医学界新聞

連載

2011.05.30

看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第77回〉
語り継ぐことを。

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

文理融合の津波学

 津波のメカニズムは,工学や理学研究科の大学院博士前期課程「海岸工学特論」や「海洋物理学」の講義で学ぶ。社会の防災力の知識は,情報学研究科などの「災害論」や「危機管理」に関する科目で得ることになる。しかし,津波防災・減災対策を進めるには,津波のメカニズムと防災力に関する知識が必要であり,これを提供できる文理融合型の研究・教育組織はわが国のみならず,世界的にも皆無の状態であったと,河田惠昭氏(京都大学防災研究所巨大災害研究センター長)は『津波災害』1)において指摘する。

 津波学は,看護学に通底する。以前に社会学者の故・吉田民人氏は,「看護学は,〈生命・生活・人生〉のすべてにわたる人間の〈生〉(Life)の総体に最も深くかかわる学術です。この学術が文理を差異化しつつ統合する文理融合のあるべき姿を実現して,21世紀科学革命を先導し,物質的・生物的・人間的な意味をすべて包括する〈健康〉という普遍的な人類的課題に貢献されることを期待してやみません」と述べた2)

 『津波災害』は,私にあのときの興奮を再燃させる迫力があった。概略を記したい。

宝永地震津波(1707年)と安政南海地震津波(1854年)
 大阪にやって来た津波の中で,大きな被害をもたらし,古文書などの資料に最も多く残っているのは1854年の安政南海地震である。江戸時代には,1605年慶長地震,1707年宝永地震といった南海トラフを震源とする地震が発生し,必ず津波を伴っている。

 大阪市大正橋のたもとには1855年に建立された「大地震両川口津浪記」と題した石碑があり,毎年8月の地蔵盆に合わせて石碑を洗い,刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事になっているという。石碑には,「宝永地震のときに船に乗って逃げようとして,多くの人が死んだという言い伝えを知っていたので,安政南海地震のとき,皆が小高い土地にある神社に避難して助かった」と書かれている。一般に,津波の碑はそのときやってきた津波の最高点に置かれている場合が多く,市中よりも山際などの人目につかないところにひっそりと建っている場合が多いが,この石碑は違う。先人の伝えを謙虚に活用する知恵がわれわれには必要だと河田氏は指摘している。

明治三陸大津波(1896年),昭和三陸大津波(1933年)
 わが国で近代に入って起こった自然災害の中で...

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