精神医療の専門性
「治す」とは異なるいくつかの試み

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神社のお札(フダ)を利用して精神症状を落ち着かせる。庭にシイタケの原木を持ち込んで関係性を深める。ACT(包括型地域生活支援プログラム)で行われていた、一見、医療とは相容れないような実践たち。そこに潜む、ブリコラージュ的な専門性を、現象学を用いて炙り出す! 日本の精神医療の現状に切り込み、風穴を開ける。精神看護の第一線で活躍する著者による、他に類を見ない試みの1冊。

近田 真美子
発行 2024年03月判型:A5頁:176
ISBN 978-4-260-05589-5
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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はじめに

 薬ではなく神社のお札(フダ)を活用して、利用者の精神症状を落ち着かせる。
 利用者の自宅の庭にシイタケの原木を持ち込んだり、玄関先で、たこ焼きを焼くことで利用者との関係性の構築を図る。
 本書には、このように、一見、医療とは相容れないユニークな実践を展開する専門職らが登場する。彼らは、重度の精神障害者の地域生活を24時間365日地域で支えるACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム、以下ACTと略す)というプログラムに従事する看護師や精神保健福祉士、精神科医であり、国家資格を有する正真正銘の医療専門職である。
 本書は、こうした“医療”と形容するには憚(はばか)られる実践のなかに、精神医療の専門性を炙り出そうと模索した記録である。炙り出すために活用したのが、ACTで働く医療専門職たちの即興的な語りと、近代哲学が生んだ現象学という道具である。

 さて、議論をはじめる前に、そもそも私がどうしてこの活動にのめり込むことになったのか、というところからはじめることにする。
 私が新人看護師となって初めて就職したのは、北海道の南端部に位置する浦河赤十字病院の精神科開放病棟という、慢性の統合失調症を抱えた患者が療養生活を送っている病棟であった。かつて自分が生を受けた病院へ就職するという縁に高揚しつつも、「希望者があなたしかいなかったから」というあっけない理由で精神科病棟への配属が決まったときの戸惑いは今でも鮮明に覚えている。しかし、こうした不安は、入職してすぐ吹き飛ばされることとなる。
 浦河といえば、今でこそ、当事者自身が自分の病を研究という方法で探求する「当事者研究」1)で注目されているが、私が臨床で働いていたときの病棟で展開される医療は、当事者研究という側面からだけでは捉えきれない面白さや豊かさで溢れていた。
 例えば、入院に至るまでの経過を苦労のプロセスと捉え、患者と一緒に振り返り共有したり、看護計画は医療専門職が解決すべき“問題”ではなく、患者の“課題”として返すべきであるという考えに立ち返り、ナースステーション内で、患者と共に看護計画を立案したり、幻聴を「幻聴さん」と名づけ、患者の身に起きている世界を共有するため、積極的に幻聴や妄想の内容を申し送りで公開し、幻聴との付き合い方について自分たちも一緒になって考えるなど、スタッフ自身が創造性を働かせながら、病棟内を自由に泳ぎ回っていた。
 患者が入院してすぐ開催される入院時カンファレンスには、同じ病を抱えた地域で暮らす当事者らも同席したり、当時、病棟医であった川村敏明医師は、病院外を散歩中にたまたま出会った患者と立ち話することで回診を済ませるなど、病院の内と外を隔てる壁を感じさせない、規律の少ない柔軟なシステムで運営されている病棟であった。「病棟の規則をつくることは簡単だが、一度、つくってしまうとなくすのが難しくなる」という信念のもと、医療専門職として“すべきこと”と“してはいけないこと”を見極めるための話し合いを常に欠かさなかった。
 なかには、幻聴がひどくなるなど精神症状が悪化する患者もいたが、幻聴ミーティングという場で苦労を公開する場が設けられていたこともあり、過剰な薬物投与を行ったり、隔離や拘束といった行動制限が必要なケースまで発展することは皆無であった2)。このときに味わった医療専門職としての“幸せ”な経験が、精神科看護師としての私の原点となっている。
 その後、医療専門職としての技量を高めるべく浦河赤十字病院を離れた私は、患者の精神症状を薬物療法や行動制限で過剰にコントロールしようとする医療専門職の姿を目にすることで、日本の精神科医療が抱える問題を知ることになる。そして、浦河赤十字病院の精神科開放病棟で繰り広げられていた実践とは一体何だったのか、悩んだ末に、精神科看護における専門性の希薄さについて警告を鳴らし続けていた阿保順子教授の研究室に飛び込んだのである。
 阿保教授は、少女のような無邪気な笑みのなかに鋭い眼光を宿しながら「看護師はなんでもやってきたし、何でもできる。だが、何者でもない」「(看護師の学修意欲の高さを揶揄しつつ)お勉強が、改革や発展に直接貢献することはない」と、マニュアルに従って行動するだけで思考しようとしない精神科看護の姿を痛烈に批判してきた。
 また、精神科看護の専門性を支えてきた対人関係論やセルフケア・モデルの限界を指摘した上で、「分裂病(統合失調症)が病気であるという考えに立つこと、それが人にもたらす苦痛に沿っていくという意味において必要なのである」と述べ、中井久夫の寛解過程論(1984)をベースに看護行為の意味を導き出す精神構造モデル3)を生み出した。この精神構造モデルは、統合失調症の急性期にある患者はなぜ同じ話を反復するのか、なぜ、徘徊という行為が存在するのか、なぜ入浴を拒むのかといった「病気」についての理解を徹底的に深めていくことで、病者の行為の意味を理解し、適切な対応へと導くというものであった。
 確かに、患者が病に罹患している以上、病そのものに対する理解を深めるのは、幻聴や妄想といった精神症状に悩まされている人の苦痛に沿う医療専門職として必要な営みである。加えて、この精神構造モデルという枠組みは、患者の行為の意味を徹底的に探求するという点において、精神科看護の専門性の充実をもたらす可能性を大いに秘めていた。
 とはいえ、精神構造モデルという歯切れのよい枠組みも、病への解釈を強化し患者を一方的に眼差すなど、活用方法を誤ることで、かえって病者と距離をとるための道具と成り下がってしまう危険性もあるのではないか、そんな疑念が頭をよぎった。

「精神医療や看護の専門性とは、いったい何なのか……」

 自分のなかで適切な答えを見つけ出せぬまま、偶然にも阿保教授の知り合いでACTというプログラムを地域で立ち上げる精神科医がいるという話を聞き、どのような実践をしているのか見てみたいと興味半分で診療所に赴いた。
 そこで出会った同世代の医療専門職らの実践は、私が浦河赤十字病院の精神科開放病棟で経験した実践とは、また別の専門性の在り方を見せてくれたような気がしたのである。このとき、感じた衝撃については、補章の「ACTとは何か」でも言及するが、まずは本論で紹介する5名の実践家の語りを通して、感じていただけたらと思う。

 私がはじめてACTという世界に足を踏み入れてから、すでに15年以上が経過した。その間、ACTには、さまざまな医療専門職が入れ替わり立ち代わりやってきては去っていった。研究者という形でインタビューに伴走しつつも、ときには研究する者とされる者という関係性を超えて、共に学習会やワークショップを企画したり、日本の精神医療の現状と行く末について居酒屋で愚痴を言い合い議論を交わしたこともある。ACTに来たばかりの精神保健福祉士の研修先にと浦河べてるの家を紹介したこともあれば、地域で働きたいという学生の就職相談に応じてもらったこともある。
 また、彼らと共に1970年代に公的な精神科病院の廃止を成し遂げたイタリアの地域精神保健の現場をくまなく視察し4)、本場のジェノベーゼソースを絡めたパスタに舌鼓を打ち、出来立ての熱いピッツァを頰張りながら、地域における医療専門職の責任や専門性についても議論を交わすという経験もした。このときの視察で、胸に強く刻みこまれたのが、精神保健センターの廊下やオフィス内の壁など、訪れる先々で目にした精神科医バザーリア(Basaglia)の写真とこの言葉である。

「重要なのは、私たちが不可能を可能にしてみせたことです。10年、15年、あるいは20年前であれば、マニコミオを破壊することなど考えもしませんでした。もしかしたら、マニコミオは、ふたたび閉ざされてしまい、以前よりもっと固く閉ざされてしまうかもしれません。それは私にはわかりません。とにかく私たちは、これまでとは違ったやり方で狂気を抱えた人を支援できることを示したのです。この私の証言が揺らぐことはありません。しかし。ある行為を広めることができたとしても、それがそのまま勝利を意味するわけではありません。大事なことは別にあります。つまり、不可能だと思われていたことも可能になるということを、今では人々が知っているということが大事なのです」5)

Franco Basaglia リオデジャネイロ 1979年6月28日

 浦河赤十字病院の精神科開放病棟での経験を出発点として日本の精神医療の現状に直面し驚愕するなか、ACTと出会い、その魅力に巻き込まれてはや十数年が経過した。世界にも類を見ないほど精神科病院への長期入院を余儀なくされている患者が多く、地域生活中心へと転換しきれていない日本において、ACTというやり方で重度の精神障害者の地域生活を支えている人々が存在している現実を、どのように示し伝えていくことができるだろうか。ACTで働く医療専門職の活動に伴走し、ACT実践の目撃者である自分にできることは何であろうか。悶々としつつも、終始一貫していたのは、私が精神科看護ならびに精神医療における専門性について、こだわり続けてきたという点であろう。

 さて、本書の構成と概要は以下のとおりである。
 本書は、ACTで働く医療専門職の実践の成り立ちを、現象学という道具を用いて可視化する営みを通して、精神医療における専門性を探求したものである。
 序章では、入院医療中心から地域生活中心へと転換しきれていない日本の精神医療の現状について、患者と医療専門職の非対称性をはらむ関係性という観点から整理した。
 続く第1章から第5章では、ACTで働く医療専門職5名(看護師3名、精神保健福祉士1名、精神科医1名)の個々の実践の成り立ちを示した。お札やシイタケの原木を用いるといったユニークな実践を、従来のように、感性や個性という表現で片づけて手の届かない場所へ放り出すのではなく、彼らが事象をどのように意味づけていたのか、経験の内側から眼差すことを試みた。
 第6章では、そこまでの議論を踏まえながら、ACT実践から見えてきた精神医療の専門性について言及した。

 本書は、閉塞感ただよう日本の精神医療に希望という名の未来を見出したい、そんな切なる願いを込めて書かれた。本書を通じて、専門職1人1人が精神医療の専門性を問い直し、医療が、再び人々の人生を支える堅固でしなやかな杖として息を吹き返し、そこに、支援する人、される人、お互いにとっての幸福となる道筋を見出せれば、幸いである。

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はじめに

序章 日本の精神医療の現状
 1.政策の推移
 2.病院と地域という場における支援観の相違
 3.精神科病院という空間における患者と医療専門職の非対称性
 4.多様な価値観が内包された地域という空間
 5.地域という場における専門性とは何か

第1章 支配から信頼へ──精神症状をその人の本質として捉える
 1.固有の語りから専門性を炙り出す
 2.患者の見え方の違い──精神科病院と自宅
 3.生活を支配する支援への疑問
 4.「その人が考える」ことを目指す
 5.利用者の主体化を図る基盤としての安心と信頼
 6.地域では見れないという感覚の消失
 7.精神症状を人間らしさの本質として捉える

第2章 薬より、お札やったんや!──専門職としてではなく、人として関係性をつくる
 1.さまざまな実験を行う実践
 2.「この世界」への応答
 3.人としてあたりまえの感覚
 4.「孤独」から「一緒」に
 5.ウルトラ問題児から普通の姉さんへ
 6.精神医学以外の方法による接近

第3章 「治す」ではなく「暮らす」を目指して──精神疾患を病ではなく、その人の苦悩の一形態と捉える
 1.実践は暴力的な意味を帯びていた
 2.症状ではなく、困りごととして取り上げる
 3.関係性の反転をはらむ「ごめんなさいとありがとう」
 4.「薬が必要」から「薬が自然」へ
 5.精神疾患をどう位置づけるかで実践は劇的に変化する

第4章 意味のある支援──主体化を目指し、利用者に責任を返しながら伴走する
 1.表面的には捉えにくい事象への関心
 2.ホールディングを保証する
 3.手当ができる距離まで近づく
 4.背後にあるものを読み取る
 5.意味のある支援を展開する
 6.利用者に責任を返しながら主体化を目指す

第5章 医療から社会生活へのシフトチェンジ──保護的な支援から、いつか到来する「自己実現」に向けた支援へ
 1.利用者のリカバリーに関する問題
 2.ACTの限界を起点として
 3.振り回されるという意図を込めた関係づくり
 4.支援の限界点──良質な抱え込みから悪質な抱え込みへ
 5.利用者の新たな顔を見出す──人と場の拡大
 6.医療から生活支援へ
 7.支援者中心から本人中心の支援への視点の転換
 8.自分本位から自己実現に向けて
 9.保護的な支援からの脱却

第6章 精神医療の専門性をつくり変える
 1.維持・管理から離れて発揮される専門性
 2.支援の出発点としてのホールディングと苦楽を共にするという経験
 3.地域生活の維持という状態からリカバリーへの転換
 4.専門性の方向を見定める

補章 ACTとは何か
 1.ACT-Kとの出会い
 2.ACTの概要

注一覧
初出一覧
引用文献
あとがき
索引

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