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『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』より

連載 森川すいめい

2021.08.27

 

森川すいめい氏による『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』は,オープンダイアローグを日本で行う際のノウハウが詰まった一冊です。医学界新聞プラスでは,実際の対話セッションの様子を交えつつ本書のエッセンスを3回にわたり紹介します。

 

約40年前にフィンランドのケロプダス病院で生まれ,日本でも普及しつつある「開かれた対話」こと,オープンダイアローグ。その概要は『オープンダイアローグとは何か』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』でも紹介されてきました。また『開かれた対話と未来』では,創始者による理論的な解説がなされています。

 

では,日本の診療現場でオープンダイアローグを実現するには,何から始めたらよいでしょうか。本連載でその糸口を探ります。
※本連載に登場する事例は全て,個人が特定されないよう加工しています。

 

『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』目次はこちらから

 

精神科病院であるケロプダス病院は、対話主義を貫いていますが、精神医学的なことはどう扱っているのでしょうか。診断名や薬はどうしているでしょうか。

なお、オープンダイアローグは現代精神医療を否定していると思われることがときどきありますが、実際はそうではありません。オープンダイアローグが大切にしていること――じっくり耳を傾ける、まわりの人の話も聞く、一緒にさまざまな発見をしていく――に、精神医学が助けになることもあります。

■診断名はいったん脇に置く

さまざまな現場(医療、介護、福祉等)で相談に来た人と話をするときに、その人自身の気持ちよりも、診断名を意識してしまうことはないでしょうか。

ここでいう診断名とは、「統合失調症」「双極性障害」「認知症」などだけではなく、「幻覚」「妄想」「焦燥感」「抑うつ状態」という症状名、「暴言」「介護拒否」「徘徊」などの行動面への命名も含みます。

診断名でものごとを考えてしまうと、ご本人たちの苦悩をちゃんと聞くことができなくなるように思います。

「この話は妄想だ」「認知症だから同じ話を何度もする」「うつ病だからそう考えるのだ」というように命名してしまうと、話している人の気持ちは大切にされにくくなります。話を聞くよりも医療につなげようとか、薬を飲んでもらおうと思いやすくなるでしょう。

支援をする人たちにとっては一見、何かの解決を示したように見えるかもしれませんが、「誰も自分の話を聞いてくれない」と感じさせるだけで、当の本人たちにとってはなんら助けになっていないことが多くあります。

■妄想は結果

私はよく独居のご高齢の方の家に呼ばれます。「泥棒が入ると思い込んだり、“妄想”がひどいから治療してほしい」「入院を検討してほしい」という依頼があるからです。こんなときに私が最初にするのは、関係する人たちに集まってもらって、そのなかで本人の話を聞くことです。

本人は、精神面の困難、というか人生の困難に直面していますから、たいていはすごくたくさん、あふれるような気持ちを話してくれます。誰も話を聞いてくれないという嫌な体験をすでにしていて、何も話さないと決めている人もいますが、今日は話を聞きに来たという姿勢でその場にいることができれば、たいていは少しずつでも話し始めてくださいます。

私はただ話を聞きます。話を聞くときには、診断をするために何かを質問するとか、何かアドバイスをするために聞くというような意図は持ちません。その人が話したいと思うことを話せるようにします。

たいていは現在の状況について話をされますが、「どうしてそう思ったのか、いつからそうなったのか」という始まりや経緯について質問をすると、その背景にある人生が語られることがあります。一緒に聞いている人たちにも、たとえば泥棒が入ってくると思わざるを得ない背景を理解できるようになります。

「認知症からくる妄想ではないか」などという医学的な視点をいったん脇に置いて話を聞いていく。すると、実はそれらの考えに至ったのはただの結果でしかなく、本当に困っていることや心配していることが見えくるものです。その景色を、関係する人たちと一緒に見ていきます。

ある人にとっては「大切にしてきたことができなくなった」という話だったり、ある人にとっては家族関係の苦しみの話だったりします。よく話を聞くことができればできるほど、妄想というものは困難な事態に関する本人なりの状況理解であり、幻覚は本人の人生にかかわった何かなのだとわかってきます。

周りの人がその背景を理解できてくると、それまでのような得体のしれないこと、関わりようがないと思えることが少なくなって、周りの人がどうしていったらいいかが見えてきます。

相互理解が進むと互いの関係性が安心できるものとなっていくでしょう。それは「統合失調症」「うつ病」などの診断名とは関係ありません。どんなときもその人の気持ちを大切にしていくこと、その人を理解することが、本当の助けになります。

オープンダイアローグで妄想は消えるのか? という質問を受けることがときどきあります。しかしオープンダイアローグでは、妄想のような現象はその人の苦悩の結果だと考えます。だから妄想を消すために話すのではなくて、対話しながらその苦悩を減らしたいと願うだけです。

(中略)

■「そのように感じたのはいつからですか?」

ほかの人には見えないものや感じない感覚におののいているようなときにも、まずは話したいことを話せるように、対話が起こるように助けていきます。そのとき、次の質問がよいことがあります。それは、はじまりを聞くことです。

そのように感じたのはいつからですか?」と。

そのとき何が起こって、どう感じていたのかを話してもらうと、現在の状況に至った原因が見えてきます。

医療の専門職だけでその人の話を聞いたとしても、理解の量は不足するかもしれません。もしもその場に経緯を知っている家族がいたとしたら、話は深まります。

とはいえ、何年も前の話を昨日のことのように話されるその人と、それを聞くのが苦痛であると感じるご家族。その両者の違いがはっきりと見えることもあります。その差異こそが対話のきっかけになるでしょう。

その人は苦しいからこそ、その話をしなければならなかったけれども、何度も何度も聞かされているご家族は「いい加減にしてほしい」と思う。それで喧嘩になることもあります。しかしその人にとっては、ていねいには聞かれていなかったから話し続けなければならなかったのです。

さち(娘):私の家族は偽物です。

みちこ(母):またそんなことを言う。何度妄想だと言ったらわかるの?

さち:いえ偽物です。たぶん宗教団体に拉致されたあと手術を受けています。

モリカワ:偽物だと思うようになったのはいつからですか?

さち:私が13歳のときです。叔父が私を殴りました。母はそのとき助けてくれませんでした。そのあと母は私を宗教団体の場所に連れていきました。叔父はその後も何度も私を殴りました。母は祈りなさいと言うだけでした。

みちこ:その話は何度も聞きました。どうして忘れることができないの?

さち:母はもう母ではありません。本当の母なら助けてくれたはずです。どうして助けてくれないのかがわかったのです。あのとき私はこわかった……。

このあとみちこさんは、私たちに向かって、こう話しました。

みちこ:あのときは私も弱かった。宗教がさちを助けてくれると信じるしかありませんでした。

“妄想”だと思い込んでいたそれを聞くことで、納得できるようになることもあります。その結果、“妄想”が生まれなくなっていくこともあります。

即時の診断名や処方の選択は、こうした時間を奪ってしまいかねません。「それは病状だから」と、話す機会を奪ってしまうのです。

その人の回復のためには、そのときのことを十分に話すことができ、聞いてもらえ、家族のあいだで理解されていく時間が必要です。

 

はじめの一歩を踏み出すために。

<内容紹介>オープンダイアローグは面白そう、でもどこから始めたらいいのか分からない――。
そんな疑問にまっすぐに答えたのが本書です。具体的な声のかけ方・応答例から、対話セッションの進め方や臨場感あふれる実事例まで、著者と仲間たちがいま実際に日本の臨床現場で行っていることを包み隠さず紹介しました。対話を開く「工夫」や「アイデア」に満ちた本書を頼りに、オープンダイアローグの「はじめの一歩」を踏み出しましょう!
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