- 医学
♪In My Resident Life♪
何度でも苦労しよう,経験はきっと力になる
寄稿 笠原群生,倉井華子,古瀬祐気,平島修,柴田綾子,佐藤直樹,原祥子
2026.10.20 医学界新聞:第3590号より
研修医の皆さん,医師としての生活には慣れたでしょうか。人気ドラマ『VIVANT』には,「あなたは7回撃たれた狼だ」というセリフが登場します。これはモンゴルで知られる諺で,失敗や挫折も,それを何度も乗り越えた経験が次の困難に立ち向かう力になるという意味が込められています。恒例企画『In My Resident Life』では,著名な先生方に研修医時代の失敗談や面白エピソード,研修医へのメッセージをいただきました。何度撃たれても前を向く力をもらえるはずです。
▼ 目次
笠原 群生(国立成育医療研究センター 病院長)
倉井 華子(静岡県立静岡がんセンター感染症内科 部長)
古瀬 祐気(東京大学国際高等研究所新世代感染症センター 教授)
平島 修(徳洲会奄美ブロック総合診療研修センター センター長)
柴田 綾子(淀川キリスト教病院産婦人科 医長)
佐藤 直樹(かわぐち心臓呼吸器病院循環器内科 部長 / 内科統括部長 / 副院長)
原 祥子(東京科学大学脳神経外科 講師)
こんなことを聞いてみました
❶ 研修医時代の“アンチ武勇伝”
❷ 研修医時代の忘れえぬ出会い
❸ あのころを思い出す曲
❹ 研修医・医学生へのメッセージ
❶医師になって間もない頃,私は「小児医療には向いていない」と本気で思っていました。群馬大学で一般外科を研修した後,臓器移植に憧れ,医師4年目の1996年に京都大学移植外科へ入局しました。全国から末期肝不全の子どもたちが集まる,日本で最も肝移植を行っていた施設です。夢に描いていた世界でしたが,現実は甘くありませんでした。
一番苦労したのは,採血や点滴です。大人とは違い,小さな子どもは血管が細く,泣いて動きます。何度挑戦してもうまくいかず,毎日のように子どもを泣かせてしまいました。ご家族に申し訳なく,「自分は小児医療に向いていないのではないか」と何度も落ち込みました。手術でも執刀はまだ先の話で,私の仕事は鈎引きと吸引ばかり。十時間を超える移植手術を執刀する先輩方の背中を見続けながら,「いつか自分にもこの日が来るのだろうか」と思っていました。
❷そんな私を育ててくれたのは,子どもたちと指導医の先生方でした。移植手術の翌日,それまでICUで生死をさまよっていた子どもたちの顔色がみるみる良くなり,ご家族が涙を流して喜ぶ姿を何度も見ました。「この手術には人生を変える力がある」。その光景が,私を小児の外科医の道へ導いてくれました。また,厳しい指導の中でも,先輩方は失敗そのものではなく,「失敗から何を学ぶか」を教えてくださいました。その教えは今も私の診療の礎になっています。
先日,30年前に私が担当した移植患者さんのお子さんの手術を担当する機会に恵まれました。あの頃は小さな子どもだった患者さんが親となり,そのお子さんの診療に携わることができたのです。子どもの成長を見守り,親子二代,時には三代にわたって医療にかかわれることは,小児医療だからこそ味わえる,何ものにも代え難い喜びだと感じています。
❸研修医時代を思い出す一曲は,Stingの「Englishman In New York」です。群馬の田舎で育った私は,京都で10年間修業し,その間には英・ロンドンのキングス・カレッジ病院へ留学しました。いつも「群馬の山猿が何をしているんだ」と思われているのではないか勝手に考えていました(笑)。それでも,この曲の“Be yourself, no matter what they say”という言葉は,異なる環境に飛び込む度に私の背中を押してくれました。今でも「自分らしく,そして謙虚に」という気持ちを忘れないようにしています。
❹私は決して器用な医師ではありませんでした。だからこそ,人一倍失敗し,人一倍先輩に教えていただき,継続した努力もしてきました。今でも私の机には「120%の努力」という言葉があります。患者さんにとって生存率は0%か100%しかありません。だからこそ医療者は120%の努力を続けなければならないと思っています。
研修医時代は失敗して当然です。大切なのは,失敗を隠さないこと,同じ失敗を繰り返さないこと,そして学び続けることです。若い頃の苦労は,未来へ大きく飛び出すためのネジを巻く時間です。
あの頃,私が泣かせてしまった子どもたちが,外科医としての私を育ててくれました。そして今,世代を越えて親になったその子どもたちの子どもたちを診療できることが,小児医療に携わる者として何よりの幸せです。
この子もよく泣かせてしまいました。
❶子どもの頃から虫が好きでした。ただ,好きになるのは蚊やハチなど,なぜか人から嫌われる虫ばかり。高校時代,目黒寄生虫館を設立した亀谷了氏の『寄生虫館物語』(文春ネスコ)に出合い,すっかり寄生虫の世界に魅せられました。今思えば,医学部に入った理由は「人より虫をもっと知りたかったから」と言ったほうが正しいかもしれません。
研修先は東京都立駒込病院でした。ある日,条虫症の患者さんを駆虫する機会がありました。下剤で排出された虫体を回収すると,まだ元気に動いています。「このまま飲めば感染できるかも」そう思った次の瞬間,頭節を口に入れていました。もちろん周囲は騒然です。条虫は頭節が排出されて初めて駆虫成功と判断します。その一番大事な頭節が見当たらないのですから当然です。「まさか食べたの!?」「人の便から出てきたものを口にするなんて」と本気で怒られました。今振り返れば,完全におかしな行動です。でも,その頃の私にとって主役は条虫で,人の便は背景に過ぎませんでした。あれから20年以上がたちましたが,好奇心はあまり変わっていません。山へ行ってヒルを拾い,ダニを採集し,ときにはサルの糞を探して歩いています。
こうして考えてみると,好きなことを突き詰めることは,自分だけの個性を育てることでもありました。好きだから続けられる。続けているうちに,それが仕事になり,誰かの役に立つようになる。「好き」は,案外人生の近道なのかもしれません。
❷2010年,前任の大曲貴夫先生(現・国立国際医療研究センター)に学びたくて静岡がんセンターへ赴任しました。臨床面でも多くを教えていただきましたが,それ以上に印象に残っているのは仕事術でした。メモの取り方,文献の読み方,プレゼンテーション,時間の使い方,リーダーとしての考え方など,感染症だけでなく仕事の進め方そのものを教えていただきました。中でも特に心に残っているのが,「自分をプロデュースする」という考え方でした。当時は意味がよくわかりませんでしたが,後になって,自分の好きや得意を社会に伝わる形にすることなのだと理解しました。
今の私の得意なことは,人と人,そして一見関係のないもの同士をつなぐことです。感染症と市民,医療と獣医,臨床と行動科学。自分が面白いと思ったことを人につなぎ,新しい形にしていくことが,今の仕事の楽しさになっています。
❸曲ではありませんが,研修医時代を思い出すのは,日曜夕方のラジオドラマ「NISSAN あ,安部礼司」です。番組が始まると,「また月曜日が始まるなあ」と思ったものです。日常に潜む小さなおかしさや,何気ない人間ドラマが大好きでした。特別な出来事ではなくても,人が集まり,言葉を交わすことで思いがけないドラマが生まれる。そんな世界観に惹かれていました。
❹好きなことを大切にしてください。少しくらい変わっていても構いません。私も寄生虫やヒル,ダニに夢中になってきましたが,その「好き」が今の仕事につながっています。
写真 自身が罹患した回虫とともに
❶研修医時代,私はほとんどの手技を同期よりうまく行うことができました。おそらく当時は,人よりちょっと手先が器用だったのでしょう(今は全くそうではありません)。ある日の救急外来で,同期の研修医や看護師さんたちが緊急の血管インターベンションが決まった患者さんの尿道カテーテル挿入に難渋しているのに出くわして,「ちょっとやらせて」と華麗に一発で入れました。……手袋もつけずに。まだローテート前だったので,会ったこともない循環器内科の先生が真横で別の手技をされていて,「ばかやろう」と足蹴りされたことを覚えています(※まったく痛くない,手がふさがっていた状態の彼からの愛のあるつっこみだったことを補足しておきます)。そんな私も,今は感染制御が仕事です。
❷実は私は研修を一度ドロップアウトしています。やめる直前の週末には,同期の12人全員で有休をとって,「みんなで一泊二日の温泉旅行」という送別会を開いてもらいました。私はそのまま姿を消したので知らなかったのですが,「同じ学年の全員が同時に休むなんて前代未聞だ」と病院上層部からまぁまぁ怒られたそうです。それから10年以上たった今でも,なるべくみんなで年に1回は顔を合わせる機会を設けて他愛のない話をしています。他にも,退職時には先輩後輩の医師やコメディカルの方など,一緒に働いた人たちから色紙5枚にも及ぶメッセージ色紙を頂戴しました。その後も,不思議な縁で当時の方々といろいろなところで再会することがあります。医学部6年(私は,6年では物足りなかったので延長しましたが)に比べると短い2年間(私は,2年は長すぎたので一旦休みましたが)の研修ですが,一生ものの出会いが本当にたくさんありました。
❸研修医になっても順調に中二病を引きずっていたので,まだそこまで有名になっていない曲をあえて聞いて,それを知っている人たち同士で盛り上がっていました。まだ本名を明かす前の米津玄師(ハチ)「マトリョシカ」とか,売れる前のサカナクション「ルーキー」とか。いま思い出してみると,先見の明(?)がありましたね。
❹進路に迷ったら,いろんな人に話を聞いてみてください。驚くくらい,みんな【その人が選んだのと同じ道】を進めてきます。それは,「自分の歩んできた道を後輩にも選んでもらうことで,間違っていなかったと思いたい」不安と,「どんな道を選んでも,それなりにうまくいく」経験の両方があるからだと思います。たぶん。一通り話を聞いたら,アドバイス自体はそこまで気にせず,得た情報をもとに「えいやっ」と決めてしまえばいいと思います。何かにチャレンジする選択でも,何かをやめる選択でも大丈夫。きっとうまくいきます。だって,私がそうでしたから(循環論法)。
写真 渦中の温泉旅行で撮った1枚
偶然,同期の全員が男性だった。中列中央が私。
❶研修医2年目,循環器内科をローテートしていた頃のことです。担当していた患者さんの治療内容を,私は十分に理解できていませんでした。午後の病室にはご家族がお見舞いに来ていることが多く,「うちの父の具合はどうです?」と尋ねられ,何と答えればいいのかわからないことがしばしばありました。そのうち私は,わからないままベッドサイドへ行くことが怖くなり,足が遠のきました。
ある日の昼過ぎ,私は医局で教科書を開いていました。「平島,何しているんだ?」と指導医に聞かれ,「わからないところを教科書で勉強していました」と答えました。真面目に勉強していると褒めてもらえるとさえ思っていました。ところが指導医は鬼のような表情になり,「病気のことがわからないなら,患者の前に座ってしっかり話を聞け。本で勉強したいなら,患者が寝てからやれ」と大きな声で叱責。衝撃でした。今思えば私は,学生の頃のように理解してから患者さんの前へ行こうと考え,わからない自分をさらす怖さから逃げていただけでした。
❷もう1人,忘れられない先輩がいます。研修医1年目の当直で私を支えてくれた,2年目の先輩です。当時の当直は屋根瓦式で,最前線に立つ1年目を2年目が指導し,スタッフ医師が全体を見ていました。夏頃までは緊張の連続でしたが,冬になる頃には私もだいぶ慣れていました。風邪の季節で受診者は多く,その日の晩はほぼ一睡もせず,いつもより多くの患者さんを診ました。私には「今夜はたくさん診た」という満足感がありました。当直明けの朝,「平島,ちょっと来い」と先輩に呼ばれて,誰もいなくなった外来診察室へ行きました。褒められるか,振り返りをしてもらえると思っていました。すると先輩は突然,足元の小さなゴミ箱を蹴り上げ,「平島,お前,なめんなよ。何だ,あの口の利き方は。患者さんを何だと思っているんだ。お前は何様なんだよ」と大きな声で叱責。私には自覚がまるでありませんでした。初対面の患者さんに敬語も使わず,なれなれしく話していたのです。慣れて,こなせるようになって,調子に乗っていたのだと思います。そんな医者になるつもりはなかったのに,気づかないうちになりかけていたことが悔しかったのです。
❸研修医時代,よく聴いていた曲の1つにPIZZICATO FIVEの「東京の合唱」があります。「いつ何か起きるかはわからない,だから今日を楽しもう」という歌詞の内容が日々の苦労をぶっ飛ばしてくれていました。大変なこともくじけそうなこともありましたが,あの日々は楽しかったのです。
❹医師の責任は重いものです。そして医療は,知識や診断力を披露するゲームではありません。不確かなことばかりの中で,1人の人間として患者さんと真摯に向き合う仕事だと思います。わからないときこそ患者さんの前に座り,その声に丁寧に耳を傾ける。慣れてきたときこそ,目の前の人への敬意を忘れない。私は,そのどちらも人に指摘されるまで,自分では気づけませんでした。失敗や叱責は苦いものです。今は,誰かに厳しく叱られて初めて気づく,そんな時代でもなくなってきました。だからこそ,ときどき自分自身に「患者さんとちゃんと向き合えているか」と問いかけてみてほしいです。大変な日も,くじけそうな日もある。だから今日を楽しまなきゃ。手あての医療をやろうぜ!
写真 奄美大島での地域研修において訪問診療中
片道1時間以上の山を超えて。
❶初期研修中,私は外科で「寝るほうのリトラクター(手術器具)」と呼ばれるほど,隙をみては休憩室で寝ていました。そんなある日,循環器科研修中に事件は起こります。心臓カテーテル後の大腿動脈のシースカテーテル抜去は研修医の仕事でした。抜去の手技について先輩から説明を受け,ベットで寝ている患者を訪室し,何気なくシースカテーテルを抜去したその瞬間,大腿動脈から噴水のように血が吹き出し,想像を超える出血に固まってしまいます。慌てて出血部位を抑えますが,出血部位をピンポイントで圧迫できておらず,出血は止まりません。ベットのシーツと患者の服がみるみる赤く染まっていく。このままでは,患者さんが(出血で)死んでしまう! その瞬間,隣で監督していた先輩がさっと出血部位の圧迫を交代し,血が止まりました。横になっている患者さんは一瞬のことで気づいていませんでしたが,患者さんと看護師に平謝りして,シーツと服を交換してもらいました。今でも,自分が必死で抑えているガーゼの横から噴水のように飛び出す鮮血を思い出し,冷や汗をかくことがあります。あの瞬間,「循環器は恐ろしすぎる!」と断念したのですが,進路に決めた産婦人科で,滝のように吹き出す分娩時出血に日々対峙するこにとなるのは数年後の話。
❷産婦人科の専攻医だった頃の上級医に麻雀好きがいました。実際の当直表とは別に,自分で独自の(奥さま向け)当直表を作成し,オンコールの日は(当直と偽って)麻雀をしていました。ある日,分娩後に会陰の創部からの出血が止まらない患者がいました。何度縫合しても出血が湧いてくる。もうダメだと上級医に電話をします。「おう,どうした?」電話の向こうで麻雀牌のジャジャラという音。「わかった,すぐ行く」という二つ返事の後すぐに来てくれたのはいいものの,創部を見た上級医は,なんとガーゼで傷を圧迫しながら,目をつむりだしたのです。(ちょ,ちょっと待ってくれ! たしかに夜中に呼び出したのは悪いけど,寝ないでくれー!)。分娩後の患者は,自分の股の間に座って微動だにしない上級医と,その後ろに立つ柴田を怪しんで見ています。(寝るな~! 寝るな~!)と上級医の背中に念じ続けること数分。願いが通じ「お。悪い悪い」と起きた上級医がガーゼを抜去すると……あれほど縫っても止まらなかった血が止まっていたのです!「先生,麻雀中に呼び出してすみませんでした」「ちょうど負けてたとこやったんや。抜けられて良かったわ」「ええか,とにかく圧迫や。圧迫で止まらん血はないからな」。そう言い残して上級医は麻雀店に戻っていきました。産婦人科医になった今,何度も止まらない出血に遭遇し,その度にこの言葉を思い出して必死に圧迫しています。
❸Lauryn Hillの「To Zion」。キャリア絶頂期に妊娠した女性の葛藤と子どもへの愛に満ち溢れた歌です。妊娠出産する女性の気持ちが詰まっています。
❹「優秀になるな愚直になれ,そして食って寝ろ」。知識があったり要領よく動けたりする同期や先輩と比べて「自分はこのままで大丈夫だろうか」と心配になることがあると思いますが,大丈夫です。医療は1人ではなくチームでやるものです。皆が大谷選手みたいに天才・優秀になる必要はありません。「一緒に働く仲間として信頼できる」ことが重要です。あなたの中の「愚直(まじめさ,誠実さ)」を大切にしてください。そして,とにかく,あなた自身が食べて寝てください。医療を提供するあなたが健康であることこそが,1番大切です。
❶❷私が大学を卒業した頃は,卒業後すぐに医局へ入局する時代でした。入局後,循環器内科の多くの先輩から積極的に声をかけられ,臨床のみならず基礎実験を行う日々が入局2年目から始まりました。
実験は臨床業務が終わってから,あるいは研究日に時間をつくって,先輩の指導のもと行いました。基礎研究を行うことが,臨床の“なぜ?”に答えるために極めて重要であることを教わったように思います。
研究を機に先輩から留学を勧められ,医者になって5年目で留学する機会をいただきました。留学中に最初に与えられたテーマは,今までの留学者が最後まで成し得なかったもので,脾臓の収縮と冠血流の関係に関する研究でした。試行錯誤を経て,脾臓が収縮すると脾臓に蓄えられていた血液が循環に放出され,酸素運搬能が改善し心筋血流も改善する,いわゆるself-dopingのメカニズムを示すことができました。
留学期間は4年間でしたが,この間の最大の学びは,物事を深くかつ徹底的に突き詰める姿勢ではないかと思います。ボスは研究に関しては異常に厳しく,当時は正直,「なぜここまで言われなきゃいけないんだ!」と頭に来ましたが,今振り返ると,その厳しさがあったからこそ,物事に躍起になって打ち込む姿勢が身に付いたように思います。“だめだと思ってももう少し頑張ってみよう! そうすれば何事も為せば成る”です。
留学中に心不全の研究を行ったこともあり,帰国後は急性心不全を中心とした集中治療に従事しました。心不全関連で他の施設の先生方とコミュニケーションする機会が増え,仲間の先生とともに急性心不全の疫学研究を行うことになりました。
当時,欧米では急性心不全の疫学研究が盛んで,それをもとに新たな薬剤開発が活発に行われた一方で,日本は国際研究では蚊帳の外に置かれていました。そこで私たちは,当時国内最大規模となる急性心不全疫学調査(ATTEND registry)を立ち上げ,自身の発表機会はなかったものの,米国心臓学会学術集会に研究を売り込みに行きました。
セッション終了後,急性心不全領域の世界的権威であるMihai Gheorghiade先生に,初対面かつ非常に無礼ながら「日本で急性心不全疫学研究を始めました。それについて少しお話をさせていただけませんか?」とアプローチすると,「それはすばらしい! 後でメールをくれないか?」と名刺をいただきました。返事は来ないだろうと思いつつメールを送ったところ,なんとその晩に「急性心不全関連で研究会があるからそこに来ないか? 来た時にゆっくり話を聞きたい」と返信が届いたのです。こうしてGheorghiade先生との交流が始まり,共同研究や論文執筆をご一緒することになりました。これをきっかけに広がった世界の心不全領域のエキスパートたちとの交流は現在も続き,自分の診療や研究を支える大きな力となっています。
❸辛い時期,研究室への行き帰りの車中で,サザンオールスターズの「慕情」をよく聞いていました。歌詞は当時の状況にあまりフィットしていないのですが,もの悲しい曲調が心を癒してくれ,なんとか最後までやり遂げられたのだと思います。
❹若手の皆さん,自分の道を切り開くために,ぜひさまざまな経験をしてください。そして,その中から「これだ!」と思えるものが見つかれば,ぜひ積極的にその領域のエキスパートの懐に飛び込み,キャリアを広げてほしいと思います。それこそが医師人生のひとつの醍醐味でもあり,とりもなおさず患者のためになるのですから。
写真 Gheorghiade先生と私
❶東京医科歯科大学(現・東京科学大学)初期研修プログラムを通じ,初期研修医の1年間を武蔵野赤十字病院で過ごしました。ただでさえ人見知りで打ち解けるのに時間がかかる性格なのに,医師としての基本的な仕事も十分できない状態で,最初のローテーションが三次救急専門の救命救急科。救急外来も集中治療室も,医者も看護師もピリピリしており,怒号が響き,とにかく怖かった。理不尽な叱責に耐えられず,トイレに駆け込み涙を拭ってから初療室に戻ったこともありました。2週間くらいした頃,夜のICUで「先生やっと慣れてきたでしょー。やっとしゃべるようになってきた」と看護師さんに言われ,初めて自分のその状況に気付きました。その後,怖いと感じるのは自分の性格の問題,また重症患者の命を扱う現場だから処置の遅さや判断の甘さを厳しく指摘されるのであって,指導者に悪意があるわけではないと考えられるようになりました(ただし泣かされた時の「ここの研修医はみんな甘い」のような理不尽な叱責をする方がいたのも事実……)。最初の洗礼のおかげで,その後の研修は随分楽に感じたものです。
今は診療も研究学会活動も人との交流やコミュニケーションが必須と理解し,「仕事の自分」の仮面で社交性を高めているので,新しい環境や初対面の方ともうまく適応できています。
❷数多くの先生方の言葉や診療,生き方が思い出されますが,以下のお2人をご紹介します。1人目は神経内科医の一條真彦先生(現・武蔵野赤十字病院)。当時は神経内科の若手レジデントで,初期研修医はみんな可愛がってもらいました。ある飲み会で口にされた「仕事は嫌なことの方が多いから,自分はこれが好きってことがないと絶対に続かない」という言葉が深く胸に刻まれ,専門選択の決め手となりました。キャリアに関する講演をする際,いつもこの言葉を紹介させていただいています。2人目は佐藤琢爾先生(現・関西医科大学消化器外科)です。当時は救命救急科におられ,いわゆる「ニコニコ優しい」先生ではないものの,淡々と仕事が早く,理不尽に怒ることもなく,指導は厳しくも愛があり,研修医から慕われていました。結婚指輪を普段からつけないか処置の際に外す先生が多い中,ななめがけしたストラップに指輪を通しているのが合理的で格好良くみえました。そんなわけで今,私も病院勤務時は指輪をペンダントチェーンで首にかけるスタイルです。
❸元々クラシック派(特にバロック)だったのが夫(結婚前)の影響を受け,洋楽を聴くように。ライブチケットをとった本人が行けなくなり,なぜか後輩と2人,Bon Joviの「It's My Life」を楽しんだこともありました。
❹初期研修医の時間外労働管理は必要ですが,研修医の「お客さん」化を加速させた面もあります。自ら学ぶ姿勢がなければ,何も得られないまま2年が過ぎ,専門研修で突然責任を持つことになってギャップに苦しむことになります。「間違えることは素晴らしいこと。本当の間違いは,間違いを正そうとしないこと」とは子どもの塾の先生の言葉ですが,初期研修医のうちは指導医や看護師などのコメディカルのサポートが手厚く,患者さんへの不利益が生じにくい環境です。何か指摘されたら,感情をいったん脇に置き,学ぶポイントがあるか冷静に受け止めてみてください。上の学年になるほど,おかしなことをしても叱ってもらえなくなり,事故につながれば自ら責任を負うことになります。研修医の今は,一番学べるチャンスです。よく学び,質問し,間違って怒られても成長のチャンスととらえて頑張ってください。
写真 研修医旅行での1枚
みんな仲良しで,忙しい日々の癒しでした。向かって一番左が私。
いま話題の記事
-
寄稿 2022.04.11
-
サルコペニアの予防・早期介入をめざして
AWGS2025が示す新基準と現場での実践アプローチ寄稿 2026.03.10
-
神経理学療法における「標準」を問う
複雑性に向き合い,共通基盤を築く対談・座談会 2026.10.13
-
ピットフォールにハマらないER診療の勘どころ
[第22回] 高カリウム血症を制するための4つのMission連載 2024.03.11
-
VExUS:輸液耐性が注目される今だからこそ一歩先のPOCUSを
寄稿 2025.05.13
最新の記事
-
PEEPと循環の相互作用
循環から見た「最適なPEEP」の個別化アプローチ寄稿 2026.10.20
-
♪In My Resident Life♪
何度でも苦労しよう,経験はきっと力になる寄稿 2026.10.20
-
あせらないためのER呼吸管理トレーニング
[第12回] VCVから人工呼吸器の基本を理解せよ!連載 2026.10.20
-
神経理学療法における「標準」を問う
複雑性に向き合い,共通基盤を築く対談・座談会 2026.10.13
-
実際どうなの? 糖尿病診療のココが知りたい
[第6回] ツイミーグ®(イメグリミン)は,「あと一手」になるか?連載 2026.10.13
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

