医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2021.08.30 週刊医学界新聞(看護号):第3434号より

 介護施設に「渋谷のおばあさん」を見舞ってきた同僚が,時々,看護師の寡黙さを嘆く。施設長の傍らにいるのに,何も語らず引きあげていくというのだ。彼女の日頃の暮らしぶり,健康状態,認知機能の状態などを尋ねたいと思うのだが,こちらが少しためらっているうちに看護師は礼儀正しく,時にうやうやしく踵を返して去っていく。同僚は「あの状況と同じですよ」と私に呟く。

 「あの状況」とは,私が本連載第45回「母の最後の日」に書いた場面である。「母の下顎呼吸は一定のリズムで続いた。母は今までなかった茶褐色の水様便を大量におむつに排出した。ナースは手際よくおむつを変え陰部洗浄をそのつどしてくれた。その手際のよさは彼女たちが家族と話をすることが得意ではないことを示していた」という箇所である。「これまで排便がなかったので気にしていました。これでお母さんもすっきりしたことでしょう」とそばにいる者に声を掛けてくれたら,「ありがとうございます。これで私もさっぱりしました。最後の排便ですね」などと対話し,もうすぐやって来るであろう母との別れを共に見守ってくれる仲間がいることに私はほっとしたことだろう。

 ベテランナースたちの手際のよいケアは,手際のよくない新人ナースと比べると,見事な対応であった。母のからだをすっと側臥位にし,もうひとりのナースが支えて体位を固定し,水様便が付着している殿部をおむつで拭き取り,周りを汚さないようにしてさっとおむつを取り外して,新しい紙おむつを当てる。仰臥位にして,さっと陰部を洗い流す。タオルで拭き取ったあと寝衣を整えて掛けものを掛けて終わる。そして傍らにいる者に一礼して去る。今まで何回も行っている「おむつ交換」「陰部洗浄」,そして「体位交換」という手技である。しかし,何かが足りなかった。

 彼女たちが去ると病室は母の息遣いだけが聞こえ,私はナースたちから切り離された感覚を持つ。つまり,われわれが大切にしている「寄り添う」という行為は,言葉によって行われるのである。

 先日届いた新刊『ケアとは何か――看護・福祉で大事なこと』(村上靖彦著,中公新書,2021年)の「まえがき」に著者の思い出が2つ記されている。脳腫瘍の手術後に祖父の見舞いに訪れた都心の病院のICUの場面である。「二重のドアを抜け,窓がない新築の病棟に入ると,ひとりの若い看護師が祖父のベッドサイドにいた。彼女は,私に挨拶することもなく,祖父の足元のモニターだけを注視していた。祖父のほうにもまったく声掛けもせず,関心すら持っていないように見えた」。

 もうひとつの思い出は,99歳の祖母が亡くなる直前に入院していた東京都郊外にある“おんぼろ病院”の体験である。筆者は「何度か行くうちに,いつ訪れても祖母がとても清潔で快適そうな様子」に気付く。「面会時間外にナースステーションに看護師を訪れても,皆にこやかで,最近の祖母の様子を細かく教えてくださった」というのである。ナースたちが皆にこやかであること,見舞い人に入院患者の最近の様子を細かく教えてくれること,つまり対話があることが示される。ナースの表情と言葉が,ケアの真髄にある「ぬくもり」を表しているように思う。

 私は『ケアとは何か』で論じられる「行為としての言葉」に注目した。ここで英国の哲学者J・L・オースティン(1911~60年)から始まった言語行為論が紹介される。オースティンは『言語と行為――いかにして言葉でものごとを行うか』(飯野勝己訳,講談社学術文庫,2019年)において,「ある遂行体が円滑に,あるいは『適切に』機能するために必要なことがら」として6つのルールを述べている。

1)一定の慣習的効果を持つ。受け入れられた慣習的手順が存在していなければならず,その手順は一定の状況において一定の人物による一定の言葉の発話を含んでいる必要がある。
2)そのケースにおける特定の人物や状況が,呼び起された手順の発動にとって適切なものでなければならない。
3)手順はすべての参与者によって正確に,
4)かつ完全に実行されなければならない。
5)よくあるように,その手順が一定の思考や感情を持つ人物によって行われるようになっている場合,また参与者の誰かの側で一定の後続的な振る舞いが開始されるようになっている場合,参与して手順を発動する人物は実際にそうした思考や感情を持っていなければならず,また,(他の)参与者たち自身もそのように振る舞うことを意図しなければならならい。
6)引き続き,実際にそのように振る舞わなければならない。

 言い換えると,こういうことであろうか。ベッド上で大量の水様便を排出した患者に対して慣習的効果を持つ体位変換,おむつ交換,陰部洗浄という手順を実施する遂行体としてのナースには,その手順を発動する際に一定の人物による一定の言葉の発話を含んでいる必要があるということになる。

 その他のナースも同様である。一定の言葉の発話を含んでいなければ,その遂行体は円滑に,あるいは適切に機能していないということになる。言葉は事実を記述するだけではない。「言葉を語ることが行為をすることになる場合がある」とオースティンは指摘する。

 私は今から20年近く前に経験した年輩の理容師の手際のよい顔そりと,帰り際に両手を差し出して「とてもきれいでございますよ。顔を剃ると,お顔がぱあっと輝くのですよ」という発話が見事だったことを思い起こした。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook