専門看護師の思考と実践

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9領域14名の専門看護師が24事例を挙げ、6つの能力(俯瞰的視点、専門的な臨床判断と実践力の融合、実践のリフレクション、患者との治療的パートナーシップの形成、実践の方向性を決めるエビデンスと研究結果を状況に投入、多様な健康・疾病マネジメント)と役割(実践、コンサルテーション、コーディネーション、倫理調整、教育、研究)を基に、患者にとって最善のケアを選択していく思考プロセスと高度実践を展開する。
監修 井部 俊子 / 大生 定義
編集 専門看護師の臨床推論研究会
発行 2015年06月判型:B5頁:188
ISBN 978-4-260-02400-6
定価 3,850円 (本体3,500円+税)

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はじめに

 本書は,各領域で活躍する専門看護師が持ち寄った実践報告であり,専門看護師が現場のある場面を切り取って何を考え,どう行動したかをできるだけ精緻に記述した事例集である。
 臨床実践は常に理論よりも複雑で,理論だけでは把握できない数多くの現実を突きつけてくる。経験を積んだ看護師にとって,この臨床と理論のかけあいこそが理論の改良を可能にする1)。さらに,達人看護師がみせるホリスティック(全体的)で,すばやい意思決定を説明するには,看護過程や意思決定分析だけでは限界がある。すぐれた実践の前後関係や実際の意図,解釈も含めずには,職務の難しさや相対的な重要性,関連する局面,熟練した実践の成果などを適切にとらえることはできない2)
 ベナーらの研究において,臨床的推論とは,特定の患者や家族について推移を見通すこと(reasoning‐in‐transition)であるとしている。推移を見通すことは,常に変化する終わりのない臨床状況における実践的推論のことであるとしたうえで,次のように説明している。
 つまり,実践的推論とは,人の理解をもっとすぐれたもの,あるいは明瞭なものへと変化させ,矛盾や混乱を来す不十分な理解からよりすぐれた理解へと変化させることによって,間違いが少なくなり,自分の能力に対する自信が強まり,自分の限界が明らかになる。さらに,臨床家は,連続性や発展性・変化・わずかな違い(ニュアンス)が考慮されるような,動画にも似た推論技能を磨かねばならない。そのためには,時間の経過に応じたナラティブな理解が求められる。それによって,患者の様態の変化に即した理解が増加したか減少したかを臨床家が判断できるからである,と指摘している3)
 一方,生理学的なメカニズムやパスウェイを明らかにする基礎科学の推論は,大きな集団にとっての予後ないし結果に関する一般化されたデータよりも,個別の患者にあてはめるのは容易であるとしたうえで,形式的かつ基準に基づく推論は,推論としては「スナップ写真」に類するものに過ぎないという4)
 ここで,物事をきわめて単純化して論じると,専門看護師が行なっている臨床推論は「動画」的推論であり,医師が行なう臨床推論は「スナップ写真」的推論であるという仮説をおくことができる。
 本書で展開される専門看護師たちの思考と実践事例は,専門看護師が直面した臨床状況の「動画」を少し止めてナラティブに記述し,そこで展開された実践的推論を記述するものである。
 卓越した臨床家は,個別の患者がどのような臨床状況を示すかに応じて適切な処置を開始するためには,「いつ」「どのように」すべきかを知らなければならない。この種の実践的推論は終わりなく継続されていく5)
 専門看護師の思考と実践のプロセスを記述することは,知識変換プロセスにおける暗黙知の表出化である。しかしながら,暗黙知が暗黙知であるがゆえにその記述は困難な作業でもある。専門看護師が行なっている思考と実践を臨床推論モデルとして提示するにはさらなる吟味が必要である。暗黙知は連結化されて形式知となり,組織的知識創造に貢献する。専門看護師の思考と実践を理論化し,知を体系化していくために,看護管理者には,専門看護師の知のプロデューサーとして,彼女たちの活用を組織化していく役割が期待される。

 2015年初夏
 井部俊子

【引用・参考文献】
1)パトリシア・ベナー著,井部俊子監訳:ベナー看護論——初心者から達人へ(新訳版).30,医学書院,2005.
2)前掲書1).31-32.
3)パトリシア・ベナー他,井上智子監訳:ベナー 看護ケアの臨床知——行動しつつ考えること.15,医学書院,2005.
4)前掲書3).16.
5)前掲書3).17.

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はじめに
執筆者一覧
序章 専門看護師に共通する6つの能力

第I章 俯瞰的視点
CASE 1 患者に残された時間のコーディネーション
 長谷川久巳 [がん看護専門看護師]
CASE 2 専門看護師が決断した最良の方策は主治医の交代であった
 長谷川久巳 [がん看護専門看護師]
CASE 3 母親が子どもにしたいことを実現する
 ベッド上で行なわれた卒園式・入学式
 渡邊輝子 [小児看護専門看護師]
CASE 4 バッドニュースを伝える技
 患者の意向と家族の歴史から病名告知の意味をとらえ直す
 中山祐紀子 [がん看護専門看護師]
CASE 5 手のかかる患者の受け入れに伴う「チームの不安」と向き合う
 荒井知子 [急性・重症患者看護専門看護師]

II章 専門的な臨床判断と実践力の融合
CASE 6 患者の「ふみとどまる力」を支える
 宇都宮明美 [急性・重症患者看護専門看護師]
CASE 7 破水から35時間,妊婦・胎児のもつ力を見積もり,引き出す
 瀧 真弓 [母性看護専門看護師]
CASE 8 症状の背景にある要因を見極める
 白井教子 [精神看護専門看護師]

第III章 実践のリフレクション
CASE 9 スピリチュアルペインに寄り添う看護師へのコンサルテーション
 梅田 恵 [がん看護専門看護師]
CASE 10 褥瘡に悩まされた高齢認知症末期の緩和ケア
 ケアする看護師の不全感と向き合う
 塩塚優子 [老人看護専門看護師]
CASE 11 母親の終末期に,家族の強みを引き出す支援(1)
 医療者の思いと現状のずれを修正し,家族支援の目標を立てる
 高見紀子 [家族支援専門看護師]

第IV章 患者との治療的パートナーシップの形成
CASE 12 母親の終末期に,家族の強みを引き出す支援(2)
 個々の家族に意図的に介入し,残された時間を家族で過ごす
 高見紀子 [家族支援専門看護師]
CASE 13 患者の「拒否」をほどいて治療に「つなぐ」
 梅田 恵 [がん看護専門看護師]
CASE 14 掘り下げて聴くことで見えてくる女性のニーズと看護
 瀧 真弓 [母性看護専門看護師]
CASE 15 パニック状態に伴う不安のアセスメントと対応
 白井教子 [精神看護専門看護師]
CASE 16 慢性疾患患者がふらっと訪れる看護外来
 「ねばならない」からの解放
 米田昭子 [慢性疾患看護専門看護師]
CASE 17 自閉症の子どものプリパレーション
 手術に向けた柔軟な関わりによる調整
 渡邊輝子 [小児看護専門看護師]

第V章 実践の方向性を決めるエビデンスと研究結果を状況に投入
CASE 18 人工呼吸器離脱困難者が歩行する
 宇都宮明美 [急性・重症患者看護専門看護師]
CASE 19 急性状態にある精神疾患患者への治療様式としての「接近法と全身清拭」
 大橋明子 [精神看護専門看護師]

第VI章 多様な健康・疾病マネジメント
CASE 20 高血糖状態にあるがん患者への「あえて食べること」の選択
 米田昭子 [慢性疾患看護専門看護師]
CASE 21 がん末期患者の「家に帰りたい」思いを叶えるための調整力
 田代真理 [がん看護専門看護師]
CASE 22 認知症高齢者の「食べる」楽しみを支える
 塩塚優子 [老人看護専門看護師]
CASE 23 終末期の患者の希望を「カシオペア」に乗せて
 中山祐紀子 [がん看護専門看護師]
CASE 24 医療拒否の患者の意思を尊重し,皆が納得する
 尊厳ある死を迎えるための調整
 佐藤直子 [在宅看護専門看護師]

終章 専門看護師の思考と実践の特徴
おわりに

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専門看護師の思考と実践の広がりと深まりに気づかせてくれる至れり尽くせりの展開 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 田村 恵子 (京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻)
 本書を手に取った瞬間,監修・編集のそうそうたる先生方のお名前を拝見して,ずっしりと伝わってくる重みに「読むにはちょっと忍耐が必要かも」と感じた。思い切って「はじめに」を読み始めると,井部俊子先生の刺激的な文章がつづられていた。ことに,専門看護師が行っている臨床推論は「動画」的であり,医師が行う臨床推論は「スナップ写真」的であるとの表現に目が止まった。「動画」的推論!? 初めて聞く言葉に,専門看護師の働きの中心が表現されていると直感的に感じて心がときめいた。臨床に根ざしていて,これは面白そうと興味を抱いた。

◆6つの役割を実践するための6つの能力

 序章において,専門看護師が,その実践事例において課せられた6つの役割(実践,相談,調整,倫理調整,教育,研究)を実践するために共通する6つの能力(俯瞰的視点,専門的な臨床判断と実践力の融合,実践のリフレクション,患者との治療的パートナーシップの形成,実践の方向性を決めるエビデンスと研究結果を状況に投入,多様な健康・疾病マネジメント)が詳細に述べられており,この章だけでもかなりの読み応えである。

 私が,がん看護専門看護師として常々大切にしているのが,その事象全体をまるごと捉える視点であり,患者に関わる時点でおおよその状態を把握し介入の方向性についてあたりをつけている。そしてほぼ同時に,専門的知識を用いて臨床判断を行い,何を解決すべきかを見極めている。これらの能力は「俯瞰的視点」と「専門的な臨床判断と実践力の融合」と命名されており,改めてその適切さに感心した。

◆専門看護師の思考と実践プロセスにおける仮説

 続く第1章以降で,先の6つの能力を軸足として,事例に基づいて臨床推論が展開されている。読み始めると「そうそう」と大きく頷いたり,「分野が異なるとこんな違いがあるのか」と驚いたり,「ここは私の弱いところだな」と自身の実践能力について分析を行ったりと,「ワクワク」の連続であった。文中の“考えたこと”を読み,「なるほど」と納得する。

 しかも,各事例のリードには井部先生のコメント,事例のあとには極意と秘訣,そして,大生先生のコメントが記載されており,これらを通して専門看護師の思考と実践の広がりと深まりに気づくという,まさに至れり尽くせりの展開である。その上,終章には専門看護師の思考と実践の特徴が記されており,3つのプロセスにリフレクション・プロセスが関与しているという仮説が提示されている。

 くしくも,本年度より専門看護師は高度実践看護師として新たな発展を遂げようとしている。専門看護師には,高度な実践をどのように行っているのかを共有し,役割開発や教育を効果的に進めていくための実践モデルの開発が求められている。本書は,まさにその期待に応えてくれる内容である。

 専門看護師やそれを目指している方は言うに及ばず,高度実践看護師を活用されている看護管理者や,大学・大学院教育に携わっておられる教育者の皆さんなど,多くの方々にぜひお読みいただきたい1冊である。

(『看護管理』2016年2月号掲載)
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 山田 雅子 (聖路加国際大学看護学部教授・地域看護専門看護師)
 1997年、筆者が専門看護師になりたてのころ、「何ができるようになったの?」と周囲の医師からよく聞かれたものだ。その問いに対する回答は難しく、専門看護師の6つの役割を説明したところで何も伝わらないもどかしさをいつも感じていたことを思い出した。

 専門看護師には5年に1度更新する制度があり、「卓越した実践」については少なくとも5年ごとに意識して文章化し、オーソライズを受けていることになる。しかし、その記述は申請時に必要な書類として保管されているだけで、提出した当事者としては、どの点を卓越した実践者として認定されているのか、今一つつかみどころのないまま専門看護師の役割を日々模索していたような気がする。

 本書はそうした漠然とした専門看護師が抱える不安を、ベナー看護論を翻訳してエキスパート・ナースの実践をよくよく理解している井部俊子先生と、神経内科医で医師の臨床推論に詳しい大生定義先生が第三者として深いコメントを寄せて、大いなる自信につなげてくれる。

 執筆にあたり、専門看護師の精鋭14名が夜な夜な集まり、井部先生、大生先生とともに事例検討会を熱心に行なった。この事例検討会では、「精神的なさらけ出しを余儀なくされ、それに耐えうる勇気を必要とした(終章より)」という。筆者と同じ部屋で仕事をしている1人の執筆者の様子からは、過酷な質問攻めのなかで、頭の中の判断を言葉にすることに尋常でない苦労があったと察することができた。

◆どうにもならないと感じる患者をどうにかする

 事例は、難局を乗り越えた患者の姿に思わず、「あー、よかった!」と胸をなでおろすような物語として引き込まれる。専門看護師は、医師や他の看護師たちが考えてもいないアセスメントをしている。いずれの事例も固定観念や一般的な常識に縛られることなく、患者とその家族へ向けられたしつこくも!温かい視線とともに型破りな看護計画を導いている。

 また、その計画を実践するためにはチームで関わる必要がある。専門看護師は多職種の1人ひとりに独特の手法でアプローチし、チーム全体を巻き込んでいく。そのプロセスで驚くのは、すべての登場人物にポジティブな視線を向けているということだ。チームメンバー1人の言動が状況を悪くしていたとしても、そこを切り口として前に進むのである。そして最後は、型を破ることに対する責任を率先して引き受けていくのである。

 ここまで説明しても、冒頭の問いに十分に答えられるようになったかは別の問題かもしれない。それほど専門看護師は目の前の事象を包括的に判断しており、1つひとつの判断と行為を並べたところで全体を説明することはできないだろう。あえて答えるとしたら、専門看護師は皆がどうにもならないと感じる患者をどうにかできるということだろうか。

 「好奇心」「系統的な知識体系」「看護学に裏打ちされた信念」「建設的な執着」が「解放され、自由な」看護を生み出している。こうした専門看護師の頭の中をのぞいてみたい方には、必読の書だと感じた。

(『訪問看護と介護』2015年12月号掲載)
専門看護師が複眼的視点で重層的な流れを調整してゆく
書評者: 村上 靖彦 (阪大大学院准教授・人間科学・現象学)
 初めは見慣れない体裁に戸惑ったが,途中から電車を乗り過ごしそうになるほど没頭して一気に読み進めることができた。本書は14人の専門看護師による24の事例の報告と分析と終章,2人の監修者による序章と「おわりに」から成る。各章では,多様な病棟で出会った1人の患者のケアをめぐって,専門看護師が自らの実践を時系列で記述するとともに,そのとき「考えたこと」を並行して書き留めている。さらには看護師の判断の根拠となる技術的・法的な説明も項目が設けてある。

 このように,具体的な状況とそれに応じた実践,その背景にある専門看護師の思考(推論,判断),その根拠が工夫されたレイアウトで提示されることで,複雑な臨床場面で何が起こってどのように専門看護師が実践を組み立てたのか,複眼的に理解できるように工夫がされている。「見慣れない体裁」はこの重層性を一冊の書物で視覚化しようとした工夫に由来する。

 実際の現場では極めて多様な役割を専門看護師が担っているであろう。患者と家族の関係の調整,医療者と患者の調整,難しい病状のアセスメント,見通しが立ちにくいなかでの治療計画の作成など,ミクロな視点からマクロな視点までをもちうる存在としての専門看護師のスキルは本書からも十分にうかがえる。そもそも専門看護師は日常の業務では解決しきれない困難な事例を任されるであろうから,当然それぞれの事例の個別性は高い。そして本書はその個別性の高さがとても高い価値をもっている。まとめて紹介しても良さが伝わらないので,特に印象に残った事例を一つ紹介したい。

 慢性疾患看護専門看護師の米田昭子さんは,喘息,大動脈弁狭窄症,2型糖尿病をもつOさんを担当することになる(以下の「  」内はpp. 109-115からの引用)。Oさんは10年来の患者だが予約日には受診せず,かと思うと処方した薬がすぐになくなって来院する。しかも待ち時間が長いと帰ってしまう。「コンプライアンス不良」と医師からみなされて米田さんに紹介され,それ以後時々米田さんのもとを訪れてくるようになる。

 医療者の目には「病識欠如」で言うことを聞かない難しい患者なのだが,米田さんは在宅で独居しているOさんを「病人ではなく,慢性疾患とともに生きてきた生活者としてとらえる」ことで,Oさんの視点から考えようとする。こうして(セルフケアができないはずなのに!)アイロンのかかったポロシャツを着てくることや,天気の良い日に来院する意味を探っていく。Oさんの「強い側面」を見つけていくなかで,病のコントロールではなく「生活改善」に焦点を当ててアドバイスも行っていく。と同時にOさんに関わる医師や看護師に対しては,「Oさんの心の内を代弁」しながら連携を保ち,「現実的なケア」を提供する体制を整えていく。

 「何年も病が身体に蓄積されてきたという時間的視点」を米田さんはOさんに対して導入している。患者を医療に適応させるのではなく,患者の歴史へと医療の側がフィットしていくための潤滑油の役割を,専門看護師が担っている。患者の視点,生活の視点,というのは看護の世界では頻繁に語られることであろう。それでも極端に医療との折り合いが悪い患者との間でも,妥協することなく円滑に心地よいサービスを提供するための調整を図る看護師の経験・知恵と努力に率直に感動した。一つ一つの気遣いはとても繊細なものであるがゆえにこの短い書評ではすごさが描けないし,実際の実践は本書の記述以上の細かいプロセスの積み重ねであることが想像できる。細かなシグナルを読み取り,複眼的な視点をもって重層的な流れを調整していく,そのような専門看護師の力量を本書は垣間見させてくれる。

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