医学界新聞

  • 看護

揺れながら進む,あなたの一歩に意味がある

寄稿 西山知佳,伊波早苗,田辺けい子,濱口恵子,堀池諒,間宮直子

2026.05.12 医学界新聞:第3585号より

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 新しいユニフォームに袖を通し,現場に立ってからの数週間。少しずつできることが増えていく一方で,「周りはもっとできているのに」「成長している実感が持てない」と,悩むこともあるかもしれません。それでも,うまくいかなかった経験や,時間をかけて向き合った出来事は決して無駄にはなりません。すぐに答えが出なかったこと,遠回りに思えたプロセスこそが,後から振り返った時に確かな支えになっているものです。

 本特集で紹介するのは,そんな「遠回り」の中で紡がれてきた先輩方の言葉。今のあなたの歩みを肯定し,次の一歩を後押しできれば幸いです。

▼ 目次

夜勤病棟のおばけ騒動
西山 知佳(京都大学大学院医学研究科クリティカルケア看護学分野 准教授)
「逆接の大野」と呼ばれた新人時代
伊波 早苗(元 淡海医療センター看護局 統括看護部長)
ナースステーションに干されたルイ・ヴィトンと,正解のない海を泳ぐ私たち
田辺 けい子(神奈川県立保健福祉大学看護学科 / 保健福祉学研究科 准教授)
履歴書は二重線,縄跳びは空振り,そして憎悪
堀池 諒(奈良県立医科大学医学部看護学科公衆衛生看護学 准教授)
ギリギリガールの新人時代
濱口 恵子(がん研究会有明病院トータルケアセンター がん看護専門看護師)
深夜の義眼逃走,大追跡事件
間宮 直子(大阪府済生会吹田病院 皮膚・排泄ケア特定認定看護師)

❶ 新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」
❷ 忘れ得ぬ出会い
❸ あの頃にタイムスリップ! 思い出の曲とその理由
❹ 新人ナースへのメッセージ

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京都大学大学院医学研究科クリティカルケア看護学分野 准教授

❶私には「新人時代」が二度あります。一度目は臨床で看護師として働き始めた時,二度目は大学で教員になった時です。

 一度目の新人時代。消化器外科病棟に配属された1年目,保育園の頃から憧れていた看護師になれたことがうれしくてたまりませんでした。忘れもしないのが,独り立ちして間もない頃の夜勤です。重症患者さんの観察を終えて少しほっとし,次の大部屋に向かった時のこと。扉を開けた瞬間,暗がりにぼんやり人の顔が見え,私は反射的に「ぎゃー! おばけーっ!!!」と叫んでしまいました。足元を照らすはずの懐中電灯を,なぜか自分の顔の下から当て,窓に映った自分の顔に自分で驚いたのでした。患者さんたちは一斉に飛び起き,先輩にも患者さんにもしっかり怒られました。

 二度目の新人時代。大学教員として学生を附属病院へ引率していた時の出来事です。学生が点滴中の患者さんの保清を計画しており,学生にはあらかじめ手順を復習するよう伝えていました。当日は病棟が忙しく,担当看護師さんから「学生さんと先生とで保清を行ってください」と言われました。「よし,一緒にやろう」と学生に声を掛け,保清を始めることになりました。ところが,いざ患者さんの前に立つと,学生は緊張で手が止まってしまいます。「じゃあ,ここからは私が」と買って出たものの「あれ?点滴が入っている時って,どうするんやったっけ?」と,私の手もぴたりと止まりました。最後にはルートが絡まり,「すみません,わけがわからなくなりました」とナースコールを押す始末。病棟勤務を離れ時間がたち,保清や更衣の介助を実際に行う機会は教員になってからほとんどなかったのに,「体が覚えているだろう」とどこか高を括っていたのです。患者さんには「ええよ,先生も久しぶりでやり方忘れたんやな」と慰められ,担当看護師さんにはあきれられ,上司にはしっかり叱られました。学生に格好いいところを見せるつもりが,逆に「先生,大丈夫ですか」と心配される始末。体が覚えているなんて,うそです。いつになっても事前準備が大切であると,身をもって学びました。

❷個人クリニックで働いていた頃,週に一度点滴に来られる患者さんがいました。当時の私は,「看護師はいつでも明るく笑顔でいるのがよい」と信じて疑いませんでした。ある日,その患者さんに「看護師さん,あんたはいつも元気やな。でも,その満面の笑みが憎たらしい」と言われました。私は元気を届けているつもりでしたが,自分がよかれと思ったかかわりが相手にとって負担になる場合もあることを,身をもって気づかされました。あの患者さんが正直に話してくださらなければ,私は今も「笑顔で接することが正解」と思い込んだままだったかもしれません。相手にとって心地よいかかわりは何かを,その人ごとに考える大切さを教えてくれた忘れられない出会いです。

❹新人の頃は,「わからない」「できない」と感じるたびに,自分だけが取り残されているような気持ちになるかもしれません。けれど,「わからない」「できない」と自分で気づけることは,とても大切な力です。看護は患者さんの命に直接かかわる仕事です。だからこそ,「わからないまま進まない」ことが何より大事です。立ち止まる,調べる,確認する,人に聞く。その一つひとつが患者さんを守り,自分を育ててくれます。わからないことは,決して恥ずかしいことではありません。


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元 淡海医療センター看護局 統括看護部長

❶新人時代,日勤ではいつも詰所に近い4人部屋を2部屋担当していました。重症患者さんと急性期の患者さんが入っている部屋で業務量の多い部屋でした。一人,長期に入院している寝たきりのおばあさんがいました。意識がはっきりしているのでお散歩に連れて行ってあげたいと思い,一日の業務をこなすのが精一杯の新人なのに,看護学生のように一日の業務にお散歩を計画してしまいました。先輩から止められはしなかったのですが,急性期の病棟で8人も受け持っていてそんな時間がとれるはずもありません。気持ちよくお散歩から帰ってくると,自分の担当患者の手術出しも内視鏡出しも間に合わずに,ほかの方が黙ってやってくれていました。受け持ち患者さんの手術出しをしなかったなんて,前代未聞です。急性期病棟でやらなければならない治療があるのに,考えが甘かったんでしょうね。そんな愚かな新人に誰も怒らなかったのですが,逆に自分のダメさ加減が情けなく,看護をしているつもりの自分が恥ずかしかったのを強く覚えています。

❷就職してすぐにICUから一人の先輩が同じ病棟に異動してこられました。とても優秀で患者さん思い,そして,私たちへの指導は的確で,その人の看護がとても好きでした。私も大尊敬していて大好きだった先輩なのですが,なぜか「こうしなさい」と言われたときに,「でも,〇〇がいいと思うんです」と必ず意見を言ってしまいました。結局先輩の言うことが正しいですが,毎回私の考えを伝えたくなるのです。先輩は私の意見も一応は聞きながらも「いいから行っておいで」と送り出してくれていました。

 一緒に飲み会に行くと「逆接の大野(私の旧姓)」と私のことを呼んでかわいがってくれました。職場を変わっても看護雑誌などでその先輩の名前を見るとうれしくて,ずっと尊敬し続けている先輩です。

❸やはり,松田聖子です。仕事終わりは,飲みに行って「赤いスイートピー」をいつも歌っていました。「赤い~スイートピー~」と気持ちよく歌うと一日のストレスも飛んでいきました。

❹こうして振り返ると,伸び伸びと育ててもらったんだなあと先輩方に感謝の気持ちが溢れてきます。教えてくれる人がいるって本当にありがたいですね。

 先輩からみても,看護師の仲間が増えること,しかも,同じ病棟で一緒に看護をしてくれる仲間が増えることは本当にうれしいことです。

 一歩先にいる先輩に,多くを教わりながら,1年後には新たな仲間に少しでも教えてあげられるように頑張ってくださいね。


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神奈川県立保健福祉大学看護学科 / 保健福祉学研究科 准教授

❶❷数十年前,新人助産婦の私が自ら選んで飛び込んだ「ブランド産院」は,今振り返れば「野生の王国」のような場所だった。コンプライアンスもまだ影も形もない時代。病棟には独特の熱気とカオスが漂い,今なら即刻,労基案件になりそうな「阿吽の呼吸」で現場が回っていた。一方,入院患者さんの顔ぶれは華やかで,病室には高級ブランドのバッグや装飾品が当たり前のように置かれている。そんな場所で,私は一生忘れられない「事件」を起こした。

 ある夜勤の明け方のことだ。私は帝王切開後の患者さんのラウンドに回った。新人にとって,術後の全身管理は緊張の連続だ。しかし,その朝の光景を見た瞬間,私の血の気は引いた。

 患者さんのベッドの下,そこには最高級のルイ・ヴィトンの大きなボストンバッグが置かれていたのだが,それが「黄金色の液体」に完全に浸っていたのである。尿バッグの下のストッパーを締め忘れるという,あまりに初歩的で,あまりに致命的なミス。溢れ出した尿は,一晩かけて高級な革をじっくりと,そして完璧に「マリネ」していた。

 青ざめるしかなかった私がこの状況をどう切り抜けたのか。トホホすぎて記憶にない。ただ,その後の光景ははっきりと覚えている。おしっこまみれになったルイ・ヴィトンを,おばちゃん助産婦が汚物流しでじゃぶじゃぶと水洗いし,ナースステーションに干したのだ。ルイ・ヴィトンが干されたナースステーション――なかなかシュールな光景だ。患者もその夫も笑っていた――内心はわからないが。

 コンプライアンスも個人情報保護法もSNSもなかったこの時代。誰も他者のミスをあげつらうことなく,なんとなくカバーしあう。そんな肝の据わった先輩たちと,おおらかな新米ママとパパ。その後の2週間の入院中,このエピソードで私たち3人はいくどとなく盛り上がった。忘れえぬ出会いだった。

❸岡村靖幸の「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」。トホホなことがあった夜勤明けは,決まってカラオケに直行していた。新人時代の,あの言いようのない全能感と劣等感,緊張と空回りする情熱。そんな「割り切れないエネルギー」を,岡村ちゃんの楽曲は全て肯定してくれる気がしていた。やらかした夜勤明けも,ちょっと浮かれた帰り道も,いつもマイクの向こうに岡村ちゃんがいた。

❹あの頃の私はまだ知らなかった。あの「割り切れなさ」を抱えたまま進み続ける力には,ちゃんと名前があったのだ。詩人ジョン・キーツが提唱し,精神科医・帚木蓬生氏の著書によって広く知られるようになった「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」という言葉がある。「どうにも答えの出ない,割り切れない事態を持ちこたえる力」のことだ。医療の現場は,白黒つけられないことばかりだ。自分のミスに打ちのめされる日もあれば,理不尽な状況に立ちすくむ日もある。正しいことをしたはずなのに裏目に出る日もある。どれも,すぐに正解は出せない。

 今の私は,忘れられない患者や場面,手ごわい先輩,そしておしっこまみれにしてしまったヴィトンのバッグといった「記憶の総体」でできている。失敗も戸惑いも,答えの出ない葛藤も,全てが今の自分をかたち作っている。完璧をめざす必要などない。ただ,不確実さのなかにとどまる勇気を持ってほしい。

 乱暴に聞こえるかもしれないが,聞いてほしい。今の情けなさも,やり切れなさも,無理に「美しい意味」などに回収しなくてもよいのだ。言葉にならない経験を抱えたまま働き続けるうちに,それは少しずつ自分のなかに積み重なり,やがて静かに意味を変えながら,自分を支える力になっていく。こうして重ねてきた記憶こそが,いつか誰にも真似できない,あなただけの深みになってくれるはずだ。

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奈良県立医科大学医学部看護学科公衆衛生看護学 准教授

❶新人時代を振り返ると,「自分はそこそこ何とかできるはずだ」と思っていた頃ほど見事に足元をすくわれていました。今だから笑って話せますが,当時の自分に会えるなら,まずは落ち着いて深呼吸を勧めたいです。

 一つ目の失敗は履歴書です。行政保健師の会計年度任用職員に応募したとき,私は記載を間違えました。本来なら新しい用紙に書き直すべきところを,なぜかそのときの私は「このくらいならよいだろう」と思い,二重線で訂正したまま提出してしまったのです。幸い採用していただけましたが,後になって,その履歴書を見ていた側の一人が今の妻だったと知りました。以来,「履歴書を二重線訂正したまま出すなんて信じられない」と折に触れてご指摘をいただいています。冷や汗の記憶とご縁の始まりが,同じ出来事として残っています。

 二つ目は精神保健のデイケアでの縄跳びを企画運営した時です。参加者の方に「二重跳びを見せて」と言われ,私は少し得意げに引き受けました。ところが,跳べません。驚くほど跳べません。会場には,縄が足に当たるパチン,パチンという音だけが響き,最後は参加者から「あ,もういいです」と優しく終了を告げられました。あのときの空気は今でも鮮明です。

 三つ目は漢字の読み間違いです。保健医療計画の会議を担当しており,「増悪(ぞうあく)」と言うべきところを,私はずっと「憎悪(ぞうお)」と言っていました。自分では全く気づかないまま会議が進み,終わった後に委員の先生から静かに訂正していただきました。疾患が悪くなる話が,いつの間にか疾患を憎む話になっていたわけで,思い返すたびに顔が熱くなります。

❷忘れ得ぬ出会いは保健所で結核を担当していた頃に出会った90代の女性です。山間部のご自宅まで車で片道一時間以上かけて訪問し,服薬状況や体調を確認していました。その方は畑仕事やお孫さんのことと並んで,「近くのパチンコ屋まで手押し車で歩いて行くのが楽しみなんです」と話してくださいました。私はその言葉にはっとしました。医療や介護の資源には目が向いていても,その人が外に出たくなる理由や生活を支える楽しみの場を十分に見られていなかったからです。この出会いは地域の暮らしを地理空間的にとらえることの大切さを私に教えてくれました。今,地理情報システム(Geographical information System:GIS)を用いて地域の健康を分析している原点の一つです。

❹新人の皆さんにお伝えしたいのは,まず出勤しているだけで十分エライ!ということです。そのうえで,どうかチャレンジを忘れないでください。人は必ず失敗します。大切なのは失敗しないことではなく,失敗した後にどう立て直すかです。そのためには周囲との関係が力になります。困ったときに助けを求められること,ふだんから言葉を交わせることは大きな支えです。そして責任感は持ちながらも少し楽観的でいてください。今回三つの失敗談をお話ししましたが振り返れば10個や20個ではききません。皆さんもいつか,今の失敗を笑って話せる日が来ます。そして,いつの日かこの企画を書く側になって,ご自身のSweet Memoriesを聞かせてくださることを楽しみにしています。


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がん研究会有明病院トータルケアセンター がん看護専門看護師

❶新しいことを理解したり技術を習得したりするのにとても時間がかかるのは今も同じです。私の新人時代は1980年代前半。当時,点滴のミキシングは看護師がナースステーションで行っていました。アンプルカットの練習では生傷が絶えず。20 mLのガラスの滅菌注射器でのミキシングでは内筒を支えきれず,大切な薬液を水鉄砲のようにこぼしてしまう始末。またバイアルに入っている抗がん薬を生理食塩水で溶解するときに,内圧の調整がうまくいかず,ピシャっと吹き出して抗がん薬を浴びることもあり……。当時,ミキシングは素手で行っていました。いまの時代では考えられないですよね。

 42床の胃・肝胆膵外科病棟では,当時3交代の2人夜勤でした。当時の手術出しは,朝に500 mLの石鹸浣腸,出棟時には術衣に着替えた患者に経鼻胃チューブ挿入,前投薬の筋肉注射,そしてストレッチャーでの手術室への移送というやり方でした。時に手術当日患者を2人担当することもありました。こんなとき,他の患者の空腹時採血に時間を要していたら,深夜勤業務は成り立ちません。そこで,自分の採血の腕を上げるために入職してから8月頃まで,日勤の日は毎度,朝食前の採血当番をさせていただきました。不器用で目も当てられない状況だった私でも年末頃には,血管が出ない患者の手掌や手指,足背から採血できるようになったのです。当時の私は半袖の男性をみつけると,「この人の血管ステキ!」と,容姿には関心がなく,血管に注目しておりました(笑)。

 私が3つの病院で教育担当副看護部長を担えたのは,自分自身の物分かりの悪さが功を奏していると思います。自分にわかるようにすることが,「人にわかるような見える化や,伝え方の工夫」につながったと思います。そして,自分の体験から,時間がかかっても努力する人にはいくらでも付き合えるという強みになったと思います。

 副看護部長時代,職場で仲の良かった同僚と,「私たちはギリギリガールズよね」とよく言ったものです。時間はかかるけれど,締切には間に合っていました。

❷私が入職した当時,8年目の看護師だったプリセプターの吉田久子さんです。厳しかったけれど,その中に愛情を感じ,ちゃんと見ていてくれるという信頼感がありました。吉田さんからは,自分のことだけに集中するのではなく,たとえば記録を書いているときも前後左右の気配を感じ,音を聞き,速やかに対応すること等々,基本的な姿勢も学びました。7月生まれ(かに座)の私に,吉田さんはカニの小物を作ってプレゼントしてくれました。この小さなカニのぬいぐるみを,40年以上たった今でも大切に持っています(写真)。これを見るたびに目頭が熱くなります。あの頃を思い出し,感謝の気持ちでいっぱいになります。手がかかる新人看護師だった私を育ててくれた諸先輩のおかげで,私は看護師を続けることができました。

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写真 新人時代にプリセプターであった吉田久子氏にもらったぬいぐるみ

❸中島みゆきの「時代」です。「あんな時代もあったねと,きっと笑って話せるわ」という歌詞に励まされたこともありました。ちなみに,新人時代のお給料日には毎月,同期入職の友人と東京タワーに上って夜景をみることが自分へのご褒美でした(あの頃のお給料は現金の手渡しでしたね)。

❹新しいことを理解したり技術を習得したりするのに時間がかかるのであれば,時間をかけるしかなく,人一倍努力することが大切です。わかったふりをしたり取りつくろったりはせず,知識・技術を確実に自分に蓄えていってください。

 一方,どうか一人で悩まず,助けてほしいと周囲の人に声をかけてください。あなたが努力する姿を先輩方はちゃんと見ています。看護師は本当にすばらしい道だと思います。看護の道に進まれた皆さまに幸あれ。


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大阪府済生会吹田病院 皮膚・排泄ケア特定認定看護師

❶新人の頃の出来事は,今振り返ると笑えることばかりです。けれど当時は必死で,毎日が小さな事件の連続でした。

 夜勤に入るようになった間もない頃の出来事です。部屋回りの際,ある患者さんの布団が足元でぐしゃっと丸まっていました。「これはきれいにしてあげないと」と思い,布団を持ち上げて大きくはたき,しわを伸ばして掛け直しました。快適に休んでいただきたい,そんな思いで丁寧に整えた“つもり”でした。ところがその瞬間,「コロン……」と何かが床に落ちて転がっていきます。何だろうと目で追うと,それはまさかの義眼。しかもそのまま病室を出て,廊下を転がり,トイレの方向へ……。思わず「待って~!」と声を出しながら追いかける自分。深夜の静かな病棟に響く自分の声と,転がる義眼。必死にトイレまで追いかけ,拾い上げたものの,「どうしよう!」と頭の中は大パニック。冷や汗が止まらないほど焦りまくったあの瞬間は,今でも鮮明に覚えています。

 何事も患者さんの周囲に注意を払うことの大切さを学んだ,忘れられない“新人の洗礼”です。

❷家に帰りたいと強く願っていた,一人暮らしのストーマの患者さんです。正直,自宅でケアを続けるのは難しいかもしれないと,誰もが感じるような管理困難なストーマでした。担当の私は,ケア方法を必死でお伝えしたところ,最初は不安そうだった表情が,少しずつ「できるかもしれない」という表情に変わっていきました。その変化が嬉しくて,「大丈夫,一緒にやってみましょう」と声をかけながらかかわった日々でした。

 数年後,偶然その方と再会しました。とてもお痩せになっており,最初は気づきませんでした。その方は私の手をぎゅっと握り,「あなたのおかげで,ここまで生きてこれました」と言ってくださいました。

 あのときの私は,“退院指導”という日々の業務の一つとしてかかわっていたにすぎません。けれど,そのかかわりは,その方の人生を支える一歩になっていたのです。そして私はその後,ストーマケアを専門とする看護師の道を歩むことになりました。振り返れば,この経験が原点だったのかもしれません。看護は,目の前のケアだけで完結するものではありません。その人の“これから”につながっていくものです。

 この仕事の奥深さと,人に寄り添う看護の力を教えていただいた,かけがえのない出会いです。

❸迷いながらも必死で仕事をしていた新人の頃,よく仲間と車で出かけては大声で歌っていたのが,米米CLUBの「浪漫飛行」です。「そこから逃げだすことは誰にでもできることさ」という歌詞に何度も共感し,自分たちの気持ちを重ねていました。トランクひとつで飛び出していくようなあの軽やかさは,当時の私たちの背中を強く押してくれました。

❹きっと,壁にぶつかることも,思い通りにいかない日もあります。それでも,前に進むことだけはやめないでください。

 この仕事には,他では得られないものがあります。あなたのかかわりで,誰かの人生が変わる瞬間があります。そしてある日ふと,「この仕事を選んでよかった」と心から思える日がきます。

 その瞬間に出会うために,あなたらしく歩き続けてください。