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[第1回]出来事中心の医療とは何か(前編)
『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』より
連載 尾藤誠司
2026.08.28
出来事中心の医療
患者の体験を上手に取り扱うための技法
「診断も治療も正しいのに,なぜかうまくいかない」。
客観的な医学データと,患者が語る主観的な思いや生活の困りごと。その2つの世界の狭間で,どう応答すべきか立ち止まった経験を持つ医療者は少なくないのではないでしょうか。
書籍『出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法』は,患者の主観を漠然とした共感・傾聴にとどめず,臨床判断の重要な根拠として扱う実践的な方法論を提示します。病気を診断名ではなく,患者の人生に起きた「出来事」として捉え直す。この視点の転換により,主観と客観の対立を超え,「情報の専門家」である医療者と「体験の専門家」である患者の真の協働が実現します。「医学界新聞プラス」では本書の中から3つの項目をピックアップし,そのエッセンスをご紹介します。
病気ではなく,患者でもなく,患者の出来事に応答するという視座の位置づけ
私たちは日常的に,「患者を診る」という言葉を使っています。その実際には,「何を診ているのか」が問われるべきです。診察室に現れるのは病名が記されたカードではなく,人生のどこかの時点で不確かさに突き当たり,それを抱えたまま語ろうとしている1人の人なのです。
本項では,「出来事中心の医療」という視座を理論的に展開していきます。それは「病気中心の医療」や「患者中心の医療」といった既存の枠組みと対立する概念ではありません。むしろ,これまでの臨床実践を支えてきた患者中心主義を相対化し,その背後にある“問いの立て方”自体をずらすことを目的としています。
患者中心という語が含意するのは,しばしば「医療者が向き合う相手としての個人」に焦点を当てる構えです。しかしその時,問題の所在が“人の側”に固定されてしまい,結果として「説明が通じない」「理解してもらえない」といった関係の行き詰まりが医療者側の焦燥を生みます。
こうした構造の中で私たちが試みるのが,「“人が問題なのではなく,問題が問題である”」というナラティブ・アプローチの基本原則の導入です1)。患者の行動や感情,沈黙や拒否には,それがそうあらざるをえなかった出来事が存在しています。その出来事を医療者がどのように受け取り,ともに立ち止まり,語り直していくのか。ここに,医療の倫理的実践の新たな焦点が立ち現れてきます。
「出来事」は,時として名前がつかず,未整理で,複数の感情が絡み合った曖昧なものとして現れます。ある人にとっては病名の告知,ある人にとっては家族の沈黙,またある人にとっては制度との摩擦がそれに当たります。こうした出来事は,医療者の知識や経験によって意味づけされる以前に,まず“そこにある”ものとして臨床に立ち現れます。本項では,このような視座がなぜ必要なのかを,構造的・理論的にひもときながら,医療の倫理的再構成の可能性を探ります。
二項対立の限界と「人が問題なのではなく,問題が問題である」という視座
医療実践において,しばしば「患者中心」か「医療者中心」かという二項対立的な構図が立ち上がります。しかし,この構図がそのまま思考の枠組みとなる時,私たちは「医療の場で起きている問題は,誰か(=人)に帰属するものである」という前提にとらわれることになります。
「患者中心」の立場に立つ時,医療者は患者の意思,価値観,人生観に寄り添うことを目指します。しかし同時に,「患者の語りが定まらない」「本人が何を望んでいるのか見えない」といった状況が生じた時,その曖昧さが患者自身の“問題”として切り取られてしまいます。いずれにせよ,「問題の原因は誰にあるのか」という問いに収束してしまうのです。
こうした構造を批判的に捉え直すために,ナラティブ・アプローチの基本原則である「人が問題なのではなく,問題が問題である」という視座が有効です1)。この視座では,個人に帰属させがちな「問題」を,むしろ人と切り離して外在化し,それがどのように生じ,どのように関係性の中で意味づけられているのかに焦点を当てます2)。
この視座に立つと,「問題にどう対処するか」は,誰が正しいか・誰が誤っているかという二項対立を超え,むしろ「この出来事にどう関わるか」という,協働的かつ応答的な問いに変わります(図1)
患者が治療を渋る時,「理解が足りない」と捉えるのではなく,「患者にとってこの治療はどのような意味を持っているのか」「治療という出来事がこの人の生活にどう位置づけられているのか」を問う視点が開かれます。
ここで重要なのは,“感情を一方的に“診断”しない”ということです。「この人は不安が強いですね」と医療者が分析してしまえば,それは患者の語りを分類・固定する行為となります。一方で,「私はいまのお話を,こう感じました。私の受け取り方は合っていますか?」と問い返すことは,対話の余白を作る行為です。
「出来事」と出会うこと――語りの主体と場の倫理
出来事中心の医療において,医療者が向き合うべきは「患者」そのものではなく,患者の身に起きた「出来事」である,というのが本書の主張です。これは一見,単なる視点の転換のように見えるかもしれません。しかし,ここには医療の構えそのものを問い直す深い倫理的意味があります。
医療者が「患者の語り」を聞く時,その語りはしばしば疾患,症状,病歴といった医療的カテゴリに回収されやすいものです。しかし,その語りの背後には,ある出来事が“名付けられないまま”潜在していることが多いのです。乳がんと診断された患者が語るのは,単なる乳腺組織の異常ではなく,「自分の体が自分でなくなったような感覚」「家族に知らせるべきか迷った夜」「医師の無言が怖かった瞬間」といった,出来事としての記憶です。
この時に重要なのは,“出来事は“語られうるもの”としてすでにそこにあるわけではない”,という点です。むしろ,語りを受け止める場があってこそ,出来事は徐々に輪郭を持つようになります3)。語り手と聞き手の間に倫理的な場が成立して初めて,出来事は出来事として立ち上がるのです4)。
語りの場において,医療者は必ずしも理解者である必要はありません。むしろ,「すぐには理解できないかもしれないが,あなたの語りを保留する者としてここにいる」という態度が,出来事の語りを支えるのです。それは,医療的な判断や介入とは異なる次元での応答性を要求します。
スーツケースとしての「困りごと」――外在化の一歩先へ
診察室の扉が開き,患者が入ってくる。その姿を見て,私たちは何を見ているのでしょうか。症状を抱えた人,診断を待つ人,治療を求める人―医学的なまなざしは,しばしば患者自身と問題を一体化して捉えてしまいます。しかし,出来事中心の医療が提案するのは,異なる見方です。
患者は,見えないスーツケースを携えて診察室にやってくる,と私は考えています。そのスーツケースには「自分の体や心にまつわる困りごと」が詰め込まれている。大切なのは,このスーツケースは患者自身ではなく,患者が持ってきたものだということです。
このメタファーは,コンピュータ科学者マーヴィン・ミンスキー(Marvin Minsky)が提示した「スーツケース・ワード」の概念と響き合います5)。ミンスキーは,「意識」や「思考」といった言葉を,中身が整理されていない雑多なものが詰め込まれたスーツケースになぞらえました。同様に,患者が持参する「困りごと」というスーツケースも,開けてみるまで中身はわかりません。整然と畳まれた衣類のように整理されている場合もあれば,投げ込まれたままの混沌とした状態の場合もあります(図2)。
患者は「困りごと」というスーツケースを持ってきた。中身はぐちゃぐちゃに詰め込まれているが,それを一緒に整理することができる。
*
出来事中心の医療における中核的技法の1つは,まず“患者自身が「自分自身が問題だ」という視座から,「自分が持ってきたこのスーツケースの中身が問題だ」という視座への転換を支援する”ことです。「私はダメな人間だ」「私の体は壊れている」という自分と問題の同一化から,「私は,この困難なスーツケースを抱えて,ここまで運んできた人だ」という認識への移行。これは単なる言葉遊びではありません。問題との距離を作ることで,初めて問題と向き合うことが可能になるのです。
そして次の段階では,そのスーツケースを患者と医師が一緒に開き,中身を広げてみます。古い痛みの記憶,家族からの期待,仕事のプレッシャー,将来への不安,過去の医療体験―それらを1つひとつ手に取り,観察し,吟味していく。「これはまだ必要ですか?」「これは別の場所に置いておきましょうか」「これとこれは関連していそうですね」―こうした対話を通じて,混沌としていた中身に新たな秩序が生まれていきます。
この作業において,医師と患者の関係は,サッカーチームのメンバーのようなものだと私は考えます。同じゴールに向かって,それぞれの役割を果たしながら協働する。医師は監督ではなく,一緒にプレーする仲間です。時にはパスを出し,時にはパスを受け,相手の動きを見ながら自分の位置を調整していく。スーツケースのメタファーが示唆するのは,“問題は「消せなくても,並べ直すことができるもの」”だということです。重すぎれば一緒に持つこともできるし,中身を整理して軽くすることもできる。必要なら,新しいスーツケースに入れ替えることだってできるのです。
後編へ続く
参考文献
1)White M, et al:Narrative Means to Therapeutic Ends. WW Norton, 1990.
2)Williams—Reade J, et al:Narrative—informed medical family therapy:using narrative therapy practices in brief medical encounters. Fam Syst Health 32(4):416—425, 2014. PMID 25329755
3)Kleinman A, et al:Culture, illness, and care:clinical lessons from anthropologic and cross—cultural research. Ann Intern Med 88(2):251—258, 1978. PMID 626456
4)Frank AW:The Wounded Storyteller:Body, Illness, and Ethics, 2nd ed. University of Chicago Press, 2013.
5)Minsky M/竹林洋一(訳):ミンスキー博士の脳の探検―常識・感情・自己とは.pp103—144,共立出版,2009.

尾藤誠司(びとう・せいじ)先生 医療法人財団慈生会野村病院 総合診療推進特任副院長
1965年,愛知県生まれ。実家は病院ではなく美容院。1990年,岐阜大学卒業。国立長崎中央病院(現・国立病院機構長崎医療センター),国立佐渡療養所,UCLA School of Public Health,国立病院機構東京医療センターなどを経て現職。ガレージパンクバンド「ハロペリドールズ」のVo & G。自称プライマリ・ケアの権化。
出来事中心の医療――患者の体験を上手に取り扱うための技法
診断も治療も正しいはずなのに、うまくいかない。「患者中心の医療」のその先へ
<内容紹介>診断も治療も正しいはずなのに、なぜうまくいかないのか? エビデンスやガイドライン、共感だけでは解決できない臨床の問題も、患者の体験(=出来事)を軸に考え直すことでうまくいく! 疾患ごとの出来事の公約数を手がかりに、患者の体験の聞き方・活かし方、専門家としての在り方を示します。患者と向き合うすべての医療職に向け、適切な臨床判断へとつなげるための実践書。AI時代の診療を変える一冊です。
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