社会の中で看護師が果たす役割
看護の歴史から見えてくるもの
寄稿 山下 麻衣
2026.03.10 医学界新聞:第3583号より
一般的に看護師と聞いて思い浮かべるのは,病院で患者に寄り添う女性の姿ではないだろうか。しかし歴史を振り返ると,看護を担ってきた人々の在り方は一様ではなく,働く場も病院に限られていたわけではない。
私が翻訳者の1人となった書籍『TAKING CARE――看護の知が社会を変える』1)(サラ・ディグレゴリオ著)は,看護が人類の歴史とともに存在してきた営みであることを教えてくれる。同書が示しているのは,看護が,特定の専門職の成立によって生まれたのではなく,人が誰かを気づかい世話をするという行為の延長線上で形づくられてきたという事実である。
歴史をたどると,職業としての看護は,医療を補助するだけの存在ではなく,人々の生を支える不可欠な役割を果たしてきたことが見えてくる。だからこそ,その役割を改めて見つめ直すことは,私たちがどのような社会を築こうとしているのかを問い返すことにもつながる。
近代日本における看護婦の誕生と葛藤
では,近代以降の日本では誰が看護を担い,どのように働いてきたのだろうか。フローレンス・ナイチンゲールの理念に基づく教育制度が世界に広く導入されると,体系的な教育・訓練を受けた看護婦(註)が次々と誕生した。そして明治期以降,職業として看護を担う者たちは医療の現場を支える重要な存在となっていく。しかし,その労働は必ずしも十分に評価されてきたとは言い難い。献身や奉仕といった言葉で語られる一方で,専門性が評価されづらく,労働環境の改善は進まなかった。
看護職は長らく「女性に適した仕事」と見なされてきたが,この認識が働き方にも大きな影響を及ぼしてきた。戦前期日本において,医療機関で働く看護婦は,一部の例外を除いて,結婚すると退職するのが当たり前とされ,職業として経験を積み重ねながら専門性を高めることは困難であった。一方で,たとえ結婚前のみの働きであったとしても,女性の職業選択が著しく限られていた時代の中で,職業としての看護は多様な背景を持つ女性たちに経済的自立への道を開いてきたこともまた事実であった。
もっとも,この職業に従事した女性たちは常に理想と現実の狭間で葛藤してきた。高い倫理や献身が求められる中で,生活のためにより良い報酬を得られる職業として看護を選んだと語ることすら,批判の対象となる場合があった。ディグレゴリオは前掲書第9章「私たちは天使ではない――労働としての看護」において,「看護師が労働者であることは誰も否定できない」というラヴィニア・L・ドックの言葉を紹介している。看護を崇高な使命としてのみとらえるまなざしと,労働として正当に評価しようとする視点との間の緊張関係は,決して過去のものではない。
派出看護婦会という事業体
ただし,結婚後や配偶者との離別・死別を経た場合であっても,看護職として働き続けられる道が皆無だったわけではない。
その一つが,産婆,もしくは,一定の教育と臨床経験を備えた看護婦によって経営された派出看護婦会に所属し,病院や家庭に赴いて看護を提供する派出看護婦として働くという選択であった。同会は,看護サービスの提供にとどまらず,後進の育成を担う教育の場としても機能していた。
派出看護婦は,感染症が常態的に流行していた当時の社会状況を背景に,とりわけ1910~30年代にかけて極めて重要な役割を果たしていた。この分野を語る上で欠かすことのできない女性が大関和(1858-1932年)である。彼女は派出看護の実践を理論化して著作にまとめ,その知を社会に広く伝えるとともに,同業の女性たちを組織し待遇改善を求める運動を展開した指導的存在であった。2026年度前期のNHK連続テレビ小説『風,薫る』で彼女が取り上げられる予定であり,これを契機として,日本における豊かな看護労働の歴史が広く知られることになるだろう。
戦後日本の看護体制と現場を支えた人々
ディグレゴリオは前掲書の「はじめに」において,広範な人々が従事する職業として看護職が成立していると述べている。その上で,看護における人種差別の問題に対処するには,RN(Registered Nurse)の採用が特定の人種に偏らないよう配慮する必要があると主張している。具体的には,その他の人種的マイノリティーに該当する学生が比較的進学しやすい准学士課程(Associate Degree in Nursing:ADN)を修了したRN(ADN-RN)の採用を支援することが重要であるとする。
この主張は,戦後期日本において職業としての看護が看護師,准看護師,そして病院における入院患者の付き添いを生業とする者を意味する付添婦によって担われてきたことを想起させるものであり,それぞれがどのように役割分担を形成してきたのかを考える上でも示唆的である。
まず,戦前期には高い教育水準を備え海外で教育を受けた看護職が公衆衛生看護を担うことで,専門性を追求していた。戦後復興期になると,GHQ主導の改革によって,看護師を医師の補助者ではなく独立した専門職として位置づけることがめざされた。医師との関係を「車の両輪」と表現した看護師の語りを目にしたことがある。この比喩は,看護の専門性が医師との対等な協働関係の中で発揮されるべきだという認識の広がりを示すと同時に,現実がなお理想に達していなかったこと,そしてその実現を志向する規範意識が形成されつつあったことをも示唆している。看護職の労働環境が必ずしも十分に改善されていたわけではないものの,リーダー層の女性たちによる制度改善への尽力によって状況は着実に前進していった。
次に,現場を実質的に支えていた存在として見落とせないのが,准看護師や資格を持たない付添婦であった。高度経済成長期以降,国民皆保険の成立に伴う患者数の増加や高齢化の進展によって医療需要が拡大する中,深刻化した数の不足を補っていたのは,無償労働としての家族を除くと,制度上,十分な評価を受けていたとは言い難いこれらの女性たちであった。食事や排泄の介助,身の回りの世話といった生活を支える看護労働を担った両職種の役割は,看護師による実践を下支えする重要なものであったと言える。これらの職種を制度として存続させるべきだと主張したいわけではない。労働としての看護を社会のなかでどのように位置づけるのかを考えるには,こうした職種の存在と役割を歴史的文脈に即してとらえ直し,包括的に議論することが求められると述べておきたい。
寄り添う専門職をどう支えるか
今後は,職業として看護を担う人々の働きを私たちが生きる上で欠かすことのできない実践として評価し,持続可能な形で支えていく必要がある。少子高齢化がかつてない速度で進む日本では労働力不足が深刻化している。こうした社会状況を踏まえると,看護職が持続的に就労するには「称賛」ではなく「適切な報酬」と「安全な労働環境の保障」が重要であるというディグレゴリオの主張は重い意味を持つ(前掲書226頁)。
かつて私は,自著の副題として,「寄り添う専門職の誕生」と記したことがある。ディグレゴリオもまた,看護師は,最悪の瞬間,最高の瞬間の双方に立ち会って,言葉や理屈では説明できない出来事に寄り添うことができる存在であると強調している(前掲書261頁)。看護の歴史が示しているのは,ケアの営みを献身に委ねるのではなく,社会全体でいかに支えていくかという課題の重要性にほかならない。
註:本稿では,戦前期における職業として看護を担う者を「看護婦」「派出看護婦」,歴史的用語として「産婆」という呼称を採用している。
参考文献
1)サラ・ディグレゴリオ(著),山下麻衣,藤原哲也(訳).TAKING CARE――看護の知が社会を変える.医学書院;2025.

山下 麻衣(やました・まい)氏 同志社大学商学部 教授
1997年阪大経済学部卒。京都産業大経営学部教授などを経て,2023年より現職。博士(経済学)。専門は近代日本看護史,日本経済史。著書に『看護婦の歴史――寄り添う専門職の誕生』(吉川弘文館),訳書に『TAKING CARE――看護の知が社会を変える』(医学書院)など。
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