医学界新聞プラス
[第1回]死が数日以内に迫っているとはっきり言葉にする vs. はっきりとは言わないが一緒に何かする
『緩和ケア・コミュニケーションのエビデンス――ああいうとこういうはなぜ違うのか?』より
連載 森田 達也
2021.10.29
緩和ケア・コミュニケーションのエビデンス――ああいうとこういうはなぜ違うのか?
同じ内容を伝えるのであっても,緩和ケアの臨床家がコミュニケーションにひと工夫を加えることで,患者さんにいい影響を与えることができます。緩和ケアの実践に関する多くの著作を持つ森田達也氏による『緩和ケア・コミュニケーションのエビデンス――ああいうとこういうはなぜ違うのか?』は,臨床家が押さえるべき話し方のコツをまとめた一冊です。医学界新聞プラスでは,臨床家がしばしば出合う3つの場面を通じて患者さんに有効なコミュニケーションの方法を紹介します。
アングロサクソン圏では,ご家族だけでなく患者さんにもはっきりと「あと数日である」と言うことがすすめられています。日本でも亡くなることをはっきり言葉にすることが重要なのか──この課題を考えてみましょう。
エビデンスを覗いてみよう
678名の緩和ケア病棟の遺族を対象とした質問紙調査です1)。
関心があったのは,どれくらいの家族が死についてはっきりと患者と話したか,はっきりと話すことはその後の家族の悲嘆(抑うつ,病的悲嘆)に影響したか,です。経験的に,死について言葉ではっきりと話す人は多くないけど,言葉で話さなくても(以心伝心で)何らかの行動をしている場合も多いなぁということを踏まえて,「患者さんが亡くなることを前提として何かしたか」を聞いて,この悲嘆との関連も見ました。「死についてはっきりと話した×行動した」が,それぞれ2通りありますから,合計4通りの行動を見ていることになります。
結果です。
まず,死についてはっきり話したという患者・家族は,少し話したを入れたとしても,全体の49%(315/647)にすぎませんでした(図1)。一方,患者さんの死を前提として何かしたというのは,その倍近く,82%(513/628)になりました。目を引くのは,死についてはっきりと言葉で話したことはまったくない,という人も51%(332/647)にのぼり,「亡くなることを言葉ではっきりと話す」という行為は,少なくとも日本では市民権を得ていないのではないかということです。
半数の人ははっきりと死が迫っていることを話しているわけではありませんが,一方で,8割の人は何らかの行動をしている――おそらくははっきりとは言葉にしなくても,死を前提としたこと,思い出になることをする,言っておきたいことを言う,今までの思い出の場所に行く…そしてしんみり涙を浮かべるけど泣いてないふりをするといった行動をとっているということでしょう。
さて,抑うつとの関係ですが,死についてはっきりと話した/話さなかったよりも,死を前提としたことをしたかが抑うつにも悲嘆にも関連していました(図2)。死を前提としたことが何かできた人は,できなかった人に比べて,遺族になった時の抑うつの頻度に差がありました。
データとして見ると,グラフがぽんっと1つあるだけですが,臨床家はグラフの中に情景が浮かんでくるんじゃないかと思います。
この調査で使用されたPHQ-9(Patient Health Questionnaire-9)は一番よく使われる抑うつの評価尺度で,10点以上で臨床的なうつ病があると判断します。亡くなる前にいろいろなことができたと認識している遺族では抑うつ傾向はみられませんでしたが,少しした,まったくしなかったとなるにつれて,抑うつが強くなることがわかります(このように曝露の程度に比例してアウトカムが変化することを曝露効果関係があるといって,因果関係がある程度確実なことを示します)。
大雑把に言えば,「死についてはっきりと話す」ことそのものが大事なのではなくて,お互いに最後になるかもしれないという(はっきりと言葉にしていなくてもいいから,共通の何となくの認識の下で),何かする(行動する)ことが大事だということがいえそうです。
家族にとって心残りがあったことはどんなことかも調べられています(患者さんに聞ければもっといいのですが,患者さんが本当に何に心残りがあったかは天国でインタビューしないとわからないので)。日本の967名のがん患者の遺族を対象とした調査で,心残りのあった内容は図3の通りでした2)。いわゆる心残りは,英語圏ではunfinished businessという用語があり,UBと略されたりします。安直に考えると,葬儀や相続のことを話しておくというのも浮かぶのですが,そういういかにもなことは多くなく,なんといっても,患者の思いや本音を聴くこと,患者に対して感謝の思いを伝えることといった,気持ちのやりとりが上位を占めます。特に多いのは,普段「愛してるよ」「私もよ」のようなやりとりをほとんどしない日本人だからなのか,家族が患者に何か言うということよりも,「本人が本当にどう思っているのかを知りたい」ということが比較的多いことに気がつきます(何も言わずに逝っちゃった,ということが少なくないということです)。
亡くなる前にしておきたいこと――あなたはどんなことを思いますか?
臨床の場面で考えてみる
人間とは不思議なもので,2つの相反する予想をもちながらでも両方の行動をとることができます。死ぬかもしれないと思いながら5年後の計画を立てることもでき,生き延びるという前提でいながら来月に死んだとしてもいいように行動することができます。そして,特に言葉を明示しなくても意味が通じるとされている文化圏(high-context cultureといいます)では,はっきりとした前提を言語化しなくても,前提に見合った行動をとることができます。
例えば…
「ちょっと家のお庭見てくる?」
――「ああそうだな,この木を植えてからもう50年になるなぁ…」俺が死んでも木はちゃんと育っていくんだな(と,声には出さないけど,そう思ってしみじみしているのを),「もう一緒になって50年になるのね,いろんなことがあったけど,まあよかったかなぁ」(と声には出さずに,ちょっと泣いて戻ってくる時には涙を拭いている)
「おじいちゃんから話があるんだって」
――「畑の土のことだけどな…」(農作物の育て方について伝授),「うん,うん,わかったわかった,わかってるって…」(きっともうあれこれ実際に自分ではできないと思ってるから今言ってくれてるんだろうな,と思いつつ,それは言葉には出さずに)「わかったからじいじは病気治すのがんばれや」
こういったやりとりは,日本人としては(少なくとも現在は)主流のように思います。
そうすると,臨床家としては,患者さんやご家族をみる時に,「言葉ではっきりと言っていなくても」,それ相応の行動がとれているかどうか,という視点でものをみたらいいのではないかというところにたどりつきます。
死ぬかもしれない――そんなことは言葉にしていなくてもよい,余命が○○だ――それも知らなくてもいい,でも,そうかもしれないという気持ちで,何かを行動しているかどうかをさりげなく見守る視点をもちたい,といえるのかなと思います。
まとめ
死が近いことをはっきり言葉で伝えることが望まれるかは,文化によると思います。
イギリスのガイドラインには,「お話しできる時間はあと数日くらいだと思います」と患者さん本人に言うようにと書いてあります。この背景には,物事ははっきり言うことが善である(あいまいな返事の仕方はよくない,正直=honestyが最も誠実である)という文化があります。
さて,普段からあいまいなやりとりを好み,「それを言っちゃあ,おしめぇよ」のように,重要なことほどはっきり言うのは失礼という考えもある多くの(平均的な)日本人にとって,死について言葉ではっきり言わない中でも何らかの行動をする,が「普通」なのでしょう。
参考文献
1)Mori M, Yoshida S, Shiozaki M, et al.: "What I did for my loved one is more important than whether we talked about death": a nationwide survey of bereaved family members. J Palliat Med, 21(3):335-41,2018.
2)Yamashita R, Arao H, Takao A, et al.: Unfinished business in families of terminally ill with cancer patients. J Pain Symptom Manage, 54(6):861-9, 2017.
緩和ケア・コミュニケーションのエビデンス
ああいうとこういうはなぜ違うのか?
<内容紹介>「20%効果がある」「80%効果がない」──言い方によって患者の判断が変わる? 立って話すか、座って話すかで、与える印象が変わる? 臨床で出合うちょっと不思議な現象や、どうにもうまくいかない場面。その背景にあるのは、人間の心の特性や、個々人が培ってきた価値観の違いかもしれない。緩和ケアだけでなく、心理学、行動経済学の領域で蓄積されたエビデンスが、臨床での困りごとを解決するヒントを与えてくれる!
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