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対談・座談会 植野 仙経,榊原 英輔

2026.03.10 医学界新聞:第3583号より

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 心理学者のリサ・フェルドマン・バレットは,古典的な情動理論を本質主義であると非難した上で,それに代わり得る理論として「構成主義的情動理論」を提唱した1)。著書How Emotions Are Made:The Secret Life of the Brain(邦題:情動はこうしてつくられる)は英語圏で10万部を超える売り上げを記録し,世界13か国で刊行されるなど注目を集めている。

 情動を構成主義的にとらえることは,精神科臨床に携わる医療者にとってどのような意味を持つのか。精神医学の哲学を専門の一つとする精神科医である植野氏,榊原氏両名による対談で,その示唆するところを探った。

植野 本日の対談では,バレットが提唱した構成主義的情動理論について,精神科臨床や医療一般にもたらされる示唆も含めて考えられればと思います。よろしくお願いします。

植野 バレットの理論について話す前に,バレットが情動についての本質主義()であるとして批判した古典的理論を確認しておきたいです。

榊原 いわゆる「基本情動理論」ですね。簡単に言うと,私たちの情動は基本的なカテゴリーに分けられ,それはヒトという生物種に普遍的であるという考え方です。

植野 私たちは喜怒哀楽といった感情を自分たちが持っていると思っていますし,実際にそうした感情を体験します。成人だけでなく,小さな子どもであっても泣いたり笑ったり,怖がったりします。また,自分や他人の感情を,少なくともある程度は感じ取ることができます。それは文化の違いや,時には生物としての種の違いを超えて成立することです。餌をもらった犬の仕草を見て,その犬が喜んでいると感じることもあるでしょう。喜怒哀楽といった基本的な情動は,年齢や性別,時代や文化の違い,さらには生物としての種の違いを超えた普遍的なものであって,同様の身体的あるいは神経的基盤によって成立していると考えるのが基本情動理論です。何を基本的な情動として考えるかは立場によってやや異なりますが,とにかく情動には基本的なカテゴリーがあると考えます。

榊原 心理学者ポール・エクマンが基本情動として挙げたものは,喜び・悲しみ・恐怖・怒り・驚き・嫌悪の6つです。この6つの感情に関しては,それぞれ特徴的な表情と一対一で対応していて,それが世界中どこでも変わらないとエクマンは主張しました。他の社会から隔絶されジャングルの奥地に住む人に,特定の感情に対応する人間の表情を写した写真を見せると,その表情がどの感情を示しているかを正しく選べるという研究結果が立て続けに出たため,文化等に依存しない生物学的に規定された基本的な感情が存在するとの主張が一世を風靡したというわけです。

植野 この見解のルーツはチャールズ・ダーウィンにまで遡ると言えますが,それが20世紀後半にエクマンによって広く研究され,科学としての心理学における一つの定説となりました。

榊原 こうした考えは,精神医学や臨床心理学の実践でも無意識の前提となっています。精神科医は抑うつ(悲しみ)がみられる患者さんに対して,DSMなどの国際的な診断基準に基づいてうつ病であるとの診断を下し,抗うつ薬を処方するといった治療を行います。その際に,悲しみや抑うつが実在する普遍的な情動であることに疑問を抱くことはまずありません。

植野 バレットはまさに,その前提に異議を唱えました。2006年に発表した論文2)で,バレットは基本情動理論を支えるとされるエビデンスを徹底的に検証します。表情と情動,自律神経系の生理学的な反応と情動が一対一で対応するという主張を一つひとつ取り上げ,科学的な裏付けが脆弱であることを示すのです。すなわち,情動とは生物学的にインストールされたものでもなければ,あらゆる文化を超えて存在する基本的なカテゴリーでもないと。その上でバレットが提案するのが,私たちの感情は構成されるという「構成主義的情動理論」です。

榊原 「構成される」というのがキーワードですね。バレットによれば,ある場面で私たちが経験する感情とは,コアアフェクト・外受容感覚・概念化・実行機能といった汎用的な心理プロセスの相互作用を通じて構成されるものです。コアアフェクトとは,内受容感覚すなわち身体内部からの信号が意識に上った状態であり,快不快(valence)と覚醒度(arousal)という二次元で表現されます。それが外界の知覚と組み合わさり,概念化のプロセスによって過去の経験の記憶と照合されながら感情カテゴリーへと分類されてゆく。実行機能はこれらのプロセスを制御し,統一的な感情経験を作り出す役割を担います。

植野 ポイントは,そうした構成のプロセスが言語や文化の影響を強く受けるという点です。例えば日本人は青信号の色を「青」と呼びますが,私たちの言う青信号は他の文化圏の人にとっては緑に見えるかもしれない。それでも私たちはその色を「青」として知覚している。感情も同様で,私たちが喜怒哀楽として体験しているものも,私たちがそういう言葉で切り分けているからそう体験されるのであって,その切り分け方は言語や文化によって異なり得ます。バレットによれば,基本的とされる情動であっても,それは変わらないということです。

榊原 バレットの議論の中で,タヒチの人々は「悲しい」に相当する語彙を持っていないという例が出てきます1)。そのためタヒチ人は,「私は悲しい」に相当する表現を口にしません。とはいえ,「悲しい」という語彙がないとしても,タヒチ人も悲しみの感情は当然持っていて,ただそれにぴったり当てはまるような言葉を持ってないだけだというのが,常識的な感情に対する理解の仕方だと思います。しかし,バレットの構成主義的情動理論では,そういう場面で「いや,悲しいという語彙がないのなら,彼らは悲しみを感じていないのだ」と主張します。それがバレットの理論の,常識的な考え方とは違う特異的なところだと考えています。

植野 バレットの理論では,感情の身体的基盤として私たちに備わっているのはコアアフェクトのみです。コアアフェクトは前述のとおり快不快と覚醒度という2つの軸からなる連続的な座標空間上に表現されます。私たちが喜怒哀楽として体験しているものは,この連続空間を言語によって区切ることで初めて構成されます。例えば座標空間のある領域を,日本人は「怒り」,米国人は「anger」と呼ぶ。それらの領域はほぼ重複するため,「怒り」や「anger」は普遍的・生得的なものに見えますが,バレットによればそうではありません。実在するのはコアアフェクトだけで,その成分は快不快と覚醒度の2つの連続変数のみ。喜怒哀楽のような離散的なカテゴリーは構成されるものであって,それらのカテゴリーに一対一対応する身体的基盤は実在しない,ということです。

榊原 バレットの言うように感情を構成主義的に考えたとき,精神医療における概念や実践はどのように変わり得る,ないしは影響を受けると考えられるでしょうか。

植野 1つ目は,「情動の粒度(granularity)」に関する話です。情動に関する語彙を細かくすることで,感情への対処が変わるかもしれません。ただ「怒っている」だけだと反射的に行動してしまいますが,「悔しい」「憎い」など,より細かく体験される情動を構成することで,違ったアクションにつなげられるかもしれません。感情の語彙を豊かにすることには治療的な価値がある可能性があります。

 2つ目は,精神科の診断についてです。バレット自身の体験談ですが,仕事や育児ですごく疲れているときに精神科に行ったら「うつ病ですね」と言われたことがあるそうです。彼女は「疲れているだけだ」と伝えたものの,医師は「うつ病」と...

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京都大学医学部附属病院精神科神経科 助教

京大大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2009年岐阜大医学部卒。22年京大大学院医学研究科博士課程単位取得満期退学。24年より現職。専門は精神医学,精神医学の哲学。編著書に『感情がつくられるものだとしたら世界はどうなるのか──バレットの構成主義的情動理論をめぐる,さまざまな領域からの考察』(金芳堂),共訳書に『精神医学の科学哲学』(名古屋大学出版会)など。

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東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻臨床神経精神医学講座 講師

2008年東大医学部卒。18年東大大学院医学系研究科博士課程修了。東大病院精神神経科部門講師等を経て,24年より現職。専門は精神医学,精神医学の哲学。編著書に『心の臨床を哲学する──Philosophy of Psychiatry & Psychology』(新曜社),『認識的不正義ハンドブック──理論から実践まで』(勁草書房)など。