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『記憶障害の診かた』より

石原健司

2025.06.13

高次脳機能 / 神経心理学は「どうもよくわからない」と苦手意識を持つ方も少なくない領域ですが,同時に,奥深く,探求しがいのある領域であるとも言えるでしょう。『記憶障害の診かた』は,日本神経学会学術大会で開催されているハンズオンセミナー「高次脳機能の評価と解釈」の講義内容をベースに,初学者でも理解できるよう基本的な内容からスタートし,読み進めるに従って臨床場面でも応用できる内容として書籍化したものです。記憶・記憶障害のメカニズムを知りたい全ての人に役立つ一冊となっています。

「医学界新聞プラス」では,本書より「記憶の分類」「記憶障害の分類」「記憶障害を生じる脳病変部位と疾患」各章の冒頭に加えて,症例1つをピックアップし,ご紹介します。

第3章 記憶障害を生じる脳病変部位と疾患

 本章では一気に情報量が増えるように思うかもしれませんが,必要なのは基本的に次の3点だけです。①記憶障害のタイプ,②それを生じる脳部位,③それを生じる代表的疾患。①は前章までにみてきましたし,③についても,それとなく触れてきたものが含まれていますので,心配はいりません。

 つまり本章でまず押さえるべきは,②の脳部位がどこなのかということです。それとともに②脳部位を媒介として,①記憶障害のタイプと③それを生じる代表的疾患を結びつけられるとより実践的な知識になります。例えば,「エピソード記憶障害(①)は側頭葉内側部(②)の病変で起こる」→「側頭葉内側部(②)が障害されやすいのは単純ヘルペス脳炎とアルツハイマー病(③)」→「エピソード記憶障害(①)は単純ヘルペス脳炎とアルツハイマー病(③)で起こりやすい」というような流れです。

 まずは,この3つを意識して本章を読み進めると頭の中が整理しやすいと思います。そして本章を読み終えた後,改めて表3―1を眺めてみてください。

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表3-1 本章で取り扱う脳病変部位と代表的疾患

イントロダクション:記憶と関係する脳のシステム

 「記憶」は脳内にどのような形で蓄えられているのでしょうか?

 筆者も以前(心理学,医学を学ぶ前)は図3-1の左のようなイメージを考え,記憶は脳のどこに貯蔵されているのか,不思議に思っていました。酒田英夫先生の『記憶は脳のどこにあるか』[岩波書店,1987]を読んだ後も,「記憶は海馬という場所に蓄えられているのか」と半分誤って解釈していました。現在は「中枢神経系における多数の神経ネットワークシステムが記憶と関係している」と文面では理解していますが,実際に神経ネットワークシステムがどのように記憶の形成,想起と関係しているのか,具体的なイメージとしてはつかみきれていません。

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図3-1 記憶の脳内表象のイメージ1
左の図はそれぞれの情報が仕分けられ,個々の記憶として貯蔵されているイメージ,右の図は神経細胞のネットワークとシナプス(神経細胞のつながり)をイメージしたものです。
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 神経ネットワークというのは,膨大な数の神経細胞がシナプス(神経細胞どうしの接合部)を介して情報伝達しながら,全体として機能している,というイメージです(図3-2)。塚原仲晃先生の『脳の可塑性と記憶』2)には次のように書かれています。

 「記憶は,記銘(書き込み),保持,そして再生の三つの過程から成る。記憶は,脳の内にある種の変化,記憶痕跡(エングラム,engram)を残すと考えられている。このエングラムなるものは一体何であるのかが,多くの研究者が日夜追い求めているものであり,これを実体としてとり出すことが,現代の科学に残された大きな課題なのである。いままでは,このエングラムは全く謎に包まれていたが,現在は脳の可塑性,特に神経細胞と神経細胞の継ぎ目,シナプスにこの秘密を解く鍵があることははっきりしてきている。」

[塚原仲晃『脳の可塑性と記憶』,p.113]

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図3-2 シナプスと情報伝達

 特定の神経細胞や脳領域だけが記憶情報を貯蔵しているのではなく,シナプスを介した神経細胞の結びつき全体が,機能的なシステムとして記憶情報を記銘,保持,再生できるようにしている,ということになります。

 とは言っても,具体的にイメージするのは難しいですね。次項からは,どのような記憶が,どのような脳部位と関係しているのか,その部位はどのような疾患で障害されやすいのか,をみていきます。

 なお,脳機能と関係する脳部位を調べるための方法として,限局性の脳損傷事例 (ある特定の脳部位だけが損傷した事例)にみられた症状から,症状の責任病変 (障害された症状と関係する脳部位)を推定する,という方法があります。神経心理学の嚆矢とされるBroca(ブローカ)による剖検例の報告は,「Tan(タン)」という発語しかできなくなった患者さん(「Tan」氏と呼ばれます)の脳を病理学的に検索し,左前頭葉後下部の損傷が言語症状〔「Tan」氏の場合はaphemia(純粋語啞)と呼ばれる〕の責任病変であった,すなわち左前頭葉後下部は発話と関係している,と推定したものです。現在は剖検による検索よりも脳画像を用いた病巣検索が一般的ですが,病巣と症状の対応 ,という考え方は同じです。脳のある部位が損傷された事例ではこのような記憶障害がみられた,という事実から,記憶障害の内容と関連する脳部位を推定します。このため,以下の記載は脳損傷事例から得られた知見をもとにしたものである,という点について,ご理解ください。

文献

2)塚原仲晃:脳の可塑性と記憶.紀伊國屋書店,1987,p.113

 

記憶障害をどう診るか、記憶のしくみから検査法まで、やさしく深く丁寧に解説!

<内容紹介>
《シリーズ 高次脳機能の教室》第1弾! 認知症をはじめとするさまざまな疾患で生じる記憶障害=健忘を、誰にでもわかる言葉で丁寧に解説した最良の入門書。記憶にはどんな種類があり、それが障害されると何が起こるのか? 脳のどの部位が損傷すると記憶が失われるのか? 診断や検査の方法は?臨床に必要な知識を網羅しながらも、やさしく深く楽しく解説。記憶の仕組みと記憶障害のメカニズムを学びたいすべての人へ。

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