医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2025.11.11 医学界新聞:第3579号より

 『世界標準の経営理論』(入山章栄著,ダイヤモンド社,2019年)の第19章「モチベーションの理論」にある理論6:プロソーシャル・モチベーション(prosocial motivation:PSM)に,私はこのところ注目している。

 2000年代に入って経営学で登場した新しい視点の研究であると著者は紹介している。書籍によると,PSMは「他者視点のモチベーション」のことであり,PSMが高い人は,関心が自身だけでなく他者にも向いており,他者の視点に立ち,他者に貢献することにもモチベーションを見いだす。これはけっして,「社会貢献」のような大きなものに限った話ではない。「顧客視点に立つ」「取引先との視点に立つ」「部下の視点に立つ」といった,身近なものを含む。

 書籍では,PSMと内発的動機の「補充効果」に言及する。つまり「PSMと内発的動機がともに高いレベルにあると,互いが補完し合って,その人の高いパフォーマンスにつながる」とされ,「他者に貢献することをみずからの楽しみとして感じる」と説明される。さらに,クリエイティビティを高める可能性に関連した話題が続く。PSMが高い人はアイデアが新規であるかどうかだけでなく,そのアイデアが「相手にとって有用か」までを考え,他者に役立つことを「面白い・楽しい」と感じるため,クリエイティブな作業にコミットするようになるという。

 この理論を頭に置いて考えると,看護管理者の次のような言動を再検討しなければならないであろう。

事例1:看護部長が部下である病棟師長に何の根拠も示さず,「あなたは部下に信頼されていないでしょ」と言う。言われた部下は深く傷つく。反論するための自己確信もなく悔しさと怒りだけを胸に看護部長室を退出する。

事例2:大学院生の授業のために到着した外部講師を,大学入口で迎えた大学教員が,学生が近くにいるにもかかわらず,「先生,帰りの列車は何時ですか。タクシーを用意しますか。授業時間を早目に切り上げていいですから」と話し出す。本来バックヤードでする話をフロントヤードで他の話題に優先する教員のPSMに疑問を感じる。

事例3:看護大学では,学生の臨地実習計画に科目責任者は腐心するのが日常である。そのような中で,ある領域の教員が「実習施設を変更したい。新しい実習施設はこの学生配置数では無理だ。減らしてほしい」と発言した。すでにこの領域の学生配置数は減らしており,他の領域に学生を移動することはできないと科目責任者は途方にくれる。しかもこの発言は教授から発せられるのである。PSMはどうなのか。

事例4:大学教授が研究協力者として参加してくれた教員に対して,「研究を引き受けてから数か月経つが進捗がみられない。もし研究遂行の意欲が持てないのであれば,私が代わって行う」と伝えると,教員は「そんな無責任なことはできない」と激昂する。研究プロジェクトリーダーは戸惑う。

事例5:ある時,新しく就任した看護部長を表敬訪問した私は,看護部長室を退出したあとすぐに閉められた扉と,同時に「ガチャ」という鍵をかける音に拍子抜けした。通常,客人を扉の外まで見送り,扉はそっと閉める。鍵をかけるのは客人が去ってからだという常識がひっくり返された瞬間である。とりわけ「ガチャ」という音が大きく響いた。この看護部長のPSMを疑った。

事例6:病院機能評価のケアプロセスに,自身の病棟も含まれるのではないかと考えた病棟師長は,機能評価担当の責任者である上司にあれこれ尋ねた。面倒になった上司は手の甲を相手に向けて,「しっ,しっ」という動作をした。追い払われた病棟師長は,もうこの件で「報連相」するのはやめようと決意した。この上司のPSMはどうなのだろうか。

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 生成AI・Geminiに尋ねたところ,「『プロソーシャル』とは,他者や社会の利益を促進する行動の動機を指す言葉であり,利他的な行動,共有,協力,寄付,ボランティア活動などがこれに含まれる」とのことであった。

 先に挙げた6つの事例は,いずれにしても相手の立場で考えて,自分の考えや行動を調整しているとは言いがたい。日常的にはこのような行動タイプは「社会性がない」と称される。看護管理者は,看護管理の専門家になる以前に,こうした社会性を培う必要がある。社会性は教科書で学ぶには限界があり,多くは日常生活の中で身につけていくことになろう。

 こんな格言が役に立つ。「親しきなかにも礼儀あり」や,「人の振り見て我が振り直せ」である。

 自らの戒めにしたいと思う。