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[第3回]聞き出した体験を臨床意思決定にどう反映させるか(前編)
『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』より
連載 尾藤誠司
2026.09.16
出来事中心の医療
患者の体験を上手に取り扱うための技法
「診断も治療も正しいのに,なぜかうまくいかない」。
客観的な医学データと,患者が語る主観的な思いや生活の困りごと。その2つの世界の狭間で,どう応答すべきか立ち止まった経験を持つ医療者は少なくないのではないでしょうか。
書籍『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』は,患者の主観を漠然とした共感・傾聴にとどめず,臨床判断の重要な根拠として扱う実践的な方法論を提示します。病気を診断名ではなく,患者の人生に起きた「出来事」として捉え直す。この視点の転換により,主観と客観の対立を超え,「情報の専門家」である医療者と「体験の専門家」である患者の真の協働が実現します。「医学界新聞プラス」では本書の中から3つの項目をピックアップし,そのエッセンスをご紹介します。
聴取内容の構造化と要約,衡量
臨床において患者の体験を受け取った後,医師が最も悩むのは「それをどう扱うか」という問題です。聞いた内容を診療の文脈にどう統合し,判断の材料とするのか。その方法についての訓練は,現在の医学教育ではほとんどなされていません。多くの医師は,患者の体験については同情のネタとして受け取る一方で,実際の診断・治療の場面とは切り離してしまいがちです。
重要な視点は,“患者の語った内容を外在化する”という所作です。語られた物語を,医師の心の中にだけとどめず,目に見える形で記述すること。この記述は単なる記録ではなく,「理解しようとした結果として表現された構造」です。すなわち,「患者がこう言った」ではなく,「患者の語りの文脈において,どのような意味の連なりがあったのか」を理解しようとする営みの痕跡を残すことが重要です。これは,感情的な共感や記憶の印象といった主観にとどまらず,対話的な知としての体験知を他者と共有可能な形に変換する行為でもあります。
*
では,こうして得られた体験知をどうやって医療の意思決定に統合するか。ここで重要になるのが,構造化と要約,そして衡量(weighing)の技術です。
第一に,体験知は多くの場合,直線的な因果構造では語られません。時間軸は入り組み,感情は揺れ,意味のつながりは非論理的にすら見える場合があります。これを1つの「理解可能なまとまり」として再構成するには,語られた文節を一旦要素として抽出し,そのつながりの背後にある論理や価値観,感情の推移を読み解く作業が必要です。
ここで用いるのは,語られたことを編集する力です。それは恣意的な編集ではなく,「この人はなぜこの順で,なぜこの言葉を選んだのか」という文脈理解に基づくものです。たとえば,「薬を飲まなかった理由は何ですか?」という問いに対して,「副作用が怖かった」「以前ひどい目にあったから」「テレビで見た」といった複数の理由が提示された場合,それらを単純に羅列するのではなく,それらがどのような経緯の中で立ち現れ,どのような意味を持ち,どう結びついていたかを文脈に基づいて解釈・再構成します。
第二に,こうして再構成された体験知を医学的情報と同じ検討のテーブルに乗せることが必要です。ここでの課題は,いかにして異なる性質の情報を比較し,判断に資する材料とするかです。医学的根拠は定量的で確率論的であるのに対し,体験知は主観的で文脈依存的です。この非対称性を無視して一方を優先すれば,他方は抑圧されるか形式的に扱われるだけで終わってしまいます。
そこで必要なのは,「衡量」という考え方です。衡量とは,単純な優劣の比較ではなく,異なる価値の間でバランスを取り,落としどころを見出す営みを指します。
臨床の意思決定においては,医学的根拠だけでなく,患者の生活状況,過去の経験,価値観,希望といった非データ的要素もまた,判断に影響を与えます。これらは本来,同じ尺度で測ることができないものです。治療効果のパーセンテージと,患者が語る「家族に迷惑をかけたくない」という言葉を,どうやって同じ天秤に載せるのか。それは論理的には不可能に見えます。しかし,臨床においては,まさにその比較不能なものをあえて同じ決断のテーブルに並べ,それぞれを意思決定の根拠として採用することが求められます。
この時に重要なのは,どちらかを優先するのではなく,すべてを「価値」として認め,その間で妥当なバランスを模索するという態度です。体験の語りから読み解かれた患者の価値観は,医学的根拠と対等な位置に置かれ,落としどころを探るための座標軸の1つとなります。衡量とは,こうした異質なものを統合する技術であり,同時に,統合しきれないままでも前に進むための覚悟を含んだ実践なのです。
体験知が臨床上の知として機能するためには,「語られた経験がなぜその人にとって重要なのか」を問い,その背景にある事情と意味を言語化し,判断の指標に変換する作業が必要です。これは単なる聞き取りでも,倫理的な配慮でもありません。体験を臨床の意思決定に関与させる技術です。体験知を構造化・衡量の過程に乗せるためには,医師自身が聞いたことを「知識に変える」という訓練をしていなければなりません。これは一種の翻訳作業です。言語化され,構造化された体験知は,診療記録にも記述され,ほかの医療者との共有も可能になります。
チーム医療への情報共有と翻訳
現代医療において,患者のケアはもはや1人の医師の判断と行動によって完結するものではありません。医師,看護師,薬剤師,ソーシャルワーカー,リハビリテーションスタッフ,心理職など,さまざまな専門職が協働しながら,1人の患者を支えるチーム医療の時代が到来しています。しかし,ここで直面するのが,体験知の共有と翻訳の難しさです。
それぞれの専門職は,異なる訓練を受け,異なる実践文化と倫理規範,そして異なる目的と関心領域を持って患者に関わっています。これは多職種連携の強みでもありますが,同時に,同じ言葉を聞いても解釈がまったく異なるというリスクをはらんでいます。つまり,“同じ言葉に違う意味が読み込まれる”のです。
たとえば,ある入院患者の家族が「父にはできる限りのことをしてほしい」と言ったとします。この一見シンプルな言葉に対して,以下のような解釈の分岐が生じるかもしれません。
・医師は「可能な治療法はすべて提示し,回復というアウトカムを推進するための最大限の医学的介入を実施すること」と受け取るかもしれません。
・看護師は「身体的にも精神的にも苦しませないようにケアすること」と捉えるかもしれません。
・ソーシャルワーカーは「家族の希望と患者本人の意思とのバランスを丁寧に調整すること」と理解するでしょう。
・リハビリテーションスタッフは「退院後の生活をできる限り支援し,生活の質を最大限保つ支援を求めている」と捉えるかもしれません。
・心理職は「家族が感じている罪悪感や後悔,死別への恐れがこの言葉に込められているのではないか」と洞察するでしょう。
このように,共通の言葉には常に解釈のゆらぎが伴うことを前提としなければ,多職種間の情報共有は表面的なものになり,真に有効な協働には至りません。
この課題に対処するために,重要となるのが「“体験知の共有における翻訳と注釈”」です。患者の語りをチームに共有する際に,「患者がこう語った」という一次情報だけでなく,「この語りに対して,私(たとえば医師)はこう解釈した」という専門職としての理解を併記することが望ましいのです。
たとえば,ある患者が「死ぬのが怖い」と語った時,それを「延命治療に消極的である」とみなすか,「疼痛緩和への不安がある」とみなすか,「家族への申し訳なさからくる混乱」とみなすかは,解釈者の専門領域によって異なります。そのため,解釈をあえて明示することは,誤読を避けるための自衛であり,同時に他職種の再解釈の手がかりを与える行為でもあります。
さらに,こうした互いに異なる理解を前提に進めるためには,職種間での対話的な再文脈化の実践が必要です。この時に参照すべきアプローチの1つが「信念対立解明アプローチ」です1)。
信念対立解明アプローチ
信念対立解明アプローチは吉備国際大学の教員でOTでもある京極真氏が紹介しているコミュニケーション手法で,異なる立場や専門性の人々が,互いに自分たちの前提・信念・価値観を可視化し,すり合わせていくための対話の方法論です。医療チーム内での意思決定のズレや,患者家族との認識の齟齬にも応用が可能です。
・ステップ1:感情調整(土台づくり)
信念対立は感情的反応を誘発しやすいため,まず自分自身の感情を整える。
・ステップ2:相手の発言に自動的に反応しない
対立場面で即座に反論や防御に入らず,一旦受け止める。
・ステップ3:目的と状況を確認する
「何のために,この議論をしているのか?」「どのような状況で,そのような信念が形成されたのか?」を確認する。これにより,相手の主張がどのような「契機」(経験・文脈)のもとで構成されたかを理解しようとする。
・ステップ4:相手の信念・価値観を言語化して確認する
「〇〇という理解で合っていますか?」と,推測ではなく確認を行う。
・ステップ5:自分の立場・関心を明示する
「私はこのように受け止めました」「私の立場からはこう見えます」と,自分の信念も開示する。
・ステップ6:共通点と相違点を整理する
両者の信念の接点と,すり合わせが難しい部分を明確にする。
・ステップ7:共通目標を設定する
「この方向性なら了解できる」という可能性を探り,具体的な共通目標を立てる。
・ステップ8:目標達成に向けた方法を模索する
エビデンスに基づく実践など,目的と状況に応じた方法を選択する。
*
京極氏が強調するのは,信念対立は「解決」(どちらかが正しいと決着をつける)ではなく「解明」(構造を明らかにし,並存・協働の条件を整える)するものだということです。解明は1人でも開始できる可能性があり,繰り返しの働きかけによって徐々に効果が現れるものとされています。
チームの中での「言いにくさ」や「気まずさ」は,しばしば翻訳と再解釈を妨げます。専門職同士であっても,実は暗黙の上下関係があり,職種間の文化的壁が存在しています。だからこそ,翻訳のプロセスには互いの見方が正当である可能性を前提にし,解釈の違いを恥ずかしがらずに差し出し合える場が必要です。
本項で述べたように,体験知の扱いは,個人の記憶や共感の範囲にとどめてはなりません。チーム全体で共有し,それぞれの専門性によって多角的に検討されることで,初めて患者の物語は医療の中で生きる知となります。そしてこの翻訳と共有の連鎖の中で,患者の体験は1つの共通の知として医療の決定に影響力を持ち始めるのです。
後編に続く
参考文献
1)京極真:医療関係者のための信念対立解明アプローチ―コミュニケーション・スキル入門.誠信書房,2011.
出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法
診断も治療も正しいはずなのに、うまくいかない。「患者中心の医療」のその先へ
<内容紹介>診断も治療も正しいはずなのに、なぜうまくいかないのか? エビデンスやガイドライン、共感だけでは解決できない臨床の問題も、患者の体験(=出来事)を軸に考え直すことでうまくいく! 疾患ごとの出来事の公約数を手がかりに、患者の体験の聞き方・活かし方、専門家としての在り方を示します。患者と向き合うすべての医療職に向け、適切な臨床判断へとつなげるための実践書。AI時代の診療を変える一冊です。
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