- 医学
“I may be wrong”の精神でいこう!
医療組織の「曖昧な能力主義」をひもとく
対談・座談会 勅使川原真衣,小谷祐樹
2026.08.11 医学界新聞:第3588号より
医師は専門性や症例数,経歴や職位などさまざまな指標によって絶えず評価され,その評価はキャリアや組織内での立場にも少なからず影響を及ぼします。そうした「能力主義(メリトクラシー)」は時に個人の生きづらさだけでなく,人間関係の歪みや組織全体のパフォーマンス低下につながることもあるでしょう。
今回は組織開発コンサルタントの勅使川原氏と集中治療医である小谷氏との対談を通して,医師を取り巻くさまざまな能力主義をひもとき,一人ひとりが安心して持ち味を発揮できる組織づくりに向けて,個人と組織に何ができるのかを探ります。
勅使川原 小谷先生は以前からSNSで拙著の感想を発信してくださっており,ありがたく思っていました。こうして直接お話しする機会を持ててうれしいです。
小谷 こちらこそお会いできて光栄です。勅使川原さんの著書では,日本社会における「能力主義(メリトクラシー)」の曖昧さ,それが組織や個人にもたらす弊害がたびたび論じられていました。本日は,そうした能力主義的な考え方が医療の中にどう根付き,どのような影響を生んでいるのかをお話していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
若手医師を疲弊させる「デキレジ」「ヤバレジ」評価
小谷 昨今の医療現場では,若手医師に対して仕事ができる「デキレジ」,できない「ヤバレジ」といったラベリングをする風潮があり,それを助長するようなマニュアル本やオンライン講座まで存在します。しかし,具体的に何をもってデキレジとするのかを中堅の医師に尋ねてみても,「報連相が的確」「指示された業務の遂行がスムーズ」など,返ってくる答えはバラバラです。
勅使川原 なんとなくアドバンスドだと感じられる仕事ぶりが見られれば,デキレジに認定しているということですね。
小谷 そうです。さらに突き詰めれば,上級医,あるいは組織にとって都合よく動いてくれるかどうかが実質的な基準になっていると感じます。そうした評価を気にして自分を過度に追い込んでしまったり,周囲と比較して自己肯定感が低下したりしている若手が大勢います。
勅使川原 若手医師がデキレジと呼ばれたいと思うのは,それによってキャリアの選択肢が広がるなど,実利的な理由からなのでしょうか。
小谷 直接的に選択肢が増えるわけではないです。あくまで上級医からの覚えが良くなることで,間接的に経験の機会が増える程度です。しかも,デキレジと呼ばれた人が将来的に活躍するかと言われるとそうとは限りません。進む診療科や極める専門性によって,研修時とは全く違う軸で評価されていくからです。逆に,かつてヤバレジとラベリングされた人が後になって大成する可能性ももちろんあります。
勅使川原 それでもデキレジをめざす方向へと若手の医師が駆り立てられてしまうのは,「できない」というセルフイメージへの恐れや,プライドの問題が大きいのでしょうか。
小谷 そうかもしれません。加えて周囲からの「ヤバレジになってはいけない」という無言の圧もあると思います。そのため仮にデキレジ認定されたとしても,それが本人のさらなる活力にはつながらず,評価を気にして引き続きしんどい思いをしてしまうケースが多い印象です。
育成とは,指導する側とされる側の「相互変容」
勅使川原 そうした風潮は,「育成=査定(評価)」だと思い込んでいる人が指導者側に多いことが原因の1つかもしれません。そもそも能力という言葉は揺れ動く状態を指すものです。デキレジ・ヤバレジのような個人へのラベリングは本来難しいはずですし,若手の方との関係性の中で指導者も自らを変容させていく,いわば相互変容が自然と生じるのが育成のあるべき形だと思います。にもかかわらず査定すること自体が育成につながっていると勘違いして,「私からあなたはこう見えています。理由はあの時あなたが○○だったからです」と,一方的にジャッジして終わってしまう指導者は,自らの基準を疑い,変わる準備が本当にできているのかと疑問に思います。指導者側に相互変容のマインドがあれば,若手に投げかける問いも「なんでそんなこともできないのか」ではなく,「今,あなたには何が見えているのか?」といった前提のすり合わせから入るように変わってくるはずです。
小谷 おっしゃる通りです。指導医の多くは,自分が歩んできた道や受けてきた教育を基準にして評価してしまいがちです。しかし,その人が10年間キャリアを積んできたとすれば10年前と現在では環境が全く異なりますし,当然個人差もあります。それを想定し,受け入れる準備ができていないのです。結果として,若手は評価を恐れて自信や経験値のなさを表明できず,人知れず傷ついたり,できないことをごまかしたりするのだと思います。
勅使川原 特に日本では過去の業績ではなく,態度や努力,ポテンシャルといった曖昧な要素を含めて能力主義を解釈してきた独自の歴史があります。その結果,組織内における職務の特定やスキルのマッピングがおざなりになってきました。この点,専門職集団である医療の世界は外部から見ると職務要件を定義しやすい領域のように感じられるのですが,実際は難しいのでしょうか。
小谷 ある病気の患者さんを診療する際,合併症のリスクや緊急時の対応なども含めて治療のステップを明確に定義し,メンバーそれぞれの職務要件として落とし込むことは基本的に可能です。私が働く集中治療の現場を例に挙げると,集中治療室(ICU)にいる患者さんの人数やそれぞれの状態に応じてタスクをリスト化し,メンバーの経験値を踏まえて役割分担やタスク量の調整をしています。全体の方針はチーム全員で考えつつ,個別のアクションに関しては分担していくスタイルです。ただやはり施設や診療科によってさまざま事情や障壁があり,こうしたやり方を実行できている現場はそう多くない印象を持っています。医療における職務要件の明確化とそれに応じた分業は技術的には可能だけれど,実務的には容易ではないというのが現実かと思います。
二項対立ではなくスペクトラムでとらえる
勅使川原 職務要件が定義されにくいからこそ,現場が回らなくなった時に臨機応変に動ける「デキレジ」の存在に依存して一挙に解決しようとしてしまうわけですね。臨機応変も日本人が好んで使うことの多い言葉ですが,本来は臨機応変さが求められる組織ほど,事前に決めるべき標準化のプロセスを徹底する必要があります。
小谷 医療組織は特にそれが当てはまります。短時間で患者さんの状態を見極めて対処しないといけない事態が多いからこそ,予測し得る部分は誰でもできる・わかるように準備を整えておくべきです。特定の処置を行う際,使用する薬剤や器具のセットをあらかじめ決めておけば,スタッフは迷わず動くことができます。しかし実際には,同じ効果を持つ薬が院内に複数採用されており「この先生はこの薬を好む」といった属人的な対応が求められることが多くあります。その結果,若手医師や看護師は上級医の意に反することを恐れて萎縮し,指示待ちの姿勢になってしまいます。
勅使川原 本来標準化すべきところを,臨機応変さや曖昧性で状況依存的に対処しようとする文化が根強いのかもしれませんね。
小谷 個人的に難しいと感じるのは,医療にとっての標準化,別の言い方をすればエビデンスやガイドラインに基づいたやり方というのは間違いなく重要な一方で,患者さん一人ひとりに目を向ければ年齢や持病などあらゆる条件が異なり,個別性に応じたオーダーメイドの医療ニーズも生じてくることです。必要に応じて個別的な対応をすることはもちろんありますが,チームで治療を行う以上,その部分は他者にとって了解可能なロジックで伝えられなければ引継ぎや連携の際に齟齬が生じ,ミスや事故の原因となります。個別化の感覚は人によって本当にばらつきがあり,当人にしかわからないロジックで個別性が重視されているケースを見聞きすることも少なくありません。
勅使川原 恐らくそうしたケースでは,個別性と属人性という似て非なるものを混同しているのかもしれません。個別性と標準性は必ずしも二項対立の概念ではないと思いますし,医療に限らず,人が生きていく中でどちらも必要な場面に遭遇することは必ずあるはずです。けれどこれらを二項対立的にしかとらえられず,標準化から距離のあることを他者が了解できない形のままにしてしまうと,それは標準性と地続きに存在している個別性ではなく,ロジックとかけ離れた属人的な問題になってしまいますよね。
小谷 まさにその通りです。個別性と標準性のニュアンスの違いは,あくまでスペクトラムとしてとらえるべきなんですよね。「△△先生が言うのだから,この方法は間違いない」のように,権威性とひもづいた「玄人の技」として診療が進んでしまうことは医療の現場でもありがちな属人化の例ですが,個人的には一番避けたい事態だと考えています。そうした手段をとるのであればやはり根拠を突き詰めて,全員が了解可能であることが望ましいです。
関係性から生じる,ムードとしての心理的安全性
勅使川原 今のお話を若手の方の目線から考えると,スペクトラムをとらえるための環境,つまりは上司・先輩に質問しやすい関係性が不可欠と言えそうです。
小谷 なかなか難しい問題です。私自身,若手医師に対してフラットな態度で接したいと普段から思っていますが,エビデンスで白黒つけられない状況で意思決定が必要な場合,私が意見を言うとどうしてもそれが「ファイナルアンサー」になってしまいます。
勅使川原 そういう状況ではどうされているのですか?
小谷 基本的に,最初の段階ではほとんど口を出しません。例えば若手が治療の選択肢としてAとBで迷っており,悩んだ結果Aを選択したとします。この時点で私はB,もしくは検討されていないCの選択肢が良いと思っていたとしても,Aが患者さんに害がない方法なのであれば,そのまま進めてもらいます。なぜなら標準と個別のスペクトラムには,実際に自分の判断で進めてみなければ理解できない部分があると考えているからです。軌道修正や後戻りの判断,あるいは効果判定といった検証のプロセスを経験してもらうことが重要だと思っています。
勅使川原 失敗しても大丈夫と思える環境のもと,自分の判断で進めることができる。それって,心理的安全性のあるべき形ですね。
小谷 ありがとうございます。私も本当にそのことを伝えたいです。昨今は医療界でも「心理的安全性を高めましょう」と盛んに言われるようになってきており,施設ごとにさまざまな取り組みがなされています。しかし,中には疑問符が付くものもあります。例えば「カンファレンスや勤務の入れ替え時の申し送りの際,若手に対して質問をしてはいけない」という規定です。これは年長者からの質問が詰問やパワハラと受け取られることを防ぐ意図なのでしょうが,診療方針を決める場で質問を禁じることには強い違和感を覚えます。心理的安全性とはそれ自体がアウトカムとして測定可能なものではなく,関係性の中で立ち上がってくるムードに近いのではないかと思うのです。
勅使川原 そうですね。むしろ組織における心理的安全性のアウトカムとしては,「多角的検討ができているのかどうか」が適切な指標になりそうです。私はプロフェッショナリズムの定義を,死角をなくす,見えてない部分を可能な限り潰すことだと考えています。質問できない,させないムードが蔓延する組織はずっと盲点に気づけないままだと思うのですが,管理者はそうした組織の状況を変えようとはしないのでしょうか。
小谷 構造としては,先ほどの指導者側に相互変容のマインドが欠如しているとのお話に通じるのだと思います。つまり誰も疑問を呈さない状況は管理者に「うまく組織をコントロールできている」「何も言わないということは組織のメンバーたちも納得しているはずだ」と感じさせ,結果的に現状維持が続いてしまうのでしょう。
医療における成果主義と経済合理性の難しさ
勅使川原 一市民からすると,医療には病気の治療という最重要の役割を果たす一方で,新たな実験や挑戦も継続してほしいとの思いがあります。しかし,心理的安全性が低く,一回でも失敗すると減点されてしまうような能力主義のもとでは,「求められている成果を出せないのでは」と,新しい挑戦に踏み出すことを躊躇する人も多くいそうです。
小谷 医療における「成果」も,定義が難しい概念ですからね……。例えばICUでは死亡率の低さが1つの成果指標として見られることもありますが,ICUに限定して死亡率を算出することが正しい評価の手法であるとは言い難いです。死亡率の低さには反映されないアウトカムも当然多くあります。また経営的観点からは医療の提供による診療報酬の多寡も無視できないものの,加算を意識しすぎることで本来必要のないデバイスを使用したり,医療機器の使用期間を伸ばしたりと,患者さんにとって最適な医療から離れてしまうリスクも生じます。
勅使川原 精神科病棟で早期退院させた人が優秀とされたり,就労支援施設で障害者のなかでも手のかからない方から優先的に受け入れたりするお話と近いものを感じます。比較的容易に測れる成果が外部からの評価や報酬につながると。成果主義や科学主義の行き過ぎた思想が,医療にも影響を及ぼしている一例と言えますね。一方でそうした考え方は,それ自体が目的化しない限りある程度必要でもあるのが難しいところです。
小谷 加えて多くの医師は薬や治療のコストを知らない,もしくは意識していないので,経済合理性としての成果が損なわれている側面もあります。個人的には,判断材料となる収支のデータを可視化し,コストや副作用などさまざまなデメリットも天秤にかけた上で実施する医療を議論することが重要だと考えています。仮に高額な治療で見た目の検査データだけが良くなっても,患者さんが実感できる効果を伴わなければ意義は乏しいです。テクノロジーとして存在する治療を,1人の医師として「やらないことへのジレンマ」は常に生じますが,そこは組織としてケアできるよう,共通のポリシーを定めておくことが大切なのだと思います。
これからの医師に必要な“I may be wrong”の精神
勅使川原 コンサルティング業界を筆頭に,近年のビジネス界隈では行き過ぎた成果主義が問題視され,数値管理自体が悪だととらえられてきた流れがあります。その反動としてモラルや精神性に高尚さが求められ,コンピテンシーなどの概念を重視する風潮が生じてきました。こうした一連の流れは,能力主義の曖昧化を助長してきた側面もあったと考えています。
小谷 私が所属する部署でも最近,研修中の若手医師一人ひとりのコンピテンシー評価が始まりました。私はコンピテンシーについて,過去の優秀な人たちがとっていた行動の最大公約数的なものだととらえています。しかしいざ評価しようとすると確かに判断基準があいまいなことが多く,当人にフィードバックする際は難しさを感じるのも事実です。また医師はコンピテンシーとは別に,専門職としてクリアすべきミニマムな要求が確実にあります。評価者としては,本来先立つべきものは後者であるとの考えは大切にしたいと思っています。
勅使川原 最低ラインを満たしているかをしっかり判断した上で,その先では優しさや臨機応変さといった曖昧な概念ではなく,分業を前提として明確な評価基準を設けることが大切ですね。
小谷 一方で若手の方にはこうした評価軸や周囲の目にとらわれず,自分自身の評価軸を持つことも忘れないでほしいです。自分の心に素直であり続けることが,長期的に見たときに自身の歩んできた道のりへの納得感にきっとつながると思います。
勅使川原 そうですね。能力主義が根強い環境にあっても,医師の皆さんには高度な専門職の知性として「自分は間違っているかもしれない(“I may be wrong”)」というマインドをぜひとも持っていただきたいと,本日のお話を伺っていて感じました。恵まれた知性と環境があるからこそ二項対立的な価値観から脱却し,失敗を恐れず,常に変わる準備ができている存在をめざしていただきたいです。
(了)

勅使川原 真衣(てしがわら・まい)氏 組織開発コンサルタント
慶大環境情報学部を卒業後,東大大学院教育学研究科(教育社会学)修了。ボストンコンサルティンググループ,コーン・フェリー・ジャパンなど外資コンサルティングファームでの勤務を経て2017年に組織開発を専門として独立。『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社),『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書),『組織の違和感』(ダイヤモンド社),『「対話」がやってきた』(集英社)ほか著書多数。文化放送ラジオやTBS「Nスタ」コメンテーターとしても発信中。

小谷 祐樹(こたに・ゆうき)氏 亀田総合病院集中治療科 部長代理
2013年京大医学部卒。日赤和歌山医療センターにて初期・後期研修後,18年に亀田総合病院集中治療科へ異動し,集中治療専門医を取得するとともに臨床研究の経験を積む。22年から2年間イタリアに研究留学。帰国後,24年より現職。集中治療医。ポッドキャスト「ICUトーク」,「小谷祐樹とICU」のパーソナリティ。
X,YouTube,noteなど各種SNSはこちら:https://potofu.me/yukikotani5
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