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全学部の新入生3000人が学ぶ命の守り方

取材記事

2026.06.09 医学界新聞:第3586号より

 京都大学では毎春,新入生ガイダンスの一環として,約3000人に及ぶ全新入生を対象とした救命救急講習を実施している。医療系学部に限定せず全学規模で実践的な心肺蘇生講習を行う取り組みは,全国的にも珍しい。本紙では今年度の講習の模様を取材するとともに,2015年の立ち上げ時から本プロジェクトのコーディネートを行う西山知佳氏(京大大学院医学研究科准教授)に,これまでの歩みと継続の秘訣を聞いた。

 2026年4月上旬,京都大学吉田南キャンパスにて,新入生を対象とした救命救急講習が開催された(写真1)。本講習は2015年の開始からこれまでに約3万人の学生が受講しており,同大における春の恒例行事として定着している。

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写真1 講習は400人近くが収容できる教室で行われた

 「ご入学おめでとうございます。今日は1時間,講習を最後まで楽しんでいってください」。マイクを握り新入生に語りかけたのは,講習のインストラクターを務める島本大也氏(京大大学院医学研究科特定講師)だ。取材した講習の対象は307人の農学部新入生。講習の冒頭では,AED(自動体外式除細動器)に録音された心停止現場の実際の音声とともに心肺蘇生を学ぶ重要性を伝えるメッセージビデオが流され,学生たちは真剣なまなざしで視聴した。

 講習は1回60分で1日2回,3日間にわたって新入生約3000人に指導を行う。講習のベースとなっているのは,NPO法人大阪ライフサポート協会が普及を推進する「PUSHコース」である。胸骨圧迫とAEDの使い方を,親しみやすいアニメのDVD教材と心肺蘇生のトレーニングキット「あっぱくん®」(写真2a)を用いて学ぶ45分間のコースだ。インストラクターの進行に合わせ,学生たちは2人に1台用意された「あっぱくん®」で同時に練習するため,多人数でも実技を含む講習を効率的に行える。同コースは西山知佳氏らがランダム化比較試験(RCT)で教育効果を検証したプログラムであり1),短時間で効率よくスキルが修得できるよう設計されている。

 「市民にとって人工呼吸の手技修得は難しく,見知らぬ人が倒れた際に実施するにはハードルは高いと言えます。胸骨圧迫だけでも助かる可能性を高められるので,今回は胸骨圧迫を重点的に学びましょう」と島本氏は学生たちに強調する。説明動画のテンポに合わせて学生たちが一斉に胸骨圧迫の練習を始めると(写真2b),「ピッ,ピッ」と,正しい力で押せたことを知らせる音が会場中に響き渡った。

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写真2 心肺蘇生トレーニングキット「あっぱくん」(a)と,胸骨圧迫に取り組む学生(b)
ハートの形をした胸骨圧迫用の模擬心臓とAEDパッドの見本がセットになっている。胸骨圧迫の練習では「思ったより力が必要だな」と,楽しみながらも苦戦する学生たちの姿が見られた。
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 そもそも,なぜ同大はこれほど大規模な講習を導入したのか。講習の立ち上げから運営に携わる西山氏はこう説明する。「2013年,ある運動部で活動中に心停止を起こした学生がいました。居合わせた医療系専攻の学生が心肺蘇生を行ったことで,倒れた学生は救命されました。その後,私が所属する専攻に対して大学から『学生向けに心肺蘇生の講習を提供できないか』と打診があり,まずはスポーツ実習の履修学生を対象にPUSHコースを試験的に実施しました。それがこの講習の始まりです」。

 スポーツ実習の履修学生に向けた講習は教職員からも非常に好評を得た。心停止はいつ,どこで,誰に起こるかわからない。西山氏をはじめ救命救急講習プロジェクトチームメンバー(以下:あっぱくんメンバー)は全ての学生が心肺蘇生の手技をできるようにならなければ意味がないと大学に訴え,学内での調整に奔走した。メンバーらの強い思いが多くの理解を得たこともあり,2015年から全新入生が必ず参加する新入生ガイダンスに講習を組み入れることが実現した。

 3000人規模の講習を継続するには個人の熱意だけではなく,仕組み作りが欠かせない。プロジェクト全体の計画立案や運営は,医学研究科人間健康科学系専攻を中心に,社会健康医学系専攻予防医療学分野,初期診療・救急医学分野,人間・環境学研究科,国際高等教育院といった多部局の教員で構成されるあっぱくんメンバーが担っている。講習当日の運営には1日当たり60~70人ほどの教員がサポートスタッフとして参加し,全学規模の実施を支えている。手順書による講習の標準化と多部局連携に加え,事務職員からのサポートが10年以上に及ぶ継続を支えていると西山氏は語る。

 学生が2人1組で行うシミュレーションでは,1人が胸骨圧迫を行い,もう1人がAEDを使用する連携も学ぶ。「大丈夫ですか」「119番通報をお願いします!」と,初対面同士の学生が声をかけ合いながら真剣に取り組む姿が見られた。「ペアになった学生同士が半強制的にコミュニケーションを取らなければならないこともこの講習のポイントです。新入生同士の交流の場としても機能しています」と西山氏は述べ,新入生ガイダンスでこの講習を実施する意義を強調した。学生に当事者意識を持ってもらうため,講習の最後には学内のデータや事例を紹介している。過去に本講習を受けた京大生を対象にした調査では,25人に1人が学部在籍の4年間のうちに人が倒れた現場に遭遇していることがわかっている2)。2023年には経済学部の学生が心停止患者を救い,京都市消防局から表彰を受けた3)。特に先輩学生の大学生活の中で起きた出来事を示すことは,学生が心停止を「自分にも起こり得る場面」としてとらえる機会になっている。

 講習を終えた直後の新入生からは,「中学校や高校でも同様の講習はありましたが,大学生という大人に近い立場になって受けた今日は,『いざという時に自分が動かなければならない』という当事者意識をより強く持って臨むことができました。もしもの時は,自分が最初に動けるように頑張りたいです」と力強い感想があった。そのほかにも,講習内で流れた心停止直後の死戦期呼吸の映像について「教科書で学んだことはあったものの,実際の様子を映像で見ると思っていたより怖かったです。でも,実際にその場面に出くわしたら『あ,これだ』とすぐ判断して動けると思います」と,実践的な学びを得た様子も見られた。

 西山氏らは全国大学保健管理研究集会などで本講習の実践報告を重ねており,近年は取り組みを知る大学などから関心が寄せられているという。京大が12年にわたり蓄積してきた運営ノウハウは全て無償で公開されており(https://www.med.kyoto-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2026/05/20260402_4.pdf),導入のハードルは決して高くない。一方で学生やキャンパスの数など規模の異なる大学で同様の講習を行うには,予算や人的なコストの壁が立ちはだかることも事実だ。西山氏は「まずは運動部などのスモールグループから始め,学内の理解を得ながら拡大していくアプローチが有効かもしれません」と語る。

 本講習の最後には,「どれだけ完璧に救命処置をしても救命できない場合があり,結果が伴わなくても救助者に責任は問われない」ということが伝えられる。いざという時の行動に対する心理的なハードルは高く,救助後には不安を抱える場合も多いことから,救助者の負担に寄り添う姿勢が重要となる。西山氏は取材の最後に,「どこで誰が倒れるかわからないからこそ,誰もが救命処置のスキルを身に着けておくことが必要です。大学は,多くの若者が社会に出る前に学ぶ最後の教育機関です。学生のうちに救命処置を学ぶことは,卒業後の社会全体の救命力向上にもつながります。AEDが単なる箱にならないように,この取り組みを他の大学や組織にも広げていきたいです」と今後に向けた思いを力強く述べた。

 

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取材に応じる西山知佳氏

京都大学による救命救急講習の2026年度報告書はこちらからご覧いただけます。
https://www.med.kyoto-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2026/05/20260402_4.pdf

1)Acad Emerg Med. 2014[PMID:24552524]
2)Resuscitation. 2019[PMID: 31201883]
3)「新入生2人が心肺停止の男性を救助!その背景にあった,京大独自の取り組みとは」.ザッツ京大.2023.