医学界新聞


COVID-19と大規模災害の経験を教育にどう生かすか

対談・座談会 荒木田 美香子,春山 早苗

2026.02.10 医学界新聞:第3582号より

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 COVID-19パンデミックや頻発する大規模自然災害は,私たちの社会に大きな影響を与え,健康危機管理の重要性を改めて浮き彫りにしました。こうした未曽有の事態において,最前線で対応に当たる看護職をはじめとした保健人材には,専門的な知識や技術だけでなく,刻々と変化する状況下で的確な判断を下す能力が求められます。しかし,これまでの看護基礎教育において,災害看護や感染看護は必ずしも体系的に教えられてきたわけではありませんでした。

 こうした状況に鑑み,日本看護系大学協議会(JANPU)は,2022~24年度に文部科学省の委託事業として「感染症等の健康危機管理に対応できる保健人材養成のための調査研究事業」を実施。調査研究事業の中心を担った荒木田氏と春山氏による対談から見えた保健人材育成の要諦とは。

荒木田 私の専門は公衆衛生看護学で,主に産業保健や学校保健分野での研究を中心に取り組んできました。今回,文部科学省の委託事業である「感染症等の健康危機管理に対応できる保健人材養成のための調査研究」の委員長を務めましたが,実は健康危機管理を専門的に扱ってきたわけではないのです。大きな転機は,COVID-19パンデミックの際に全国各地に派遣された経験です。健康危機管理の重要性を肌で感じ,この分野に深くかかわるようになりました。活動を通じて春山先生とご一緒する機会も多々ありましたね。

春山 その節は大変お世話になりました。私も専門は公衆衛生看護学で,大学卒業後は自治体保健師として勤務してきました。健康危機管理の分野に足を踏み入れたきっかけは阪神・淡路大震災です。群馬県の保健医療援助チームの一員として現地へ派遣され,災害対応に従事しました。その後,日本地域看護学会の災害支援のあり方検討委員会(現・健康危機支援委員会)の委員長を務めていた際にCOVID-19が発生し,厚生労働省から当学会へ派遣要請があったことから北海道へ赴き,感染拡大と呼応するように,さまざまな場で活動を展開しました。

荒木田 そうして看護職が全国各地で対応に従事する状況に鑑み,当時JANPUの理事長であった山本則子先生(東京大学)が,コロナ禍で浮き彫りになった課題に対し,大学として貢献できる事業を展開すべきだと文部科学省に強く働きかけられ,調査研究事業が2022年から3か年の事業として立ち上がり,JANPUが委託事業者として選定されました。事業開始に当たり,調査研究に携わった中心メンバーがこだわったのが,「保健人材」という言葉です。看護教育をベースとする全ての人材を対象にしたいと思い,この言葉を選びました。なお,事業が立ち上がったきっかけはCOVID-19でしたが,近年頻発する地震等の自然災害も視野に入れ,「健康危機」という広義の言葉を用いています。

春山 初年度は,保健人材として健康危機管理に必要な能力,すなわちコンピテンシーを明確化すべく,大規模なインタビュー調査を実施しました。大学教員や学生はもちろんのこと,看護管理者や自治体の保健師,訪問看護ステーションの看護師など,多様な方々にご協力していただき,最終的な依頼件数は933件,インタビューの回答数は170件を超えました。

荒木田 ご協力していただいた皆さまにはこの場を借りて御礼を申し上げたいですね。そうして得られた膨大なヒアリングデータからは,いくつかのことが見えてきました。1つは大学教育における課題です。多くの大学で災害看護学や感染看護学が必修科目になっていない実態が明らかになりました。またカリキュラムの中に組み込まれていたとしても,既存科目の中に部分的に追加されているケースが多いことから,学生たちの知識は断片的になりがちで,体系的な理解には至っていない可能性が示唆されたのです。

春山 インタビュー調査を実施したのがコロナ禍の真っ只中だったため,特に自治体保健師の方々の問題意識が非常に高く,切実な意見が数多く寄せられました。情報も資源も限られる中,手探りで対応に当たった訪問看護ステーションの方々からの「本当に困った」という悲痛な声は印象に残っています。

荒木田 こうした現場の声をリアルタイムで直接聞けたことは,コンピテンシーの策定を進める上で大きな意味を持ちましたね。また多くの方が強調されていたのが,支援者自身のセルフケアの重要性です。過酷な状況下で活動を継続するには自分自身の心身の健康を守ることが不可欠となります。その声に応え,「専門職として自らの健康管理・安全管理を行うことができる」という項目をコンピテンシーに加えたことは特徴的と言えるのかもしれません。既存の研究成果なども参考にしつつ,コンピテンシーの素案を作成し,デルファイ法を用いて23項目のコンピテンシーを策定する運びとなりました1)

荒木田 そうして策定したコンピテンシーに基づき,4単元からなる「大規模自然災害における看護活動」と5単元からなる「感染症パンデミックにおける看護活動」のe-learning教材の開発に着手しました。めざしたのは,知識を単に一方的に伝えるのではなく,学習者自らに考える機会を与える教材です。健康危機の現場では,最善の答えが常にあるとは限りません。限られた情報の中で,倫理的なジレンマを抱えながらも根拠を持って判断し,行動することが求められます。そこで,教材開発の核には判断力の涵養を据え,学習者自らが考える場面を意図的に作りました。そのため教育工学の専門家にも協力を仰ぎ,インストラクショナルデザインの手法を取り入れました。シミュレーション形式をメインにしたのも,体験を伴う学習は記憶に残りやすいとのヒアリング結果を反映した成果です。

春山 ただし,教材作成には大きな壁がありました。それは,被災経験や応援派遣の経験のない学生や若手職員に現場をいかにイメージしてもらうかです。そこで私たちは,架空の街「山中市」と,そこに住む「佐藤さん一家」という具体的なキャラクターを設定し,ストーリー仕立てで学習が行えるように工夫しました()。これによって登場人物の置かれた状況に自分を重ね合わせながら,学習者は課題に取り組むことができるようになっています。

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図 講義資料のイメージ
架空の街「山中市」において,新型インフルエンザを発症した佐藤時枝さんを中心とした「佐藤さん一家」の事例をベースに,登場人物の置かれた状況に自己を投影しながら課題に取り組む。

荒木田 春山先生が教材開発に当たってこだわったポイントはありますか。

春山 正解が1つではない問いを盛り込むことです。例えば,避難所で支援を必要とする人と,他の避難者との公平性を訴える人との板挟みになる保健師の倫理的ジレンマを描いた場面があります。学習者はどちらの選択をしても,完全なハッピーエンドには至りません。しかし,それこそがリアルです。このような状況で悩み,考えるプロセスそのものが大切であり,学生たちにはそうした現実から目を背けずに思考する力を身に付けてほしいと考えています。

荒木田 一方で,明確な正解がある個人防護具の着脱方法などについては,クイズ形式で確実に習得できるようにもなっていますよね。こうした細部へのこだわりが,教材全体の質を高めていると私はとらえています。専門家からの厳しいチェックを受け,リアリティを追求した教材が調査研究の開始から3年を経て完成したことをうれしく思っています()。

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荒木田 この教材は,学部教育はもちろん,現任教育でも広く活用していただくことができます。実際,開発段階で病院や自治体の方々に内容を見ていただいたところ,「新人研修で使いたい」「就業前の事前学習に最適」との高い評価をいただきました。

春山 使い方もさまざまです。事前学習として活用もできますし,教材の一部を提示し,「あなたならどうする?」と問いかけてディスカッションを促すことも効果的です。私は自身の授業に取り入れており,ディスカッションの機会を多く設けることで,それまで下を向いていた学生たちが顔を上げ,手を挙げて活発に意見を述べてくれるようになりました。

荒木田 受動的に動画を視聴するだけでなく,自分で考え,手を動かし,他者と意見を交換するプロセスを組み込むことで,学習効果は飛躍的に高まります。ヒアリング調査で明らかになったように,「演習で体験したことは覚えている」という学生の特性を踏まえると,このようなアクティブな使い方が理想的です。教材に含まれる事前テストや事後テストも活用し学習の成果を可視化しながら効果的に活用していただきたいと考えています。

春山 また,講義資料のスライドをPDFでダウンロードできたり,動画を倍速で視聴できたりと,自分のペースで学べる工夫が凝らされています。そして何より,JV-Campusという日本発の教育プラットフォームにアカウント登録しさえすれば,どなたでも,いつでも無料で利用できるというのが最大の強みと言えるでしょう。多くの方の活用を期待しています。

春山 医療従事者に限らず,日本中の皆さんが大変な思いをしたコロナ禍でさえ,日常の風景が戻るにつれて当時の記憶が薄れてきた方も多いのではないでしょうか。けれども健康危機はいつまた訪れるかわかりません。この教材を通じて健康危機対策について繰り返し学び,知識と意識を風化させないことが重要です。

 また,2025年に改正された災害救助法の内容に目を通すと,保健人材と福祉専門職の連携が一層求められていることが読み取れます。災害支援の基盤は地域であり,看護師,保健師の垣根を越え,多職種と協働しながら生活者の視点を意識して支援を展開する能力が求められます。この教材は,そうした多職種連携のポイントについても盛り込んでおり,これからの保健人材に求められる素養を育む一助となるはずです。

荒木田 この教材がめざすのは,単に知識を持つ人材を育てることではありません。困難な状況に置かれた人々の人権を擁護し,倫理的な課題に真摯に向き合い,そして仲間や自分自身をもケアできる,しなやかで強い保健人材を社会に送り出すことです。現在,本教材の開発で得られた知見を生かし,大学院生や現任の専門職を対象としたリカレント教育向けの感染症対策の教材も開発中です。今年度末には公開できる見込みですので期待をしていただければと思います。

荒木田 健康危機は,もはや非日常ではなく,日常と隣り合わせの脅威です。われわれが行った研究成果が,明日の現場を支える学生たち,そして今まさに最前線で奮闘されている保健人材の学びを助け,ひいては社会全体のレジリエンス向上に貢献できることを心から願っています。

(了)


:教材に関する詳しい情報は,JANPUWebサイトよりご覧ください。

1)日本看護系大学協議会.「感染症等の健康危機管理に対応できる保健人材」のためのe-learning教材活用マニュアル.2025.

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自治医科大学 看護学部 教授

千葉大看護学部卒。自治体保健師として勤務後,群馬県立医療短大看護学科助手,講師,助教授を務めた後,2003年に自治医大看護学部助教授。06年より現職。12~24年にかけて同大大学院看護学研究科長,看護職キャリア支援センター副センター長,看護師特定行為研修センター副センター長を兼務した。

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川崎市立看護大学 看護学部 副学長

聖路加看護大(当時)衛生看護学部衛生看護学科卒。養護教諭としてお茶の水女子大附属中学校,東京学芸大附属竹早中学校で8年間,産業保健師としてソニー株式会社等で7年間勤務。阪大大学院,国際医療福祉大等で教員を務め,22年より現職。日本看護系大学協議会理事など要職を担う。

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