公衆衛生の緊急事態にまちの医療者が知っておきたいリスクコミュニケーション
リスクコミュニケーション=信頼+意思決定+エンパワメント
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コロナの時代。公衆衛生の時代。そしてリスクコミュニケーションの時代。「正しさ」があふれ、何か一言口にすれば非難される恐怖がつきまとう。不安といら立ちが隠せない日々のなか、専門家はどのように振る舞えばよいのか──。リスクコミュニケーションは、そんな悩みに応えるひとつの方法です。迷える「まちの医療者」に向けて、医療リスクコミュニケーションの専門家が語るリスコミの真髄とその理論が1冊にまとまりました。
著 | 蝦名 玲子 |
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発行 | 2022年10月判型:A5頁:296 |
ISBN | 978-4-260-05086-9 |
定価 | 2,860円 (本体2,600円+税) |
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序文
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はじめに
2019年末に発生し、その後世界中に広がりパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。この未曾有の危機において、わが国では諸外国と比べ低い死亡率が保てているものの、国が主体となった対策の過程のみならず、地方行政や医療福祉、産業保健の担当者が個々に対応する現場においても、リスクコミュニケーションに問題が生じていることが明らかになった。厳しい時間的制約と不確実性が伴う中で、市民、罹患者やその家族、最前線で対応する職員らの懸念に応える情報が迅速に伝えられていない、関係者がバラバラの情報を伝えてしまう、感染症対策の意思決定プロセスが不透明である、罹患者の個人情報を誤って公表してしまう、流行している場所や罹患者を非難するような発言がなされる、市民のリスク認知や不安など感情レベルに合わせたコミュニケーションがとれていない……。これらの問題を含め、改善すべき点を挙げればいくつもあるのではないだろうか。
こうしたリスクコミュニケーションの問題は今回のパンデミックで初めて指摘されたわけではない。2009年の新型インフルエンザ(A/H1N1)の流行のときも、2011年の福島第一原子力発電所事故発生のときも、公衆衛生に関わる緊急事態が起こるたびにわが国では、リスクコミュニケーションの必要性が指摘されてきた。それにもかかわらず、なぜ改善が見られないのだろうか?
それは、公衆衛生の緊急事態が起きたときのリスクコミュニケーションが扱う範囲が広いため、漠然とした印象となり分かりにくいと捉えられているからだろう。刻々と変化する危機管理の流れに合わせて、何を、どこから手をつけてよいのかが判断できないために、事前の備えも整えられない状況になっていると考えられる。緊急事態発生直後の初動では、事実情報や身を守るためにとるべき行動を迅速に伝えるクライシスコミュニケーションの要素が欠かせないが、ひとまず身の安全が確保されたら、そうした一方向の情報発信だけでなく、リスク下にある人々との双方向のコミュニケーションを開始し、彼らが必要としている情報が伝達される形にせねばならない。またリスク説明をする際は、高度で専門的な内容を情報の受け手となる一般の人々が理解できるように伝えること、それに加え、スティグマを引き起こさないような表現を選択することや、人々のリスク認知や感情に合わせて内容や表現を調整することも求められる。こうした重層的なコミュニケーションの展開の仕方はまだ十分に知られているとは言えないのが現状だ。
そこで本書では、こうした重層的なコミュニケーションの実践に当たって、その大きな土台となる世界標準の理論と実践における考え方を解説した。本書を読み終えるころには、公衆衛生の緊急事態におけるリスクコミュニケーションとはなんであるかを知り、「個々の医療者に何ができるのか」「地域や職場でリスクコミュニケーションの体制や計画を備えておくために何をしなければならないか」といった具体的な行動まで明確になっていることだろう。
緊急時には厳しい時間的制約と不確実性が避けられず、対策の決定が不可逆的となる可能性もある。そのような状況下でのリスクコミュニケーションは困難なものだが、その極意と世界標準を知ることで、その実現の糸口が見えてくるはずだ。行政、医療福祉、産業保健の各現場の最前線で対応するみなさん「まちの医療者」に役立てていただければ幸いである。
目次
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はじめに
Part1 緊急事態下のリスクコミュニケーションとは
1章 緊急事態下のリスクコミュニケーションの全体像を理解する
1 公衆衛生の緊急事態とは?
2 緊急事態におけるリスクコミュニケーションとは?
3 クライシスコミュニケーションとは?
4 事例からみるクライシスコミュニケーションとリスクコミュニケーションの役割
5 緊急事態下で切り離せないリスクコミュニケーションとクライシスコミュニケーション
2章 危機管理の流れに応じたコミュニケーションをとる
1 リスクアセスメント時のコミュニケーション
2 危機管理対策の実施時のコミュニケーション
3 評価時のコミュニケーション
3章 初動のコミュニケーションで信頼の土台を築く
1 共感
2 リスクの説明
3 行動の促進
4 対応の説明
Part2 リスクの認知と感情の取り扱い
4章 リスク認知を理解する
1 リスク認知のメカニズム
2 世界観が異なるとき「翻訳」をどうするか?
5章 難しい感情の取り扱いについて考える
1 リスク認知が予防行動につながる人、拒絶や反発をする人、反応の無い人
2 3つの認知のパターンに対するコミュニケーション
3 怒りや不信感への対応
Part3 信頼を構築するための戦略と体制
6章 医療者個人として、危機管理組織として、信頼を獲得する
1 医療者が信頼を獲得するために
2 組織が備えておきたい信頼構築のための条件とは?
3 緊急事態下で効果的なリスクコミュニケーションを実現させる体制づくり
7章 戦略的リスクコミュニケーション計画を策定し、実践する
1 戦略的コミュニケーション計画策定に向けての第一歩
2 情報の受け手について把握・分析しておきたいこと
3 リスクコミュニケーションの目的と目標を設定する
4 キーメッセージを決める
5 伝達方法やモニタリングの方法を決め、メッセージの下案を作成する
6 文書化し戦略的コミュニケーション計画に組み込む
7 リスクコミュニケーションを実施する
8 モニタリングと評価を行う
8章 コミュニティ・エンゲージメントを実践する
1 緊急事態に欠かせないコミュニティ・エンゲージメント
2 関与してもらう目的=情報収集
3 関与してもらう目的=合意形成と意思決定
4 関与してもらう目的=信頼の構築
Part4 リスクを説明する方法と合理的な判断への導き
9章 高度で専門的な情報を説明する
1 リスクが「程度の問題」であることを理解してもらう
2 受け入れやすい「リスク比較」で理解を促す
3 なぜリスクとベネフィットの比較はわずかにしか受け入れられないのか?
4 統計を説明する
5 リスク説明に欠かせない「公平性」
10章 直感に働きかけ、合理的な判断や行動へと方向付ける
1 脳の情報処理プロセスを理解する
2 「分かりやすい」を科学する
3 自由意思に影響を与えずに合理的な判断や行動へと方向付ける「ナッジ」
4 ナッジの設計「EAST」
5 ナッジで気を付けたいこと
Part5 情報の公開場面での考慮点
11章 マスメディアと協力関係を築く
1 記者と対面するシーンの主な種類
2 緊急時の情報提供に日々の記者会見やブリーフィングが欠かせない4つの理由
3 マスメディアを理解する
4 誰がスポークスパーソンになるべきか
5 スポークスパーソンが記者と信頼関係を築くにはどうしたらよいか?
6 取材を受けるときに覚えておきたいこと
12章 スティグマに対応する
1 スティグマとは
2 スティグマを引き起こさない
3 スティグマを拡大させない
4 社会的分断を防ぐ
Part6 対立しがちな場面でのコミュニケーション
13章 虚偽情報の処理をする
1 インフォデミック
2 虚偽情報を信じ込む「インターネットメディア」と「人間」の特性
3 虚偽情報を信じる相手と一対一で向き合う
4 相手の抵抗を最小限にするための情報交換スキル「EPE」
5 「自分で決めた」という思いを強める面談スキル「OARS」
6 マスに向けて虚偽情報の処理をする
7 平時に市民のヘルスリテラシーの教育をしておく
14章 患者や患者家族とリスクについて対話する
1 患者の理解度を確認した上で正確な理解に導く「teach back」
2 重症化リスクの高い患者に何をどこまで話すべきか
3 認知機能が低下している人にリスクについて理解してもらう
4 面会禁止時にお見舞いに来る家族へのリスク説明
おわりに
索引
著者略歴
書評
開く
リスクコミュニケーションを体系的に学ぶことができる最高のテキスト
書評者:阿南 英明(神奈川県理事(医療危機対策統括官))
本書の題名を見たときに,「公衆衛生」「緊急事態」「リスクコミュニケーション」という言葉から,日常診療に携わる皆さんには縁遠さや抵抗感を覚えたかもしれない。この3年間の新型コロナウイルス感染症対応で,もう緊急事態なんてこりごりだと思っている方も多いかもしれない。でも,本書を読み終えたとき,なぜ著者が「まちの医療者」を対象にしていたのか気付かされるのである。「日常診療で日々行ってきた業務はリスクコミュニケーションそのものだった!」と驚きとともに心に刺さることだろう。
私自身は病院の管理者として,また行政において新型コロナ保健医療施策の立案,運営の指揮に携わる立場として本書を読み始めた。改めてリスクコミュニケーションの理論的背景や標準的対応と実践を体系的に学ぶ最高のテキストに出会えたと思った。これは数か月間かけて学校のプログラムとして学んだら,さぞ面白い思考回路ができ上がるのではないだろうか。私は一般的な医学教育を修めた後に,臨床現場での経験,災害・危機管理対応のトレーニングと実践を経て今に至っているが,もっと早く本書に出会っていたら,この3年間の新型コロナウイルス感染症対応でも,もっと違うアプローチをしていたのかもしれないと思う。行政,医療福祉,産業保健など,さまざまな立場で本書に触れたときに「あの時のことだ」「なるほど心当たりあるなあ」「確かに……」と思わず,うなずいている自分がいることだろう。本書を読み始めると導入部で,少々難しい理論や概念,用語だと感じる項目から書かれていると感じる。著者もこの点は承知していて,ページをめくって最初に「本書の読み方」が書いてある。Part1から読むことに拘らず,目下の課題や困りごとに近い項目や目次から見つけて読む方法も提示しているのだ。私から読者の皆さんにあえてお勧めするもう一つの方法は,あまり身構えずに,小説を読むように最初から気楽に通読することである。一見厚い本だが新型コロナウイルス感染症や福島原発事故など実例を挙げて,同じ事象を章ごとに異なる切り口で繰り返し,リスクコミュニケーション手法を説明しているので,自然に内容が理解できるようになっていく。なんといっても手にマーカーペンを持って重要な部位に線を引くという勉強スタイルが不要なのだ。なぜなら,事前に著者が重要部位に青のマーカーをつけてくれている。ニクイ演出ではないか!
本書の中には「完全なパートナーとして扱う」と,市民や患者への向き合い方の極意が記載してあった。日々の診療で決して忘れてはいけない大切な信念をあなたも改めてかみしめてみてはいかがだろうか。