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[第4回]聞き出した体験を臨床意思決定にどう反映させるか(後編)
『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』より
連載 尾藤誠司
2026.09.23
出来事中心の医療
患者の体験を上手に取り扱うための技法
「診断も治療も正しいのに,なぜかうまくいかない」。
客観的な医学データと,患者が語る主観的な思いや生活の困りごと。その2つの世界の狭間で,どう応答すべきか立ち止まった経験を持つ医療者は少なくないのではないでしょうか。
書籍『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』は,患者の主観を漠然とした共感・傾聴にとどめず,臨床判断の重要な根拠として扱う実践的な方法論を提示します。病気を診断名ではなく,患者の人生に起きた「出来事」として捉え直す。この視点の転換により,主観と客観の対立を超え,「情報の専門家」である医療者と「体験の専門家」である患者の真の協働が実現します。「医学界新聞プラス」では本書の中から3つの項目をピックアップし,そのエッセンスをご紹介します。
診療記録への記述
医療において記録は,単なる事実の記述以上の役割を担っています。それは,臨床の過程を再現し,他者と共有し,将来の意思決定の根拠となる知の媒体です。とりわけ,患者の語りや体験を適切に臨床に位置づけるためには,その体験をどのように診療記録に記述するかという技術と姿勢が問われます。
パラレルに進行する臨床と3つのチャート
1人の患者の診療は,単線的に進行しているわけではありません。たとえば「肺炎の治療」と並行して,「もともとの慢性疾患の管理」「経済的・家族的な問題への支援」「予後や治療方針をめぐる意思決定」といった,複数の“臨床”が同時に進行しています。つまり,医療者はパラレル(並行的)に走る複数の物語の中にいるのです。 これを記録上で適切に把握し,意思決定の文脈として活用するためには,「どの物語が,どの層で進行しているか」を整理する視点が必要です。そこで有用となるのが,「パラレルチャート」という考え方です。私が提案する「パラレルチャート」は,以下の3つ層に分けて患者の診療を俯瞰する枠組みです。
①患者自身の体験の経緯
②一般的なカルテ(医学的経過記録)
③専門家の中での認識と感情のチャート
まず「患者自身の体験の経緯」は,本人が日々の暮らしの中で語る体験,意味づけ,価値観,感情の動きなどが含まれます。しかしこのチャートは,医療者がそのままアクセスできるものではなく,多くの場合,断片としてしか知ることができません。言葉の端々,沈黙,表情,語られなかったことに含まれる意味まで含めて,専門家の感受性と推論を通じてようやく形をなすものです。
次に「一般的なカルテ」は,医学的知見に基づいたデータ,治療経過,検査結果,処方などを記述する領域であり,もっとも形式的・共有可能な記録です。
そして3つ目が「専門家の中での認識と感情のチャート」です。これは,たとえば「私は患者の訴えを『わがまま』としていま捉え始めた」「私の中に芽生えた『この患者はわがままな存在だ』という認識は,患者の訴えを棄却するようにバイアスのかかった認識を生んでいるかもしれない」というような,専門家として患者の体験に並走するうえで,医療者の中に立ち上がる主観世界の記述です。この記述は普段,医療者自身にとって意識されにくいものである一方で,患者への関わり方に少なくない影響を与えるものです。逆にいえば,自分自身の認識や感情を客体化してテキスト化する技術を持つ医療者は,患者の体験とともに自分自身の体験も診療計画のテーブルに乗せ,衡量することが可能になります。
選好の「裏づけ」としての認識の記録
患者の語りは,多くの場合「選好」として顕在化します。「家で最期を迎えたい」「なるべく苦しくない治療を選びたい」など,価値判断が込められた意思表示がそうです。しかし,このような選好は,医療者から見て,時に「本気なのか」「一貫しているのか」など不明瞭なこともあります。だからこそ,選好の背後にあるいきさつを専門家が把握し,その理解のプロセスを記録として残すことが重要になります。
たとえば,「本人は在宅療養を希望している」とだけ記すのではなく,「『妻の看取りを病院で行ったことが悔やまれている』という語りを背景に,在宅で最期を迎えたいとの希望を持っている」といった具合に,選好の背後にある体験の断片とそれに対する専門家としての認識を併記することが望まれます。これは,意思決定の根拠を社会的に共有可能な形で可視化する技術です。
日々の診療記録における私の実践」
SOAPによる診療記録の記載は,標準的なものとなっています。私はこのSOAP構造での記載は医療の質の向上において大きな役割を担っていると考えています。特に「アセスメント」と「計画」を切り離して記載することによって,たとえばそれを見た看護師やその他のスタッフが「医師としてはこう解釈している」という「理解」のレベルと,「自分はこの診療計画においてこのように関与するべきだ」という「行動」のレベルとを分別しながらチーム医療を進めていくうえで大変重要な構造だと捉えています。
一方で,面談記録については,そのような構造的なアプローチが広くは行われていません。多くの面談記録を見ると,以下のような記録がなされていることが多いです。
【説明内容】 ○○○○○○○○○○(大変詳細な,医療者側の患者状況に関する認識や今後の診療計画などが長々と記載されている)。
【同意】 以上,理解され同意された。
私は,以上のような面談は「出来事」のレベルにおいては一般的なものではないと考えています。出来事中心の医療においては,医療者の言葉と患者の言葉は異なる立場から表象される合意形成に向けた対等な根拠として取り扱われるべきものです。さらには,医療者が提示した計画を患者がそのまま丸のみするような意思決定プロセスがあったとしたら,それはむしろどこかにプロセス上の不備があったのではないか,と考えるほうが妥当なのだと考えています。
私が日々の診療記録で用いている枠組みは,以下の3つの軸を用いた記述方法です。
①伝えたこと:医学的説明や専門的情報の伝達内容
例 「肺炎は治癒に向かっている。一方で,脆弱化が進み,自力での食事摂取の見通しが立たない。今後の選択肢として,人工栄養のオプションが検討され,弱い推奨をしたい」
②伺ったこと:患者から聞いた言葉,反応,気になる非言語的表現
例 「自分としてはまだ回復する伸びしろはあると思う。苦痛を伴いながら今後人生を続けたくはない。また,夫に大きな負担をかけたり,後ろめたい気持ちにさせたりしたくない」
③認識共有・合意事項:その場で形成された共通理解や,確認された意思決定の内容
例 「引き続き,嚥下リハビリは続行する。人工栄養(胃瘻造設)については決断保留」
*
このような構造化は,それほど特異的ではなく,シンプルな記述の方法ですが,私自身はこの構造で面談記録を記載することは大きな意義があると考えています。この記述方法には,何かの計画を立案していく時,患者/
患者家族との面談の際,必ず当事者側の「言い分」と専門家側の「言い分」が前提として存在している,という強いポリシーが構造として込められています。さらには,最終的な決断や計画は,「どの案を選んだのか?」ではなく「共同でこしらえたもの」という意味を示すことを可能にします。
また,これらの記述は,他職種にとっての貴重なヒントにもなります。「このように聞き取った」「こういう言葉に対して,私はこう感じた」という記述は,他職種が別の角度から同じ語りを再解釈し,新たな意味を読み取るための足場となります。
体験を扱う技術は,聞く技術,共感する技術だけでなく,「記録する技術」においても鍛えられます。記録は,他者に伝えるためだけでなく,自分自身が後から見返して「なぜあの判断をしたのか」を解釈可能にするための手段でもあります。そして,その記録を支えるのが,患者の体験の断片と,それに驚き,洞察し,意味づける医療者の思考の軌跡です。
語りは消えていきます。しかし,それにどう反応し,どう意味づけたかは,記録として残すことができます。語られた体験を臨床に活かすための第一歩は,“それを記録し,翻訳し,他者と共有できる形にすること”にほかなりません。
診察時間内での現実的運用
本書が提案する「患者の体験を適切に取り扱う臨床」は,必ずといっていいほどある現実的な反応が返ってきます。それは,「そんなに丁寧に傾聴する時間はない」という言葉です。これは単なる言い訳ではなく,臨床現場の過酷さ,制度的制約,そして責任の重さを背景とした,極めて正当な言葉です。
しかしながら,「時間がない」という状況の中でも,患者の体験を無視することで臨床の精度が下がる,あるいは信頼関係が築けないという場面は決して少なくありません。本項では,こうした限られた条件の中で,どうやって体験を適切に扱う余地を確保しうるか,そのための現実的な工夫について述べていきます。
毎回バランスをとるのは不可能であるという前提
すべての診察で「医学モデル」と「生活モデル」の両方を均等に丁寧に扱うことは現実的ではありません。時間の制約だけでなく,患者自身の状態や気持ち,診療のフェーズなどによって,焦点となるべきものは変わってきます。ある日は「病状の安定化」に注力する必要があり,別の日には「社会的困難」や「気持ちの揺らぎ」が前面に出てくることもあります。したがって,“診療全体としてバランスを取る”という視点が重要です。1回の面接で完結させようとするのではなく,長期的な関係性の中で「語られるべき体験」を少しずつ拾い上げていくようなスタンスが求められます。
医師としてのナラティブを過剰に語らない
私が日常診療の中で心がけている工夫の1つが,「“医師としてのナラティブを伝えすぎない”」ということです。ここでいう“医師としてのナラティブ”とは,たとえば病態生理,原因と結果の因果モデル,検査の妥当性とその限界,鑑別診断の議論,エビデンスの強さなど,カンファレンスや学会で語られるようなストーリーです。これらは医師にとって馴染み深く,正当で,重要なものですが,患者にとっては専門的で一方的に聞かされる言葉になりがちです。
診察室という場は,無意識のうちに「専門家が語り,患者が黙って聞く」という力の構造を生み出します。この構造を一度俯瞰し,自分が一方的に話していないかを意識して振り返ることが,体験を扱う第一歩になります。
情報と非情報,目的のための材料とそれ以外
患者とのやり取りを終えた後に,短時間でいいので,「“いまのやり取りの中で,どれだけの部分が情報だったか”」と振り返ることが役に立ちます。
ここでいう情報とは,「血圧はいくつか」「どんな症状か」「いつからか」といった診療目的に資する具体的事実を指します。それに対して,患者の表情,間,話しぶり,主観的な言葉,感情,沈黙などは,「情報以外の要素」として切り分けることができます。
もう1つの軸は,「診断や治療方針に資する材料だったか,それ以外だったか」という観点です。この二軸を交差させてみると,自分がどれだけ医学のナラティブに支配された面談をしていたかが明らかになります。もし,やり取りのほとんどが「情報」であり,しかも「目的のための材料」であったならば,それは患者の語りではなく,医師の判断のための素材集めに終始していた可能性があります。これが必ずしも悪いということではありませんが,患者の体験にまなざしを向ける時間がなかったという気づきが得られるだけでも,次回の診察の方針が変わる契機になります。
短時間でも「体験を扱う」ことはできる
「時間がない」という制約の中でも,“短くても質の高いやり取りは可能”です。たとえば以下のような問いかけは,1分未満であっても,患者の物語を尊重し,相手が語る準備があることを示すシグナルになります。
・「この病気になってから,何か困ったことはありましたか?」
・「この前おっしゃっていた〇〇について,何か変化はありましたか?」
・「私から見ると治療は順調に見えますが,ご本人としてはいかがですか?」
これらは情報収集の問いではなく,“体験に視線を向けるための言葉”です。毎回行う必要はありません。むしろ,患者との関係性の中で「いまが語るべきタイミングかどうか」を敏感に見極めることのほうが重要です。
限られた診察時間の中で,「体験を扱う」ことは,確かに難題です。しかし,それは,すべての体験をその場で深掘りすることを意味するのではなく,日々の診療の中で患者の言葉に対して過剰に自分のナラティブを重ねないこと,必要な時に短い問いで文脈を探ること,やり取りを振り返って情報と非情報の比重を見極めること,そうした日常的で小さな技術の蓄積です。
「体験を丁寧に扱う」という営みは,決して時間の余裕のある人の特権ではありません。忙しい診療の中でこそ,それが医療を支える技術となります。
出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法
診断も治療も正しいはずなのに、うまくいかない。「患者中心の医療」のその先へ
<内容紹介>診断も治療も正しいはずなのに、なぜうまくいかないのか? エビデンスやガイドライン、共感だけでは解決できない臨床の問題も、患者の体験(=出来事)を軸に考え直すことでうまくいく! 疾患ごとの出来事の公約数を手がかりに、患者の体験の聞き方・活かし方、専門家としての在り方を示します。患者と向き合うすべての医療職に向け、適切な臨床判断へとつなげるための実践書。AI時代の診療を変える一冊です。
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