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『記憶障害の診かた』より

石原健司

2025.05.30

高次脳機能 / 神経心理学は「どうもよくわからない」と苦手意識を持つ方も少なくない領域ですが,同時に,奥深く,探求しがいのある領域であるとも言えるでしょう。『記憶障害の診かた』は,日本神経学会学術大会で開催されているハンズオンセミナー「高次脳機能の評価と解釈」の講義内容をベースに,初学者でも理解できるよう基本的な内容からスタートし,読み進めるに従って臨床場面でも応用できる内容として書籍化したものです。記憶・記憶障害のメカニズムを知りたい全ての人に役立つ一冊となっています。

「医学界新聞プラス」では,本書より「記憶の分類」「記憶障害の分類」「記憶障害を生じる脳病変部位と疾患」各章の冒頭に加えて,症例1つをピックアップし,ご紹介します。

第1章 記憶の分類

 本章では,2種類の記憶分類を学びます。1つは覚えている内容に基づく分類です。エピソード記憶や手続き記憶といった用語は,なじみがないかもしれません。いろいろと種類があるので,はじめは難しく感じられますが,「Squire(スクワイア)の分類」を理解できれば,臨床の場では十分です。

 もう1つは情報を覚えている時間の長さに基づく分類です。電話をかけようとして電話番号を覚えておくこと,先ほど食べた食事の内容を覚えていること,小学生の夏休みに行った旅行先を覚えていること,これらを分けて考えるという分類です。

 記憶の分類がわかると,記憶障害の内容を分析する際に,どのような点に注意して診ていけばよいのか,理解できるようになります。まずは記憶障害を理解する土台をつくっていきます。

イントロダクション

 一口に「記憶」と言っても,その意味するものは多岐にわたっています。例を挙げれば,「覚えること」も「思い出すこと」も記憶ですが,意味する内容は異なります。「覚えること」は新しい情報を脳に取り込んで定着させること,「思い出すこと」は脳内に保存されている情報を取り出すこと,といえるでしょう。認知症の多くを占めるアルツハイマー病では,新しく覚えることが苦手になりますが,昔の出来事を思い出すことは,ある程度可能です。
 記憶を形成する(覚える),あるいは想起する(思い出す),というプロセスを単純化すると,次のようになります(図1-1)。

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図1-1 「登録」「保持」「再生」のイメージ
記憶の「登録」・「保持」・「再生」のプロセスは,データをコンピュータのハードディスクに記憶させておくプロセスに似ています。一方,コンピュータに情報を記憶させる際には「固定化」のプロセスはありません。

登録:新しい情報・事柄を覚える過程。記銘または書き込み,とも呼ばれます。

保持:一度覚えた情報・事柄を,思い出すまで保っておく過程。

再生:覚えている事柄を思い出す(想起する)過程。自発的に(手がかりがあってもよい)思い出す場合を再生,いくつかの選択肢から正しい情報・事柄を選んで思い出す場合を再認再生,と呼びます。

固定化(コンソリデーション):いったん覚えた記憶は,何もしなければ時間経過とともに減衰し,やがて忘却されることが多いのですが,長期間経過しても安定した記憶として思い出すことができるようになる,という過程を,記憶の固定化(コンソリデーション)と呼びます。これはコンピュータにはない,生物の記憶形成に特徴的なプロセスです(コンピュータの場合は,一度記憶された情報が時間経過とともに減衰することはないため,固定化というプロセスを経る必要がありません)。

 記憶障害を評価するためには,記憶のどの側面を評価するのか,しっかりと理解しておく必要があります。その理由は,疾患によって,あるいは病変の部位によって,障害される記憶の種類が異なるためです。例えば,認知症の1つに「意味性認知症」という疾患があります。かつては「左側頭葉型ピック病」と呼ばれていたことがある疾患です。この疾患では病初期に「語の意味記憶」が選択的に障害されることが知られています。しかし「語の意味記憶」がどのような記憶で,どのように検査をすればよいのか,を知らなければ診断できません〔「語の意味記憶」がどのようなものかは,本章の「意味記憶」の項目,第2章の「意味記憶の障害」の項目をご参照ください〕。

記憶する内容に基づく分類

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 記憶する内容に基づく分類としてまずは,Squireの分類図1-26)をご理解ください。この分類は臨床現場で多く用いられており,記憶研究の共通言語ともいえるからです。

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図1-2 Squireによる記憶の分類6)

 本項では,記憶する内容に基づく分類には宣言的記憶手続き記憶の2つがあることを学びます。2つの大まかな違いは,宣言的記憶は記憶する内容を言語化できるのに対して,手続き記憶は記憶する内容を言語化できない,という点にあります。

▶column Larry Ryan Squire(1941~)

 米国の精神科医・神経科学者で,現代の記憶研究の第一人者です。ラット,サル,ヒトと幅広い種を対象とし,心理学的なアプローチが主流であった記憶研究に,神経科学的なアプローチを本格的に導入した1人です。前述の記憶分類で広く知られていますが,記憶の種類によって関わる脳部位が異なることを明らかにし,側頭葉内側,特に海馬で記憶が記銘され,記憶が定着するとともに,記憶の貯蔵・再生の場が海馬から大脳新皮質に移行することを見出すなど,現在の記憶研究の基礎をつくり上げました。本邦では1987年の著書「Memory and Brain」の翻訳が1989年に出版されており[『記憶と脳』河内十郎(訳),医学書院]6),また神経科学研究の大家Eric R. Kandelとの共著,「Memory:From Mind to Molecules」(2008年)の翻訳も2013年に出版されています[『記憶のしくみ 上・下』小西史朗・桐野豊(監),講談社ブルーバックス]。

文献

6)Squire LR(著),河内十郎(訳):記憶と脳―心理学と神経科学の統合.医学書院,1989,p173(Squire LR:Memory and Brain. Oxford University Press, 1987)

 

記憶障害をどう診るか、記憶のしくみから検査法まで、やさしく深く丁寧に解説!

<内容紹介>
《シリーズ 高次脳機能の教室》第1弾! 認知症をはじめとするさまざまな疾患で生じる記憶障害=健忘を、誰にでもわかる言葉で丁寧に解説した最良の入門書。記憶にはどんな種類があり、それが障害されると何が起こるのか? 脳のどの部位が損傷すると記憶が失われるのか? 診断や検査の方法は?臨床に必要な知識を網羅しながらも、やさしく深く楽しく解説。記憶の仕組みと記憶障害のメカニズムを学びたいすべての人へ。

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