医学界新聞

連載

2019.03.25


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第171回〉
「こげんところに行きよったら,な~んもできんごとなる」

井部 俊子
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 90歳となる吉川さん(仮名)は,同い年の妻と共に福岡県太宰府市に住んでいます。東京で仕事をしている娘は,3か月に1回くらい様子を見に帰省しています。

 太宰府は新興住宅地で,自宅までは坂を少し上がっていかなければなりません。吉川さんは最近,その坂を上がれなくなってきました。それで「脚の力を落とさないように」とケアマネジャーにデイサービスを勧められました。吉川さんはそういうところには行きたくなかったのですが,脚の力が落ちていると自分でも自覚していたので通うことにしました。

上げ膳据え膳,自動洗浄機

 このデイサービスへは,お迎えのマイクロバスが来て,それに順次乗って連れて行ってくれるのです。吉川さんはデイサービスの施設に行くと,上履きに履き替えます。その上履きは靴箱に入れてあって,職員が「吉川さん,こんにちは」と言って上履きをそろえて出し,履けるようにしてくれます。吉川さんは自分の靴箱がどこにあるのか覚えておきたいし,自分で靴箱まで行って自分で履き替えたいと思っているのですが,そうはいきません。帰るときもそのようにしてくれます。

 デイサービスでは,上げ膳据え膳で何もせずに食事が出てきます。入浴時にはパンツを下げてくれ,2人がかりで頭からからだを一気に洗ってくれます。これを通称,「自動洗浄機に入る」とも言います。こうした過剰なサービスに吉川さんは「こげんところに行きよったら,な~んもできんごとなる」と考えて,デイサービスを半年でやめました。そして,リハビリ中心の別のデイサービスに通い始めたのです。

 あるとき,福岡空港でレンタカーを借りて帰省した娘に,吉川さんは「ショッピングセンターに連れて行ってくれ」と頼みました。リハビリに行って靴を脱ぐとくたびれた靴下が恥ずかしくリハビリの先生にも申し訳ない,ほかの人はちゃんとした格好をして来ていると言うのです。吉川さんは旧・通産省の役人でしたので,きちんと背広を着て靴下を履き,革靴を履いて仕事をしていました。ですから,くたびれた靴下は恥ずかしいと思っていたのです。

 ショッピングセンターの売り場では,スポーツソックスがいいか,綿のソックスがいいのではないかなどと娘が勧めるのですが,吉川さんは「これは厚すぎるのでいかん」と言います。妻と一緒になってあれやこれやと見て回った末,やっと選んだのが革靴のときに履く濃いグレーのサラリーマンソックスでした。娘は内心,「え~,これ?」と少し驚きましたが,父の選択を尊重しました。吉川さんはすごくうれしそうでした。リハビリをするという意欲をみなぎらせていました。

 吉川さんが娘のレンタカーでショッピングセンターに連れて行ってもらったのには訳があります。実は吉川さんはこれまで何度か,送迎バスがショッピングセンターの前を通る際に,「ちょっとでよかけん,ちょっとでよかけん,すぐ買って来よるけん」と頼んだのですが,「ダメです」と断られていたのです。それまでずっと買い物に行けなくて困っていたところに,娘のレンタカーがやって来たというわけです。

自立支援とは忍耐強く「待つ」ことでもある

 デイサービス送迎のマイクロバスの運転手によると,介護保険の規定で原則として自宅まで送ることになっているので,途中で(車を)停めてほしいと言われても停めてはいけないことになっているのだそうです。「しかもいろんな人がいろんなところで停めてほしいと言うと収拾がつかなくなるので,決して途中で停めないのです」と,介護保険制度に精通している看護師が解説してくれました。

 しかし娘は「介護サービスが利用者のニーズに合っていないのではないか。介護者本位でやっているのではないか。みんな,最後まで自分で何とかできるようになりたいと思っているわけなので,そういう思いに沿うようなサービスにならないのかしらって本当につくづく感じました」と言うのです。娘が靴下を買って届けるのではなくて,自分で買い物に行くことが大切なのです。

 利用者のニーズに応えるために,例えばマイクロバス寄り道ミーティングを開いて,「今日はどこそこに寄って何をして,みんなで助け合って帰途につこう」と決めるなど,自主性を尊重してもいいのではないかと私は思います。

 介護保険の精神は「尊厳の保持と自立の支援」です。これはいわゆる「おもてなし」とは異なる概念であるのです。高齢者が他人にごはんを口に運んでもらっていたら,その手は動かないままだけれど,ブルブル震えながらでも自分の手で食べようとすることがリハビリであり,その姿をそばで見守っている看護師の価値をもっと知ってもらう必要があるでしょう。自立支援とは忍耐強く「待つ」ことでもあるのです。利用者側も過剰なサービスがよいサービスだと誤解してはいけません。

 吉川さんはこう言っています。「すごく一生懸命な気持ちはわかるし,笑顔で気持ちよい思いをさせてもらってありがたいが,だけどこんなことしとったら日本はつぶれるよ」と。

つづく

* 本稿は「第8回いいね♡看護研究会」の事例をもとに記述しました。