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賢者は歴史に学ぶ?
医療者のためのリベラルアーツのススメ
本郷 和人氏に聞く
インタビュー 本郷和人
2026.09.08 医学界新聞:第3589号より
令和4年度改訂版の医学教育モデル・コア・カリキュラムでは,「プロフェッショナリズム」の学習目標に「教養(リベラルアーツ)」が加わるなど,医学教育において教養への関心が高まっている。そうした中で今年4月,日本中世史研究の第一人者である本郷和人氏が藤田医科大学(註)の特命教授・リベラルアーツセンター長に就任した。
高度な専門知識・技術が求められる医療者に,なぜ教養が必要なのか。本郷氏は,「教養がもたらす心のゆとりこそが,患者への温かい眼差しにつながる」と語る。世間の価値観から自由になるためのリベラルアーツの真髄と,人間を知る歴史学の思考,そして,リベラルアーツセンター長として本郷氏が描く絵図とは。
固定観念や他人の視線から「自由」になるための教養
――本郷先生は,教養をどのようにとらえているでしょうか。
本郷 「人を自由にしてくれる知識や視点」だと解釈しています。人類が獲得した最も素晴らしい価値観は,自由,平等,そして平和であり,歴史を重ねて守ってきた自由を手に入れるためにこそ,教養が必要だという感覚があります。
しかし現代社会は,お金や経済的な合理性に縛られがちです。「その学問でいくら稼げるのか」「お金にならない研究に予算は割けない」という話になりがちで,経済的対価を求められることで教養の価値が低下しているのは非常に悲しいことです。
ただこんな世の中だからこそ,本当の意味で教養を学ぶ必要があります。教養は,世の中の固定的な価値観から私たちを解き放ち,自分の世界をつくる助けになります。自分なりの「真・善・美」の基準を持てれば,人に何を言われても簡単には揺らがないし,他人の評価や視線に振り回されずに済みます。
実は僕自身,パニック障害に苦しんでいた時期が10年以上ありました。今となればどう考えても自意識過剰ですが,当時は他人の目を極端に気にして,電車に乗っていても周りの人全員から見られている気がしたのです。そうした状態から抜け出す上でも,教養から得た価値基準が,自分をしがらみから解き放ってくれた感覚があります。
――ネットやSNSを通じた同調圧力がさらに高まっている昨今,そのような感覚は特に必要かもしれません。
本郷 ええ。この前,本学の池に泳ぐ鯉に魅力を感じて少し調べてみたんです。すると,錦鯉の世界では大きいほど価値があり,1メートル級の鯉が格好いいとされている。しかし個人的には,小ぶりな鯉が勢いよく泳ぐ姿のほうがよっぽど素敵だと感じます。1匹数百万もする鯉がいる一方で,そうした鯉なら1万円ほどで手に入る。世間が共有する妙な価値感から離脱し,いわば脱構築できれば,高いお金をかけなくても人生を十分に,そして豊かに楽しむことができるはずです。
歴史を学ぶことで身につく考え方のプロセス
――本郷先生は日本中世政治史がご専門です。歴史を学ぶことで,私たちは何を得られるのでしょうか。
本郷 ビスマルクは「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残しました。自分の経験だけに頼らず,過去の人々がどのような状況で何を考え,選択し,結果へ至ったのか。事象を一度客観的に突き放して考え,未来への教訓として生かせることが,歴史を学ぶ意義と言えるでしょう。しかし,これは建前です。
本音を言えば,歴史を直接自分の人生に生かすのは難しい。現実の出来事や経験は種々様々で,例えば「戦に負けた」といっても原因はいろいろですから,歴史を学べば同じような場面で正解がわかるというものではありません。極論を言えば,歴史は何の役にも立たないともいえるかもしれません。
でも,それでは僕たち歴史研究者の存在意義がなくなってしまいますので……。大切にしたいのは,歴史的事例を参考にしながら,原因と結果を結びつけて考えるプロセスそのものが,われわれにさまざまな気づきを与えてくれるということです。ある事象に直面したとき,何が原因で,どのような結果を招いたのかをきちんと把握する。その思考の癖をつけることは,どんな分野に進んでも役に立つはずです。
――先生自身は,歴史の何に面白さを感じているのでしょうか。
本郷 最初から,ただただ面白かったんです。勉強している感覚すらなくて,空き時間にスマホを見るように歴史の本を読んでいました。結局,僕は人間を知るのが好きなんです。「昔はどんな人がいて,なぜこんなことをしたんだろう」と考えるのが楽しい。僕にとって歴史を学ぶことは,人間そのものを知るための営みでもあります。
原点回帰!医療者が教養を学ぶ
――専門知識・技術の修得が優先されがちな医療者教育において,教養を学ぶことにはどのような意義があると考えていますか。
本郷 歴史的に見れば,医療者が教養を学ぶのは原点回帰とも言えます。日本で医師という職業が成立していく戦国時代頃,彼らは儒学者でありながら医師でもあるのが普通で,最高の知識人でした。まさにリベラルアーツを体現する人々だったと言えるでしょう。
ところが現代では国家試験に向けた勉強に追われ,教養は二の次です。しかし,医療者は生きている人間に対して働きかけをする仕事です。人間とはいかなるものかという視点がなければ,せっかくの技術が台無しになってしまうような気が僕はしています。人間に対し深い興味や理解を持ち,人を助けることや医学の発展を大きな視野で考えられる医療者であることは,患者さんにとってはもちろん,社会にとっても実に素晴らしいことです。
――人間を知るための教養は,これからますます重要になりそうですね。
本郷 そう思います。AIが知識や技術の一部を担うようになれば,逆に人間を理解することや思いやりの部分がより大切になってくるでしょう。
教養といっても,そこまで身構える必要はありません。僕がかかわっている『やばい日本史』(ダイヤモンド社)のような本は,「ラブレターを見せびらかしてモテ自慢する土方歳三」「原稿用紙に鼻毛を植えまくる夏目漱石」といった,一見すると学問的にはどうでもいい「小ネタ」の集まりですが,小ネタも積み重なればもちろん教養になります。一見くだらないネタや人間の機微を拾い上げ,組み合わせるところでは,まだまだ人間のほうがAIよりも深い味を出せます。まずは自分が面白い!と感じたところから,興味を広げてみてはいかがでしょうか。
教養が育む心のゆとりが他者への優しさを生む
――藤田医科大学のリベラルアーツセンター長への就任後は,どのようなことに取り組まれているのでしょうか。
本郷 私が着任する以前から既に素晴らしい授業を担当されている先生方がいますので,センター長として,大学や地域にどう貢献できるかを考えています。柱は3つです。
1つ目はYouTubeでの発信です。学問的な面白さを伝える真面目な動画からエンタメ色の強い内容まで,本学から発信していきます。2つ目は東海地域を中心とした講演活動。大学病院は地域との信頼関係が必要不可欠ですからね。そして3つ目は,歴史の舞台を巡るバスツアー「藤田医科大号」の企画です。その場所にまつわる物語を知ることで,歴史はもっと面白くなります。
こうした活動を通じて,地域の方々とのかかわりを深めていきたいです。
――先生ご自身が現場に足を運び,地域の人々と対話されるのですね。
本郷 僕の恩師である歴史学者の石井進先生(東大名誉教授)が,「足偏の歴史学」を標榜して各地を巡り,地域の人々と歴史を探訪する活動を大切にされていました。若い頃は,象牙の塔にこもってもっと体系的な学問をすればいいのにと思っていましたが,歳を重ねるにつれ石井先生の行動の意図がわかってきました。象牙の塔から出て一人ひとりに語りかけないと,歴史という学問は死んでしまう。歴史研究は,地域の方への語り継ぎと対話が必要なのです。
*
本郷 医療者の方には,人間に対する温かい眼差しを持ってほしいと思います。もちろん,医療現場は多忙を極め,常に心のゆとりを持つのが難しいことは十分に承知しています。しかし,そんな環境だからこそ,教養を身につけることが自分自身の心のゆとりにつながると信じています。そしてそのゆとりこそが,他者への優しさや,温かい眼差しを育む土壌になるはずです。決して義務として押しつけるつもりはありません。まずは純粋に,楽しみながら学んでほしい。僕は,そのためのサポートなら全力でしていくつもりです。
(了)
註:藤田医科大学リベラルアーツセンターは,医療の専門知識だけでなく,歴史学や近現代文学,宗教,芸術など幅広い教養を主に1・2年次に学び,多様な価値観を理解できる人材を育むために設立された。学生・教職員への教育はもちろん,地域や次世代を担う子どもたちへの教育・講演活動を通じ,地域社会への貢献も目指す。

本郷 和人(ほんごう・かずと)氏 藤田医科大学 特命教授・リベラルアーツセンター長
1960年東京都生まれ。専門は日本中世政治史,古文書学。東大史料編纂所教授を長年務め,1901年から刊行が始まった,古文書や日記を年代ごとに整理した史料集『大日本史料』の第5編の編纂を担当。大河ドラマ『平清盛』など,ドラマやアニメ,漫画の時代考証にも携わる。2026年に藤田医大特命教授・リベラルアーツセンター長に就任。著書に『インテリジェンス関ヶ原』(文藝春秋),監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。
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