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医学界新聞プラス
[第2回]記憶障害の分類
『記憶障害の診かた』より
連載 石原健司
2025.06.06
記憶障害の診かた
高次脳機能 / 神経心理学は「どうもよくわからない」と苦手意識を持つ方も少なくない領域ですが,同時に,奥深く,探求しがいのある領域であるとも言えるでしょう。『記憶障害の診かた』は,日本神経学会学術大会で開催されているハンズオンセミナー「高次脳機能の評価と解釈」の講義内容をベースに,初学者でも理解できるよう基本的な内容からスタートし,読み進めるに従って臨床場面でも応用できる内容として書籍化したものです。記憶・記憶障害のメカニズムを知りたい全ての人に役立つ一冊となっています。
「医学界新聞プラス」では,本書より「記憶の分類」「記憶障害の分類」「記憶障害を生じる脳病変部位と疾患」各章の冒頭に加えて,症例1つをピックアップし,ご紹介します。
第2章 記憶障害の分類
本章ではまず,記憶障害の発症より前のことを思い出せないのか,発症後のことを覚えられないのかという時間関係に基づく記憶障害の分類(前向性健忘および逆向性健忘)について理解します。これは記憶障害を診るうえで基本的な視点の1つとなります。そして,第1章で学んだ記憶の分類に基づいて,それぞれの記憶が障害されると,どのような症状がみられるのか,エピソード記憶の障害,意味記憶の障害,手続き記憶の障害の内容を紹介します。臨床的によく遭遇するのはエピソード記憶の障害ですので,この特徴を理解することが肝要です。
また,遭遇する機会は多くありませんが,臨床的には重要と考えられる特殊な記憶障害として,一過性全健忘,てんかん性健忘を紹介します。最後に,記憶障害と鑑別が必要となる失語,失認との相違,記憶障害と似た症状を呈する作話,見当識障害などについても説明します。少し難しいかもしれませんが,記憶障害の「面白い」ところでもありますので,ぜひ目を通してみてください。
イントロダクション
第1章の内容を受けて,この章では記憶障害の分類について説明します。基本的には記憶の分類に対応して記憶障害の分類が行われることになりますが,第1章では扱われなかった別の要素が出てきます。それは「記憶障害の原因となる疾患との時間関係」,つまり発症から遡って記憶が障害されるのか(思い出せない),発症後に記憶が形成できなくなるのか(覚えられない),という視点です。

過去の事象を想起できないのか,新たな事象を覚えられないのか
記憶障害の原因となる疾患の発症を起点として,発症前の記憶を想起できない場合を逆向性健忘,発症以後の記憶を形成できない場合を前向性健忘と呼びます。逆向性健忘は発症前に獲得した記憶の想起障害,前向性健忘は発症後の新たな記憶形成の障害といえます。
ここで,健忘という言葉が出てきました。臨床場面では健忘と記憶障害を意識して区別することはせず,同義語のように用いていますが,健忘の定義は「宣言的記憶の障害」になります。
なお,原因となる疾患が発症した直後は,特に急性疾患(脳血管障害,脳炎,頭部外傷など)の場合,意識障害を合併していることが多く,そもそも普通の会話をすることができないので,記憶を想起あるいは形成することは困難である,という点に注意する必要があります。この時期は>急性錯乱状態(acute confusional state)と呼ばれ,記憶障害の評価の対象からは外れます。急性疾患の発症直前の記憶も,想起が困難である場合が多くみられます。
また,記憶に限局した障害がみられ,記憶以外の知的機能が保持される病態を純粋健忘症候群と呼びます。この病態では前向性健忘および逆向性健忘の両者がみられます(即時記憶は保持されます)。その一方で,報告例は少ないものの,前向性健忘のみがみられる病態,逆向性健忘のみがみられる病態も存在し,それぞれ純粋前向性健忘(孤立性前向性健忘),孤立性逆向性健忘と呼ばれます。
なお,前向性健忘および逆向性健忘は,宣言的記憶を対象とした分類であり,手続き記憶についての「逆向性の障害」という概念は一般的ではありません。「手続き記憶すべてを侵す逆向性障害というものは報告されていない」4)[山鳥重『記憶の神経心理学』,p.110],とされています。数十年ぶりに自転車に乗ったところ,ちゃんと運転できた,イチロー選手が,50歳を超えても130 km/時を上回るスピードボールを投げられる,などのエピソードは,いったん獲得した技能が終生保持されることを示唆しています。臨床の場で手続き記憶の評価を行う際は,新たな技能を獲得できるかという観点,すなわち「前向性の障害」が存在するか,を診ることが多いようです。
▶column 失行と手続き記憶の障害
運動機能や認知機能に障害がなくても,目的に沿った行為を遂行できない,失行という症状があります。
・肢節運動失行:後天的に獲得した習熟動作(机の上のコインをつまむ,ポケットに手を入れるなど)の障害
・観念性失行:日常的な道具を使用する能力の障害(前提として,道具の意味記憶は保持されています)
肢節運動失行および観念性失行を,習熟動作あるいは道具使用についての手続き記憶の障害と考えれば,いずれの手続き記憶も,原因となる疾患の発症以前に獲得したものであるため,失行症状は手続き記憶の逆向性障害である,と捉えられるかもしれません3)。
エピソード記憶の障害
最も広くみられる記憶障害のタイプで,「物忘れ」と呼ばれる症状はほとんどの場合,エピソード記憶の障害を意味します。記憶障害を呈する代表的な認知症疾患であるアルツハイマー病では,エピソード記憶の障害がメインの症状となります。診察時にしばしば聴取される「同じことを何度も言う」という症状は,自分が言ったことを記憶できない(そのために数分前に言ったことを忘れている),という前向性健忘の存在を示しています。
検査者:今朝は何を食べましたか?
患 者:あれ,何を食べたっけなあ……。
➡朝食を摂ったエピソードを覚えていない
検査者:(再診の患者さんに)前にここで私と会ったことがありますか?
患 者:いえ,今日が初めてです。
➡前に検査者に会ったエピソードを覚えていない
認知症のスクリーニング検査として用いられる長谷川式認知症スケール(詳細は第4章参照)で,3単語の直後再生は可能(即時記憶はある程度保たれている)でも遅延再生はできない,というのも,前向性のエピソード記憶の障害と考えられます。典型的なアルツハイマー病の患者さんでは,次のようなやりとりがみられます。
検査者:これから私が言う3つの言葉を覚えてください。後でもう1度言ってもらいますので,よく覚えておいてください。さくら,ねこ,電車。
患 者:さくら,ねこ,電車。
検査者:はい。合っています。
➡即時記憶は保持されている
検査者:では,100から7を引くと?
患 者:93。
検査者:そこから7を引くと?
患 者:……87?(正解は86)
➡繰り下がりのある計算はできないことが多い
検査者:今度は私が言った数字を逆に言ってください。6,8,2。
患 者:2,8,6。
検査者:3,5,2,9。
患 者:9,2,3,5(正解は9,2,5,3)。
➡4桁の数字の逆唱は難しいことが多い
検査者:では,さっき私が言った3つの言葉を言ってみてください。
患 者:あれ,何だったっけな……覚えていない……。
➡近時記憶は障害されている
その一方で,認知症の患者さんが昔のことはよく覚えている,ということも稀ではありません。この場合,逆向性健忘はみられないか,発症前の比較的短期間に限られている,ということが推測できます。なお,認知症などの神経変性疾患は,ゆっくりと進行し,初期症状も正常と区別することは難しいことが多いため,発症時期を厳密に特定することは困難です。
文献
3)田辺敬貴,中川賀嗣:失行.精神科MOOK No. 29.神経心理学.金原出版,1993,pp.130-145
4)山鳥重:記憶の神経心理学〈神経心理学コレクション〉.医学書院,2002,p.110
記憶障害の診かた
記憶障害をどう診るか、記憶のしくみから検査法まで、やさしく深く丁寧に解説!
<内容紹介>
《シリーズ 高次脳機能の教室》第1弾! 認知症をはじめとするさまざまな疾患で生じる記憶障害=健忘を、誰にでもわかる言葉で丁寧に解説した最良の入門書。記憶にはどんな種類があり、それが障害されると何が起こるのか? 脳のどの部位が損傷すると記憶が失われるのか? 診断や検査の方法は?臨床に必要な知識を網羅しながらも、やさしく深く楽しく解説。記憶の仕組みと記憶障害のメカニズムを学びたいすべての人へ。
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