Must Be Clever to Care 36.文明と看護 37.介護における看護リーダーたちへの期待 38.かんほれん 39.訪問看護の復権 40.「看護」の語り方 41.終末期の大冒険 42.大丈夫な日本をつくるために 43.再考『これからの看護』 44.母の最後の日 45.ある議員立法の禍根 46.うれしい手紙 47.退院すると,良くなるね 48.医療専門職の防御服 49.素敵な無駄遣い 50.骨太の指摘 51.事始(ことはじ)め 52.承認 53.実習への序章 54.南アフリカ・ICN4年毎大会紀行 55.爪切り事件第一審判決 56.「やさしい」看護とは何か 57.看護の未来予想 58.みんなで生きるために 59.看護の力 60.牛の鈴症候群 61.日本の看護師国家試験合格への努力 62.顧客は誰か 63.動議 64.恐竜絶滅後,なぜほ乳類は生き延びたか 65.「看護業務基準」の価値 66.存在の耐えられない軽さ 67.「看護学雑誌」第1巻1号の意気込み 68.妨げられた平穏死 | 69.「Professional Writing」再び 70.親愛なるヤコブ牧師様 71.看護師の夜勤への警告 -「日勤-深夜」「準夜-日勤」「16時間夜勤」 72.災害後に生じる罪悪感について 73.語り継ぐことを。 74.看護という現象 75.新・日本看護協会 76.回診の流儀 77.遠野で聞いた物語 78.Team-Based Learningの試行 79.管理者が知っておきたい被災地支援者ケア 80.医療安全と医療者のセルフケア 81.健康日本21と保健師のミッション 82.代理決定支援における「新しい仕事」 83.自分に貼られたレッテルをはがす 84.パリのナースの勤務 85.看護界の異変 86.大学のカタチ 87.メルケル首相の意思決定 88.論考「迷惑な夫たち」 89.「村上ラヂオ」の涼風 90.「静かなリーダー」に学ぶ 91.みんなで作る勤務表 92.清水さんの入院経験 93.「座長」談義 94.駒野リポート-病いの克服 95.医療安全とノンテクニカルスキル 96.行き過ぎた気遣い 97.学長の式辞 98.人手不足を患者に伝えるべきか 99.「認定看護師」はジェネラリストで 100.社会保障制度改革国民会議の議論 101.「起立,礼」に関する考察 102.看護と哲学のコラボ 103.こんなことが起こっています 104.日本看護サミット 105.20年の執着 106.サルの罠 107.洗濯物の記憶 108.哲人と青年の対話-目的論と決定論 109.ノートをとる 110.検閲とお姉さん 111.にが笑いの反動 112.管理者のコンピテンシーを磨く 113.しんちゃんの生涯 114.松山城と地域包括ケア 115.クリーブランド・クリニックの実践 116.感心した話 117.受講生からの贈りもの 118.キャリアははしご(ラダー)ではなく ジャングルジム!? 119.セルフケアと自助・共助 120.「ユマニチュード」が聖路加に来た日 121.世界を学ぶ 122.ラストメッセージ -中西睦子先生の死を悼む 123.政策の窓 124.文体のレッスン 125.トピック・センテンス 126.2015年9月2日の体験 127.人が患者になるとき,患者が人になるとき 128.現代のチーミング 129.顧客の期待と失望 130.看護教育のカリキュラム改革 131.患者に寄り添わない会話 132.入院時のチェック 133.実践のプラットフォーム |
書評
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時代とともに歩んだ看護の変遷と,改めて看護を社会に発信するヒント集(雑誌『看護教育』より)
書評者: 丸尾 智実 (甲南女子大学看護リハビリテーション学部 看護学科 准教授)
本書は著者が11年にわたって「週刊医学界新聞」看護号(医学書院発行)に連載してきた内容をまとめたものである。2005年から書き続けられてきた「看護・医療界の‘いま’を見つめ直し,読み解き,未来に向けた検討課題を提示」してきた内容は,時代とともに看護がどのように変遷をしてきたのかを改めて考えることができる。
本書を読み始めたとき,私はガツンと頭を叩かれたような大きな衝撃を受けた。なぜなら,2~3ページにまとめられている短い文章には,著者の幅広い語彙力,知識,知識に裏付けられた根拠,それらに基づいて導き出された力強いメッセージが散りばめられているからである。正確には,著者が読者に力強いメッセージを伝えるために,著者のもつ膨大な語彙力や知識が駆使されているのかもしれない(これは,著者が本書で「自分の書きたいことおもしろいと感じることを好きなように楽しくすらすら書いていればそれでいい」という村上春樹氏の言葉を引用した心境とは異なるかもしれないが)。そして,読み物であるはずなのに,明朗な論文を読んでいるような感覚にさえなる。
と言っても,本書は堅苦しい言葉で書かれているものではない。その話題は,その時代の最新の情報,臨床での出来事,海外の動向,書籍や映画,著者の経験(私生活を含む)といったものである。そのなかでも,何度か繰り返し取り上げられている内容がある。それは,看護職の役割や特性,多職種との協働,顧客としての患者,看護管理などである。例えば,‘人生の価値を問う’看護職の役割として,「10.ぬくもり(2005年10月24日)」では,新聞に投稿されたある記事が取り上げられている。それは,自殺未遂を図った投稿者が看護師とのやり取りを通して新たな希望を見出そうとする内容であった。著者は,その記事の内容に触れ,看護職が毎日淡々とこなしているようにみえる一連の業務において,看護職の心は常に患者と誠実に向き合い,それらが患者・看護職の両者の間に‘暗闇を溶かす「光」’として伝播されていること,そして,このような偉大な仕事を気負うことなく行っている臨床ナースたちにエールを送りたい,と述べている。これは,本書のほんの一部の内容であるが,他のすべての内容において,著者の看護職としての自負心と私たち看護へのエールが込められているように感じてならない。
そして,特に強く印象に残っているのは,本書の帯にもなっている「看護が社会に認知されないのは,非可視性と可視性の問題ではなく,看護職の発言と沈黙の問題である」という言葉である。本書を読むと,まさに自分が実践してきた看護,大切にしている看護を誰かに語りたくなった。できれば,看護の役割を広く社会に周知する発言として。そんな決意を新たにする1冊であった。
(『看護教育』2017年4月号掲載)
看護師という“メチエ”,その拡がりと奥行きと複雑さを一望
書評者: 村上 靖彦 (阪大大学院教授・現象学)
本書は「週刊医学界新聞」に長期にわたって連載された「看護のアジェンダ」を一冊にまとめたものである。2005年1月24日号から2016年6月27日号まで,133本のテキストから成るアジェンダである。
医療者ではない評者が一読したときの驚きは話題の多様さにある。患者の経験,看護の実践,看護師の教育,マネジメント,法改正,日本の看護制度の歴史,海外での医療の動向,文章の書き方,そして著者自身の母の看取りまで主題は多岐にわたる。そして例に挙げるトピックも,映画や村上春樹のエッセイ,著者自身が見聞きしたこと,さまざまな統計資料や法律の文言といった広がりを持つ。
こうして,看護師というメチエ(専門職)の拡がりと奥行きと複雑さを読者は一望することになる。133本のテキストが織りなす織物ゆえに,ミクロの視点から俯瞰する視点に至る多様な切り口で,本書は看護の世界とその魅力を巨大なプリズムとして描き出している。おそらく看護の外にいる人たちは,看護がこのように多面的な職務であることを知らないし,これを描き出すことができるのは著者をおいて他にはないのであろう。
そして多様な話題をたどることで,逆に著者が一貫した主張を持っていることにも気付く。患者の尊厳を中心にして看護を考えること,そして一人ひとりの看護師が自発的に考え実践し発言していくこと,この二点について看護師を励ますために本書は書かれている。これは著者自身が本書を通して実践してきた営みでもある。そして本書において何よりも魅力的なのは,著書が自分で見聞きした出来事を描写する場面である。ミクロな視点が巨視的な知性に支えられ,それが「自分の言葉」になっていることがわかるのだ。
最後に私が気に入った一節を引用したい。被災地にはためく洗濯物に,日常の回復を感じる描写に続く場面である(『107.洗濯物の記憶』2014年3月14日)。
「一人暮らしをしていた私の母が89歳で亡くなり,6年が経つ。母が地方での一人暮らしを続けるのはこれでおしまいにしなくてはいけないと,私を決断させたのも,洗濯物である。
東京で忙しくていた私は,月に1回の訪問で母と会話し,母の様子を見ていた。母はだんだんともの覚えが悪くなってきていた。敏感な母は,ある日,「私の頭が崩れていきそうだ」と言った。
そんなとき,町の訪問看護師として,母の自宅の前を往き来していた山田さんが電話で,このごろ洗濯物が干されていないと私に教えてくれたことがあった。「きちょうめんなお母さんの家の前には,いつも洗濯物が出ていたんですよ」と言う。母が,日常の生活を一人でするのに限界があることを私が悟った瞬間であった。それとともに,訪問看護師の観察力に感動を覚えた。
都会の集合住宅では,ベランダに干す洗濯物は外部から見えないようになっており,広場に洗濯物がひるがえる光景を見かけることはほとんどない。しかし,私は被災地の人々の生命力をはためく洗濯物で感じ,母の一人暮らしに終止符を打とうと決めた洗濯物の記憶を大切に保存している。」
「日常の言葉」で語られる看護,職場討論の題材に最適
書評者: 川嶋 みどり (日赤看護大名誉教授/健和会臨床看護学研究所長)
連載中にそのほとんどを通読したはずだったが,あらためてページを繰ると,日本の看護界のトップリーダーのひとりでもある著者の人間性が随所にあふれる本書の魅力をまず感じた次第である。11年の長期連載で,年次別に並ぶ133の目次はあまりにも多彩であり,それらに含まれている「看護のアジェンダ」がそれぞれ自己主張をしているようでもある。時々の看護を取り巻く環境の変化や国の政策に連動した動きなどを思い出しながら,場面を共有・共感し,時に首をかしげながら読み進めた。初期に書かれたものでも歳月の隔たりを感じさせないほど新鮮なのは,提起された問題の本質は今なお継続していることを示している。看護管理と看護教育の面での含蓄ある記述もさることながら,いわゆる一般教養的な話題は,著者の人生観が反映していて実に興味深い。
とりわけ,実際の入院体験や患者体験を取りあげた項は印象深い。『92.清水さんの入院経験』(2012年12月17日)では,「清水さんの入院経験に伴走することで,医師が患者の味方ではなくなることがあることや,看護師の身体ケアがいかに患者を活気づけ尊厳を守るかを再認識した」とある。また,『94.駒野リポート——病いの克服』(2013年2月25日)では,病室の個室化が若い看護師たちが先輩の優れた技を盗む機会を奪い,看護の熟度が上がらず質に影響しているとか,国際的な医療機関認証であるJCI受審のための種々の変更が,機材・人材を伴わないため看護サービスのレベルダウンに通じるなど,近代化や国際化に翻弄される看護の姿を,入院したジャーナリストの目からの「看護のアジェンダ」として紹介している。このほか,『103.こんなことが起こっています』(2013年11月18日),『127.人が患者になるとき,患者が人になるとき』(2015年11月23日),『131.患者に寄り添わない会話』(2016年3月28日)など,いずれもリアリティに富んだ現場の状況が患者目線で述べられている。これらの数篇の体験談の底流には,母上の臨終に駆けつけた娘としての著者の悲しみと,追慕の情の一方で抜けきらない職業的習性を客観視する『44.母の最後の日』(2008年9月22日)があり,評者も同様の体験をした者として涙を誘われた。
また,看護の社会的有用性を示すための看護師自身の説明責任の必要性という点からも,看護を語ることの意味と,それを文章で表現することの大切さは論をまたない。この点に関しては,『28.文体の魅力』(2007年4月23日),『40.「看護」の語り方』(2008年5月26日),『69.「Professional Writing」再び』2011年1月24日),『124.文体のレッスン』(2015年8月31日),『125.トピック・センテンス』(2015年9月28日)で取りあげられている。研修会や講習会で自身の実践体験を生き生きと語った看護師が,同じ内容を文字に表す段になると,専門用語を羅列して精彩を欠くといったことは珍しくない。「日常の言葉を使って書いたり話したりすることのできなくなった人は,はっきり考える力そのものを失う」とは哲学者・鶴見俊輔の言葉であるが,その意味からも,肩肘を張らず日常の語り口で書かれている本書は,「看護を書く」という面からも学ぶことが多くあった。
職場や小グループで関心ある項目を選び,さまざまな角度から討論されるとよいと思う。
読みやすく面白く,ためになる。実用・啓発書であり,文学作品。
書評者: 山口 俊晴 (がん研有明病院長)
通勤電車に乗っている13分間できっちり読めるこのエッセイは,いろいろな角度から私を啓発・教育する教科書でもあった。「週刊医学界新聞」看護号に連載が開始されたときから私はこのエッセイのファンであったので,本書について少しは語る資格があるかもしれない。
著者は看護系学会等社会保険連合の代表でもあり,外科系学会社会保険委員会連合,内科系学会社会保険連合との3保連合同シンポジウムの開催を契機として,交誼を得ていた。その経歴や役職から想像される印象とは大きく異なり,どのように議論を持ちかけても,著者は決して声を荒げることもなく,常に穏やかで冷静であった。著者の暖かい人間性のおかげで,少なくとも3保連の中では医師と看護師の相互理解が大いに深まったと確信している。ある時,私が連載を愛読していることをお伝えすると,あたかも少女のようにはにかんだような表情を見せたのが強く印象に残っている。そのころから,この連載が書籍として発行され,広く読んでもらえればよいと強く思っていたので,今回の本書の刊行はファンのひとりとしても大変喜ばしい。
本書では,医療界に内在する複雑でナイーブな問題が,あたかもそれがあぶり出されるように,平明な言葉で書かれている。博識な著者の豊かな経験と感性から紡がれた文章は,今までにないきわめて新鮮な切り口で書かれており,「ああそうだったのか」とか「そのような見方もあるのか」と感じるばかりでなく,時に大きな衝撃や感動をもたらすものであった。話の糸口は,参加した委員会であったり,最近読んだ新聞・著書・映画であったりと多様である。しかし,なんといっても現場の何気ない風景や会話から,看護界・医療界に潜む問題点を浮き彫りにする巧みな筆力には非凡なものがある。穏やかな書きぶりではあるが,その文脈の中には強いメッセージが隠されており,読み終わったときにしばしば深い余韻を残す。それは読者のものの見方や感じ方を,時にはすっかり変えてしまうことさえあるほどインパクトの強いものである。
今回再読してみて,私にとって特に印象深かったのは,『44.母の最後の日』(2008年9月22日)と『88.論考「迷惑な夫たち」』(2012年8月27日)であった。『44.母の最後の日』は,私も今春母を喪ったばかりなので,著者の悲しみがよりいっそう心にしみた。また『88.論考「迷惑な夫たち」』は,現場で起きている事象に対する著者の切り口と考察が読後にいろいろなことを考えさせて,ある意味で本書の特徴が最もよく表れている作品のひとつである。
エッセイの多くは2ページほどで,どこから読み始めても,おそらく読者はその全てのページに目を通さずにはいられなくなるだろう。まさに読みやすくて,面白く,しかもためになる本である。本書の取り扱っているテーマが多様であると同時に,そのテーマへの迫り方が実に多様であることも,その魅力を大きなものとしている。実用書であり,啓発書であり,時に立派な文学作品でもあるのである。看護師だけでなく,医師・薬剤師など多くの医療関係者はもちろん,一般の方にもぜひ読んでいただきたい。
最後に,連載中の「看護のアジェンダ」を電車の中で読み終えたあと,電車を降りるときにはあふれ出る涙を他の乗客に気づかれぬようにそっとぬぐったこともしばしばあったことを告白しておく。今後も連載が続き,続巻としてまた取りまとめられることを期待している。
書評者: 丸尾 智実 (甲南女子大学看護リハビリテーション学部 看護学科 准教授)
本書は著者が11年にわたって「週刊医学界新聞」看護号(医学書院発行)に連載してきた内容をまとめたものである。2005年から書き続けられてきた「看護・医療界の‘いま’を見つめ直し,読み解き,未来に向けた検討課題を提示」してきた内容は,時代とともに看護がどのように変遷をしてきたのかを改めて考えることができる。
本書を読み始めたとき,私はガツンと頭を叩かれたような大きな衝撃を受けた。なぜなら,2~3ページにまとめられている短い文章には,著者の幅広い語彙力,知識,知識に裏付けられた根拠,それらに基づいて導き出された力強いメッセージが散りばめられているからである。正確には,著者が読者に力強いメッセージを伝えるために,著者のもつ膨大な語彙力や知識が駆使されているのかもしれない(これは,著者が本書で「自分の書きたいことおもしろいと感じることを好きなように楽しくすらすら書いていればそれでいい」という村上春樹氏の言葉を引用した心境とは異なるかもしれないが)。そして,読み物であるはずなのに,明朗な論文を読んでいるような感覚にさえなる。
と言っても,本書は堅苦しい言葉で書かれているものではない。その話題は,その時代の最新の情報,臨床での出来事,海外の動向,書籍や映画,著者の経験(私生活を含む)といったものである。そのなかでも,何度か繰り返し取り上げられている内容がある。それは,看護職の役割や特性,多職種との協働,顧客としての患者,看護管理などである。例えば,‘人生の価値を問う’看護職の役割として,「10.ぬくもり(2005年10月24日)」では,新聞に投稿されたある記事が取り上げられている。それは,自殺未遂を図った投稿者が看護師とのやり取りを通して新たな希望を見出そうとする内容であった。著者は,その記事の内容に触れ,看護職が毎日淡々とこなしているようにみえる一連の業務において,看護職の心は常に患者と誠実に向き合い,それらが患者・看護職の両者の間に‘暗闇を溶かす「光」’として伝播されていること,そして,このような偉大な仕事を気負うことなく行っている臨床ナースたちにエールを送りたい,と述べている。これは,本書のほんの一部の内容であるが,他のすべての内容において,著者の看護職としての自負心と私たち看護へのエールが込められているように感じてならない。
そして,特に強く印象に残っているのは,本書の帯にもなっている「看護が社会に認知されないのは,非可視性と可視性の問題ではなく,看護職の発言と沈黙の問題である」という言葉である。本書を読むと,まさに自分が実践してきた看護,大切にしている看護を誰かに語りたくなった。できれば,看護の役割を広く社会に周知する発言として。そんな決意を新たにする1冊であった。
(『看護教育』2017年4月号掲載)
看護師という“メチエ”,その拡がりと奥行きと複雑さを一望
書評者: 村上 靖彦 (阪大大学院教授・現象学)
本書は「週刊医学界新聞」に長期にわたって連載された「看護のアジェンダ」を一冊にまとめたものである。2005年1月24日号から2016年6月27日号まで,133本のテキストから成るアジェンダである。
医療者ではない評者が一読したときの驚きは話題の多様さにある。患者の経験,看護の実践,看護師の教育,マネジメント,法改正,日本の看護制度の歴史,海外での医療の動向,文章の書き方,そして著者自身の母の看取りまで主題は多岐にわたる。そして例に挙げるトピックも,映画や村上春樹のエッセイ,著者自身が見聞きしたこと,さまざまな統計資料や法律の文言といった広がりを持つ。
こうして,看護師というメチエ(専門職)の拡がりと奥行きと複雑さを読者は一望することになる。133本のテキストが織りなす織物ゆえに,ミクロの視点から俯瞰する視点に至る多様な切り口で,本書は看護の世界とその魅力を巨大なプリズムとして描き出している。おそらく看護の外にいる人たちは,看護がこのように多面的な職務であることを知らないし,これを描き出すことができるのは著者をおいて他にはないのであろう。
そして多様な話題をたどることで,逆に著者が一貫した主張を持っていることにも気付く。患者の尊厳を中心にして看護を考えること,そして一人ひとりの看護師が自発的に考え実践し発言していくこと,この二点について看護師を励ますために本書は書かれている。これは著者自身が本書を通して実践してきた営みでもある。そして本書において何よりも魅力的なのは,著書が自分で見聞きした出来事を描写する場面である。ミクロな視点が巨視的な知性に支えられ,それが「自分の言葉」になっていることがわかるのだ。
最後に私が気に入った一節を引用したい。被災地にはためく洗濯物に,日常の回復を感じる描写に続く場面である(『107.洗濯物の記憶』2014年3月14日)。
「一人暮らしをしていた私の母が89歳で亡くなり,6年が経つ。母が地方での一人暮らしを続けるのはこれでおしまいにしなくてはいけないと,私を決断させたのも,洗濯物である。
東京で忙しくていた私は,月に1回の訪問で母と会話し,母の様子を見ていた。母はだんだんともの覚えが悪くなってきていた。敏感な母は,ある日,「私の頭が崩れていきそうだ」と言った。
そんなとき,町の訪問看護師として,母の自宅の前を往き来していた山田さんが電話で,このごろ洗濯物が干されていないと私に教えてくれたことがあった。「きちょうめんなお母さんの家の前には,いつも洗濯物が出ていたんですよ」と言う。母が,日常の生活を一人でするのに限界があることを私が悟った瞬間であった。それとともに,訪問看護師の観察力に感動を覚えた。
都会の集合住宅では,ベランダに干す洗濯物は外部から見えないようになっており,広場に洗濯物がひるがえる光景を見かけることはほとんどない。しかし,私は被災地の人々の生命力をはためく洗濯物で感じ,母の一人暮らしに終止符を打とうと決めた洗濯物の記憶を大切に保存している。」
「日常の言葉」で語られる看護,職場討論の題材に最適
書評者: 川嶋 みどり (日赤看護大名誉教授/健和会臨床看護学研究所長)
連載中にそのほとんどを通読したはずだったが,あらためてページを繰ると,日本の看護界のトップリーダーのひとりでもある著者の人間性が随所にあふれる本書の魅力をまず感じた次第である。11年の長期連載で,年次別に並ぶ133の目次はあまりにも多彩であり,それらに含まれている「看護のアジェンダ」がそれぞれ自己主張をしているようでもある。時々の看護を取り巻く環境の変化や国の政策に連動した動きなどを思い出しながら,場面を共有・共感し,時に首をかしげながら読み進めた。初期に書かれたものでも歳月の隔たりを感じさせないほど新鮮なのは,提起された問題の本質は今なお継続していることを示している。看護管理と看護教育の面での含蓄ある記述もさることながら,いわゆる一般教養的な話題は,著者の人生観が反映していて実に興味深い。
とりわけ,実際の入院体験や患者体験を取りあげた項は印象深い。『92.清水さんの入院経験』(2012年12月17日)では,「清水さんの入院経験に伴走することで,医師が患者の味方ではなくなることがあることや,看護師の身体ケアがいかに患者を活気づけ尊厳を守るかを再認識した」とある。また,『94.駒野リポート——病いの克服』(2013年2月25日)では,病室の個室化が若い看護師たちが先輩の優れた技を盗む機会を奪い,看護の熟度が上がらず質に影響しているとか,国際的な医療機関認証であるJCI受審のための種々の変更が,機材・人材を伴わないため看護サービスのレベルダウンに通じるなど,近代化や国際化に翻弄される看護の姿を,入院したジャーナリストの目からの「看護のアジェンダ」として紹介している。このほか,『103.こんなことが起こっています』(2013年11月18日),『127.人が患者になるとき,患者が人になるとき』(2015年11月23日),『131.患者に寄り添わない会話』(2016年3月28日)など,いずれもリアリティに富んだ現場の状況が患者目線で述べられている。これらの数篇の体験談の底流には,母上の臨終に駆けつけた娘としての著者の悲しみと,追慕の情の一方で抜けきらない職業的習性を客観視する『44.母の最後の日』(2008年9月22日)があり,評者も同様の体験をした者として涙を誘われた。
また,看護の社会的有用性を示すための看護師自身の説明責任の必要性という点からも,看護を語ることの意味と,それを文章で表現することの大切さは論をまたない。この点に関しては,『28.文体の魅力』(2007年4月23日),『40.「看護」の語り方』(2008年5月26日),『69.「Professional Writing」再び』2011年1月24日),『124.文体のレッスン』(2015年8月31日),『125.トピック・センテンス』(2015年9月28日)で取りあげられている。研修会や講習会で自身の実践体験を生き生きと語った看護師が,同じ内容を文字に表す段になると,専門用語を羅列して精彩を欠くといったことは珍しくない。「日常の言葉を使って書いたり話したりすることのできなくなった人は,はっきり考える力そのものを失う」とは哲学者・鶴見俊輔の言葉であるが,その意味からも,肩肘を張らず日常の語り口で書かれている本書は,「看護を書く」という面からも学ぶことが多くあった。
職場や小グループで関心ある項目を選び,さまざまな角度から討論されるとよいと思う。
読みやすく面白く,ためになる。実用・啓発書であり,文学作品。
書評者: 山口 俊晴 (がん研有明病院長)
通勤電車に乗っている13分間できっちり読めるこのエッセイは,いろいろな角度から私を啓発・教育する教科書でもあった。「週刊医学界新聞」看護号に連載が開始されたときから私はこのエッセイのファンであったので,本書について少しは語る資格があるかもしれない。
著者は看護系学会等社会保険連合の代表でもあり,外科系学会社会保険委員会連合,内科系学会社会保険連合との3保連合同シンポジウムの開催を契機として,交誼を得ていた。その経歴や役職から想像される印象とは大きく異なり,どのように議論を持ちかけても,著者は決して声を荒げることもなく,常に穏やかで冷静であった。著者の暖かい人間性のおかげで,少なくとも3保連の中では医師と看護師の相互理解が大いに深まったと確信している。ある時,私が連載を愛読していることをお伝えすると,あたかも少女のようにはにかんだような表情を見せたのが強く印象に残っている。そのころから,この連載が書籍として発行され,広く読んでもらえればよいと強く思っていたので,今回の本書の刊行はファンのひとりとしても大変喜ばしい。
本書では,医療界に内在する複雑でナイーブな問題が,あたかもそれがあぶり出されるように,平明な言葉で書かれている。博識な著者の豊かな経験と感性から紡がれた文章は,今までにないきわめて新鮮な切り口で書かれており,「ああそうだったのか」とか「そのような見方もあるのか」と感じるばかりでなく,時に大きな衝撃や感動をもたらすものであった。話の糸口は,参加した委員会であったり,最近読んだ新聞・著書・映画であったりと多様である。しかし,なんといっても現場の何気ない風景や会話から,看護界・医療界に潜む問題点を浮き彫りにする巧みな筆力には非凡なものがある。穏やかな書きぶりではあるが,その文脈の中には強いメッセージが隠されており,読み終わったときにしばしば深い余韻を残す。それは読者のものの見方や感じ方を,時にはすっかり変えてしまうことさえあるほどインパクトの強いものである。
今回再読してみて,私にとって特に印象深かったのは,『44.母の最後の日』(2008年9月22日)と『88.論考「迷惑な夫たち」』(2012年8月27日)であった。『44.母の最後の日』は,私も今春母を喪ったばかりなので,著者の悲しみがよりいっそう心にしみた。また『88.論考「迷惑な夫たち」』は,現場で起きている事象に対する著者の切り口と考察が読後にいろいろなことを考えさせて,ある意味で本書の特徴が最もよく表れている作品のひとつである。
エッセイの多くは2ページほどで,どこから読み始めても,おそらく読者はその全てのページに目を通さずにはいられなくなるだろう。まさに読みやすくて,面白く,しかもためになる本である。本書の取り扱っているテーマが多様であると同時に,そのテーマへの迫り方が実に多様であることも,その魅力を大きなものとしている。実用書であり,啓発書であり,時に立派な文学作品でもあるのである。看護師だけでなく,医師・薬剤師など多くの医療関係者はもちろん,一般の方にもぜひ読んでいただきたい。
最後に,連載中の「看護のアジェンダ」を電車の中で読み終えたあと,電車を降りるときにはあふれ出る涙を他の乗客に気づかれぬようにそっとぬぐったこともしばしばあったことを告白しておく。今後も連載が続き,続巻としてまた取りまとめられることを期待している。
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