出来事中心の医療
患者の体験を上手に取り扱うための技法

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診断も治療も正しいはずなのに、なぜうまくいかないのか?  エビデンスやガイドライン、共感だけでは解決できない臨床の問題も、患者の体験(=出来事)を軸に考え直すことでうまくいく!  疾患ごとの出来事の公約数を手がかりに、患者の体験の聞き方・活かし方、専門家としての在り方を示します。患者と向き合うすべての医療職に向け、適切な臨床判断へとつなげるための実践書。AI時代の診療を変える一冊です。

尾藤 誠司
発行 2026年08月判型:A5頁:280
ISBN 978-4-260-06606-8
定価 4,180円 (本体3,800円+税)

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はじめに

 診察室で患者と向き合う時,私たちは2つの世界の狭間に立っています。1つは,検査値や画像所見,エビデンスに基づく治療選択といった客観的な世界。もう1つは,患者が語る不安や希望,生活の中での困りごとといった主観的な世界。医療者として訓練を受けてきた私たちは,前者の取り扱いには慣れています。血糖値が200mg/dLを超えたら,ガイドラインに沿って薬物療法を検討する。CTで肺に影が見つかったら,鑑別診断のアルゴリズムを頭に描く。この客観の世界では,私たちは確かな足場を持っています。
 しかし,患者が「薬を飲むと自分が自分でなくなる気がして」と漏らした時,「検査は怖くて受けたくない」と打ち明けた時,私たちの足場は急に不確かになります。こうした主観の世界を,どう受け止め,どう応答し,どう臨床に活かしていけばいいのか。多くの医療者が,この問いの前で立ち止まった経験があるのではないでしょうか。
 私自身,総合医として30年以上臨床に携わる中で,この2つの世界の架け橋に苦心してきました。「全人的医療」「患者中心の医療」といった理念は確かに大切ですが,それを「傾聴しましょう」「寄り添いましょう」という漠とした態度論にとどめてしまっては,実際の臨床では使えません。15分の診察時間で5人の患者を診なければならない外来で,「共感する」とは具体的に何をすることなのか。この問いに,私たちは技術として答える必要があります。

 本書『出来事中心の医療』は,この問いへの1つの応答です。患者の主観世界を,センチメンタルな共感の対象としてではなく,臨床判断に活かすべき重要な根拠として,体系的に取り扱うための方法論を提示しようと試みました。その中核にあるのが「出来事」という視点です。病気を診断名や病態生理として理解するのではなく,患者の人生に起きた「出来事」として捉え直す。この視点の転換によって,主観と客観の二項対立を超えた,新しい臨床の可能性が開けると私は考えています。
 医療人類学は,この試みに豊かな知見を提供してくれます。ヘルマンの「医療人類学」,アーサー・クラインマンの「病い(illness)」と「疾患(disease)」の区別,リタ・シャロンの「ナラティブ・メディシン」,アネマリー・モルの「ケアのロジック」。これらが提示する考え方は,患者の体験世界を理解するための重要な道具となります。しかし,これまでの医療人類学の教科書は,その理論的な豊かさゆえに,かえって臨床現場との距離を作ってしまう面もありました。「で,明日の外来でどう使えばいいの?」という現場の声に,十分に応えてこなかったように思います。

 本書では,あえて疾患別の各論という構成を採用しました。糖尿病,慢性疼痛,がん,認知症──それぞれの疾患において,患者が体験する主観世界にはある程度の共通性があります。この共通性を,質的研究の知見として「エビデンス」のように提示することで,エビデンスの取り扱いに慣れた医療者にも親しみやすい形にしました。これは一種の「翻訳」作業です。主観の世界を,客観的な情報として扱い慣れた医療者の認知様式に合わせて提示する試みです。
 ただし,その手法には大きなリスクがあることを私は自覚しています。本書が提示する「糖尿病患者の典型的な体験」や「がん患者の心理的軌跡」は,あくまで理解の入口にすぎません。「ああ,糖尿病の人はこう考えるんだったよね」という紋切り型の理解は,本書の意図とは正反対です。むしろ,こうした一般的な知見を踏まえたうえで,目の前の患者の個別性,その人が固有に持つ体験を理解しようとすること。一般性と個別性の往復運動の中で,患者理解を深めていくための技法を身につけること。それが本書の目指すところです。

 私は,エビデンスとナラティブを対立的に捉える議論に,常に違和感を覚えてきました。臨床の現場では,検査結果を見ながら患者の話を聞き,ガイドラインを参照しながら生活背景を考慮し,統計的なリスクを説明しながら個人の価値観を探ります。この複雑な営みを,二項対立の図式で切り分けることはできません。必要なのは,両者を統合的に扱うための実践的な方法論です。
 共同意思決定(shared decision making:SDM)の研究に携わってきた経験から,私は「情報の専門家」と「体験の専門家」という2つの専門性の協働が鍵になると考えています。医療者は疾患や治療に関する情報の専門家ですが,患者は自分の身体感覚や生活,価値観についての専門家です。この2つの専門性が対等に出会い,協働することで,よりよい医療が実現する。本書は,この協働を可能にするための共通言語を提供しようとする試みでもあります。

 AI時代を迎え,医療における情報処理の多くは機械が担うようになるでしょう。診断支援,治療選択,予後予測──これらの領域でAIは人間を凌駕しつつあります。では,人間の医療者の役割は何か。私は,それは患者の主観世界と客観的医学情報をつなぐ「翻訳者」「媒介者」としての役割だと考えています。患者の語りを聞き取り,医学的知識と照らし合わせ,その人にとって意味のある形で情報を返していく。この循環的なプロセスは,当分の間,人間にしかできない仕事であり続けるでしょう。
 本書は,医師,看護師,薬剤師,リハビリテーションスタッフなど,患者と向き合うすべての医療者を読者として想定しています。同時に,ソーシャルワーカーや心理職の方々にも,「情報の側から患者体験を見るとこうなるのか」という発見があれば嬉しく思います。

 最後に,本書はあくまで出発点です。ここに示した方法論が,それぞれの臨床現場で検証され,修正され,発展していくことを期待しています。患者の主観世界を大切にしながら,同時に医学的な妥当性も保つ。この両立は簡単ではありませんが,不可能でもありません。本書が,その可能性を探る一助となることを願っています。
 診察室で,病棟で,在宅で,今日も患者と向き合う医療者の皆さんへ。患者の語りに耳を傾け,その体験を理解しようとする皆さんの日々の実践に,本書が少しでも役立つことを心から願っています。

 2026年夏
 尾藤誠司


Sさんとの思い出──あとがきにかえて

 Sさんが私の外来にやってきたのは,もう20年ほど前のことになります。
 50代の男性。生活保護。カルテには糖尿病,高血圧,慢性心不全,慢性腎不全という病名が並んでいました。初診時の検査値を見て,正直「こりゃあかん」と思いました。慢性疾患のデパートとでもいうべき状態でした。
 「なんでこんなになるまで放っておいたんですか」。そんな言葉が口をついて出そうになりました。でも,Sさんの表情を見て,その言葉を飲み込みました。逆切れされそうな予感がしたのです。恐る恐る,「いままで,これらの病気で病院とかに通院していたことってありますか?」と問いかけました。なぜか,その時から波長が合ったのでしょうか。Sさんは少しずつ,自分の話をしてくれるようになりました。
 「これまで,医師や看護師から『生活保護の,人生に失敗した人』『ちゃんとセルフケアできない人』って,いろんな言葉で傷つけられてきた」「自分をこんなふうに育てた親を憎んでいる。いつか親に復讐したい。復讐のために生きている」「人生,楽しいことは何もない」「自分が行った高校に劣等感がある」「社会で自分が30秒以上話をする人は3人だけ。生活保護の行政担当者,調剤薬局の薬剤師,あと先生(私)」。
 どの話も,正直なところ,私には全然理解できない内容でした。親への復讐心,人生への絶望,極度の社会的孤立。医学部で学んだどの教科書にも,こうした語りへの対処法は書かれていませんでした。
 でも,何度も外来でお会いするうちに,少しずつSさんの人生の履歴が見えてきました。彼がなぜそうなったのか,どんな出来事の連鎖が彼をここまで追い詰めたのか。「無理もないのか」という気分になってきたのです。これは妙な感覚でした。理解したというよりは,関心が部分的に重なった,というような感覚です。

 Sさんには不思議な習慣がありました。毎回,新聞の切り抜きを持ってきてくれるのです。内容は何のことはない,胡散臭い健康情報ばかり。そのうえで「先生,これ知ってますか?」と切り抜き記事の内容を得意げに私に講釈してくれるのです。私が「勉強になります」と言うと,本当に嬉しそうな顔をしてくれました。医師の知識の蓄積に自分が貢献できることが,彼にとっての小さな誇りだったのかもしれません。
 何度も心不全や感染症で,どう考えても入院が必要な状態になりました。しかし入院を勧めるたび,Sさんは頑なに拒否しました。「入院するなら死にます。いままでさんざん心無い医療者にひどい目にあわされ続けてきた。入院したらきっと同じような目にあうのは明白。そんな目にあうなら死にたい」。
 結局,ギリギリのところで何とか外来で粘り続けました。医学的には正しくない選択でした。でも,Sさんにとっての「正しさ」は,別のところにあったのです。
 腎不全が進行し,透析の選択肢についても医学的に考慮されるようになってきました。Sさんの返答は明確でした。「両親に復讐するまで生きられればいい」。
 そのモチベーションが,彼の人生をつないでいました。私に言えるのは「そうですね」という相槌くらいでした。医学的な助言でも,倫理的な説得でもなく,ただその出来事をともに保持すること。それが私にできる唯一のことでした。

 私が担当して10年くらい経過したある冬の日,警察から電話がかかってきました。Sさんが自室で息を引き取ったという報告でした。やるせない気持ちと,どこか安心した気持ちが混在している自分がいました。その複雑な感情を,私はいまも整理できていません。
 おそらく,その時から私の中で「患者を取り巻く出来事」への関心が芽生えたのだと思います。病名や症状ではなく,その人の人生に起こった出来事として病いを理解すること。それらを丁寧に取り扱うことが,医者としての職能の一部なのだという認識が,少しずつ形になっていきました。Sさんにとって,私はいい医者だったのか,そうでなかったのか,いまだによくわかりません。医学的には最善とはいえない選択を,私は何度も許容しました。それは,「患者の意向の尊重」というような体のいい反応ではなかったと思いますが,とりあえず「ない袖は振れないけど,ある袖のあるだけ振ってみますね」みたいな感じでした。

 この本を書き上げて気づいたことがあります。私が勉強してきたこと,考えてきたことを,長い手紙としてSさんに届けたかったのかもしれない,と。もう届くことのない手紙ですが,本書はその履歴を織り込んだタペストリーなのだと思います。彼との10年ちょっとのやり取りが,おそらく医師としての私にとって最も濃い勉強の時間でした。医学的知識ではなく,人間の複雑さ,出来事の重層性,そして医療が持つ限界と可能性について,Sさんは身をもって教えてくれました。本書で述べてきた「出来事中心の医療」は,Sさんとの日々から生まれた視座です。Sさんが私に残してくれた宿題への,いまの私なりの答えです。
 Sさん,ありがとう。あなたとの出会いがなければ,この本は生まれませんでした。新聞の切り抜きを渡してくれるあなたの嬉しそうな顔を,いまも鮮明に覚えています。

2026年夏
尾藤誠司

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はじめに

第1章 出来事中心の医療の考え方と総論的技法
 1 本書の目的と主要概念
 2 臨床医にとっての「体験を知る技術」とは何か?
 3 分析的理解と物語的理解
 4 共同意思決定における「医学的根拠」と「体験知」の統合
 5 体験を理解するための多元的な視座
 6 出来事中心の医療とは何か
 7 出来事中心の医療の実践
 8 患者の体験を知るためのインタビュー技術
 9 聞き出した体験を臨床意思決定にどう反映させるか
 10 出来事中心の医療とトラウマ・インフォームド・ケア
 11 当事者自身のセルフケアを前提としたケア環境の中での医療
 12 医師自身の感情労働とリフレクション
 13 AIとともにある時代の医療者像

第2章 出来事中心の医療の実践──健康問題別各論
 1 糖尿病
 2 慢性閉塞性肺疾患(COPD)
 3 終末期がん
 4 乳がん(HBOC遺伝関連を含む)
 5 過敏性腸症候群
 6 慢性疼痛,線維筋痛症,ME/CFS
 7 アトピー性皮膚炎
 8 気管支喘息
 9 認知症(ケア提供者)
 10 薬の副作用による有害事象

第3章 出来事に向かう臨床の技法──実践ツール集
 1 「患者に向かう」から「出来事に向かう」への転換
 2 出来事中心の医療に基づいた対患者コミュニケーション実践例
 3 カルテ記載における出来事の記述法──三軸記録による意識変革

Sさんとの思い出──あとがきにかえて

索引

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医療実践の座標変換―患者中心から出来事中心へ
書評者:榊原 英輔(東大大学院臨床神経精神医学)

 本書は,疾患中心・検査結果中心の診療の中で見落とされがちな,病の主観的体験,患者の生活上の懸念,説明モデル,セルフケア,価値観,感情などをすくい取り,質の高い医療を実践するための指南書である。本書で取り上げられる着眼点や技法の多くは,共同意思決定,患者中心の医療,価値に基づく診療,ナラティブ・メディスンなどで繰り返し論じられてきたものであり,それ自体は目新しくない。だが本書は,「人が問題なのではなく,問題が問題である」というナラティブ・アプローチの原則を踏まえ,「出来事」を中心に置くという座標変換によって,従来の理論に新たな見通しを与えている。

 ここでいう「出来事」とは,「治療をめぐる家族との確執」「処方薬の飲み忘れ」「突然のがん告知」などの,患者が直面する困り事や事件を指す。出来事は患者の人生の物語を構成する要素である。その意味を尋ねれば,患者の説明モデルやナラティブが浮かび上がる。また,出来事をどう受け止め,どう対処し,周囲の人がどうかかわったかを尋ねることで,価値観や感情,自己対処の工夫,ケアのネットワークも見えてくる。つまり,出来事を診療の「原点」とすることで,従来から言われてきた患者中心の医療やナラティブ・メディスンを実践する道筋が得られるのである。

 この発想は,実は認知行動療法の実践とも符合する。認知行動療法では各セッションで話し合うアジェンダを設定するが,それは本書でいう「出来事」に近い。問題を特定の日付や場所と結び付いた具体的な対象として言語化し,外在化することは,問題解決の出発点である。出来事を中心に据え,患者と医療者がそれに対して同じ視座から取り組むことで,医療者は「一方的に評価し指導する専門家」から「共に困り事をやりくりする協働者」へと変わっていくのである。

 さらに本書では,糖尿病,慢性閉塞性肺疾患,終末期がん,過敏性腸症候群などの疾患ごとに,典型的に生じやすい病の体験や対人関係の変化,セルフケア,医療者とのすれ違いを,著者の臨床経験と質的研究の文献に基づいて解説している。これらの情報は,安直ではあるかもしれないが,患者のナラティブや生活世界を読み解くための「虎の巻」として有用である。また,限られた診療時間の中に出来事中心の要素を取り込むために,「この診断を受けてから,生活の中で変わったことはありますか?」などの具体的な質問の仕方も豊富に例示されている。声かけのタイミングについての議論も実践的である。継続的に患者や家族とかかわる主治医は,一回の診察に十分な時間を割けなくても,声をかけるタイミングを選ぶことはできる。重大な疾患の告知後,治療方針に齟齬が生じたとき,あるいは患者が「特に困り事はありません」と淡々と語ったとき―そうした瞬間をどうとらえるかが丁寧に示されている。本書は理論書であると同時に,臨床の知恵(clinical pearls)が随所にちりばめられ,明日から出来事中心の診療を始められそうな気にさせてくれる一冊である。

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