- 医学
そのとき,研修医と指導医は何を考えているのか
麻酔科における「時間の流れ」と「思考の進め方」
寄稿 杉山大介
2026.05.12 医学界新聞:第3585号より
麻酔科研修はなぜ「楽しい」と「大変」に分かれるのか?
初期研修で麻酔科をローテーションした先生方の声を聞いていると,印象的なことがあります。
「すごく楽しかったです」「将来の進路として考えたいと思いました」といううれしい声が寄せられる一方で,「他の科と全然違っていて大変でした」「何が起こっているのか理解が追いつきませんでした」といった声も少なくないのです。ときには「麻酔科の先生が独特で,それがきつかったです」という寂しい声も耳にします。
同じ期間,同じように研修しているにもかかわらず,なぜここまで麻酔科に対する印象が分かれるのでしょうか。その理由の一つとして,麻酔科特有の「時間の流れ」と「思考の進め方」が研修医にとって見えにくく,理解されていないことがあるのではないかと感じています。指導医にとっては当たり前の判断や準備が,研修医に前提として共有されていない。このギャップが,戸惑いや難しさとして現れているように思います。手術室の中で研修医は,「次に何をするべきか」「どこに注意を向けるべきか」と自分に問いかけながら立っています。しかし実際には,その問いの答えが見つかる前に状況が進んでいるのです。
手術室の準備から始まる不安
実際の研修場面を思い浮かべながら,研修医と指導医,それぞれの思考を追ってみましょう。まずは手術室の準備場面です。
<AM 7:00 部屋の準備 前半>
指導医:麻酔器のチェックは終わりましたか?
研修医:はい,リークテストまで終わりました。
指導医:では次は薬剤の準備をしましょう。プロポフォール,フェンタニル,ロクロニウムを用意してください。
研修医:はい……。
研修医は言われた通りの薬剤を探しながらも,頭の中では「どれが何の薬かまだ混乱するし,どれくらい準備すればいいのだろう。この量で合っているのかな……」と不安が広がります。また,研修の初期ではアンプルカットがうまくいかないケースも多々あります。アンプルの切り口で手を切ったり,力を込めすぎて容器を砕いてしまったりすることは誰しもが経験し得ることです。そうした失敗には指導医も優しくフォローの言葉をくれるはずですが,「自分はまだ何もできない」との感覚が強くなってしまう方もいるでしょう。
<AM 7:15 部屋の準備 後半>
指導医:今準備している薬は,それぞれ何のために使うのか説明できますか?
研修医:えっと……麻酔の導入で使います。
指導医:そうですね。ではどういう機序で作用するのか,どの順番で使うかはわかりますか?
研修医:……。
指導医から質問されて初めて,研修医は自分があまり深く考えずに準備を進めていたことに気づきました。手術室の準備では薬剤一つをとっても,その効果や目的を理解した上で「どう使うか」を想定しながら準備をすることが必要になるのです。
ちなみに,麻酔の導入においてプロポフォールは鎮静薬,フェンタニルは鎮痛薬,ロクロニウムは筋弛緩薬としての役割があります。全身麻酔の3本柱とも言える「鎮静・鎮痛・筋弛緩」の分類に個別の薬剤名をひもづけて押さえておくだけでも,研修医の先生にとっては一気に視界が広がる感じがするはずです。
「次」を見て動く指導医との思考のギャップ
続いて,カンファレンスにおける研修医と指導医のやり取りを見てみましょう。
<AM 7:45 症例カンファレンス>
研修医:(昨日あれだけ調べて準備したし,大丈夫なはず……!)60歳女性,腹腔鏡下胆嚢摘出術予定です。高血圧の既往があり血圧コントロールがやや不良なようです。
指導医:ありがとうございます。この患者さんで麻酔上いちばん気になる点は何ですか?
研修医:血圧管理だと思います。
指導医:そうですね。導入で収縮期血圧が下がる場合,例えば今は130 mmHg前後なので,80 mmHgくらいまで下がる可能性もありますね。そのときどうしますか?
研修医:昇圧薬を使います。
指導医:いいですね。では,例えばエフェドリンを使う場合,どの濃度で準備しておきますか?
研修医:……すみません,そこまで考えていませんでした。
研修医は事前に患者情報や疾患,予定されている手術に関する知識をしっかりと詰め込んでいました。しかしカンファレンスでの指導医とのやり取りで,手術に臨むに当たり必要な「知識」と麻酔科として必要な「準備」,そして自分がすべき「行動」が十分につながっていなかったことに気づきます。
不安なままカンファレンスが終わり,患者さんが入室し,麻酔導入が始まる場面に移ります。
<AM 9:00 麻酔導入>
指導医:血圧はいくつですか?
研修医:138/72です
指導医:いいですね。では酸素投与して,酸素化しましょう。
――指導医から質問や指示が,次々に投げかけられます――
指導医:プロポフォールを入れてください。
研修医:はい。
指導医:今,どこに注目していますか?
研修医:SpO₂です。
指導医:それも大事ですね。他に注目すべきポイントはありますか?
研修医:(ハッと何かに気づいた表情をする)……血圧です。これから低下するかもしれないからです。
指導医:その通りです。その準備はできていますか?
研修医:……まだです。
手術中は,目の前の事象一つひとつを理解する前に,状況が先に進んでいきます。研修中はどうしても「今」のことで精一杯になってしまい,「次」を見て動いている指導医と思考にギャップが生じてしまいます。このずれが,「置いていかれそうになる感覚」として強く印象に残ってしまうのです。
最善を期待しつつ,最悪に備える
ここで重要なのが,麻酔科医の思考の特徴です。「最善を期待しつつ,常に最悪に備える」。これは多くの医療者に共通する姿勢ですが,麻酔科では特に強く表れるように感じます。麻酔科医が想定する最悪の状況は,数分,あるいは数十秒単位で対応が求められる危機的状況です。そのため「まだ起こっていないが,これから起こるかもしれない問題」を念頭に準備し,「次に何が起こるか」を常に問い続けます。研修医にとっては,目の前のことも終わっていないのに次の動きを尋ねられ,どうしてこんなに急かされるのかと疑問に感じることもあると思います。しかしその背景には「ことが起きてからでは間に合わない」現実があります。この視点を理解するだけでも,麻酔科指導医の言動の意味が大きく変わって見えるかもしれません。
手術室におけるチームの中で
こうした麻酔科特有の思考は,チーム医療の中でも重要です。麻酔科医が何を考え,どのタイミングでどんなリスクを想定しているのかが共有されることで,チーム全体の安全性が高まります。同じ場面でも研修医は「今」を理解しようとし,指導医は「次」を予測しています。この違いを知ることは,手術室で働くすべての人にとって意味があります。
今回紹介したような,麻酔科ローテーションにおける研修医と指導医それぞれの視点での感じていることや考えていること,すなわち 「目には見えにくい思考の流れ」を,より具体的な場面として描き出した書籍『麻酔科研修の歩き方――研修医目線のストーリーで学ぶ頻出ケースとその対応』(医学書院)を,このたび上梓しました。
本書は単なる知識の整理にとどまらず,「その場で何を考え,どう動くのか」を意識しながら読み進められるよう構成しています。研修医の先生が読んでくださった場合には,「明日から何を意識すればよいのか」「どこに注意を向ければよいのか」といった具体的な視点を,そのまま現場で活用できる内容になっています。また専攻医や指導医の先生方にとっては,自分たちが日常的に行っている指導や判断を,改めて言語化し整理するきっかけになるかもしれません。さらに,手術室で働く看護師や他職種の皆さんにとっても,麻酔科医がどのような時間の流れの中で,どのような優先順位で物事を考えているのかを理解する一助となればと考えています。
本稿で紹介したのは決して特別な場面ではなく,どこの手術室でも日常的に繰り返されている光景です。その何気ない一場面の中に,麻酔科研修の難しさと面白さ,そして本質が詰まっています。もし本稿の読者がそうしたやりとりの背景にある思考の流れをさらに具体的に知りたいと感じたのであれば,ぜひ本書を一度手に取っていただけたらと願ってやみません。きっと,普段見慣れている手術室の風景が,少し違って見えてくるはずです。

杉山 大介(すぎやま・だいすけ)氏 アイオワ大学麻酔科Clinical Associate Professor / 亀田総合病院麻酔科
2004年群馬大医学部卒。初期臨床研修修了後,06年から信州大病院麻酔科蘇生科で専門研修を行いつつ同大にて博士課程修了。博士(医学)。14年米アイオワ大麻酔科への研究留学を経て,19年より亀田総合病院麻酔科部長を務める。25年より現職。著書に『麻酔科研修の歩き方――研修医目線のストーリーで学ぶ頻出ケースとその対応』(医学書院)。
X ID:@sugiyama5525
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