医学界新聞

  • リハ

複雑性に向き合い,共通基盤を築く

対談・座談会 森岡周,藤野雄次,深田和浩

2026.10.13 医学界新聞:第3590号より

3590_0101.jpg

 神経疾患を対象とする神経理学療法には,多様な手技やアプローチが存在する一方,何を軸に実践・指導すべきかという共通の枠組みが十分に確立されていないことが課題とされてきました。日本神経理学療法学会は,共有すべき知識の基盤を提示する取り組みを続けており,このたび,学術大会の教育講演の内容をもとに同学会が企画・編集した書籍『神経理学療法学講義――脳卒中編』(医学書院)が刊行されました。

 本座談会では執筆に携わった3氏を迎え,神経障害の複雑性に向き合う上で理学療法士が共有すべき「標準」とは何か,またその確立がいかに若手理学療法士の思考力を育み,臨床と教育の質を底上げするのかについて語り合いました。

森岡 私が理学療法士になった1990年初頭,国内の神経理学療法はボバース概念や固有受容性神経筋促通法 (proprioceptive neuromuscular facilitaition:PNF)など,その大部分を海外から学んでいました。私自身,いくつかの講習会に参加して手技を学ぶ中で,特定の刺激に対する反応ばかりを追い,病態の異なる患者に画一的な介入がなされている現実に強い違和感を覚えたのです。手技の習得だけでは神経障害の複雑な本質を解き明かせないと感じ始め,本場の実践を確かめるべく渡欧し臨床現場を数多く巡りました。そこで多様な流派を目の当たりにし,「神経理学療法は,世界的に見てもいまだ完成されていない」と痛感したことをきっかけに臨床を離れ,神経科学をベースにした理学療法の確立をめざして研究の道へ進みました。

藤野 森岡先生が博士号を取得された2004年は,奇しくも私が理学療法士になった年です。当時の臨床現場もまだまだ混沌としており,施設ごとに異なる治療手技が優先され,「何が標準なのか」が全くわからない状態でした。手技に基づく経験則が中心で領域全体に共通基盤が欠如していたため,臨床経験を重ねて学会発表や論文執筆に挑んでも,アカデミックな内容として通用しないという壁にぶつかりました。その経験から私も大学院へ進学し,現在は臨床研究や卒前教育に携わっています。本日は神経理学療法における「標準」とは何かを深く議論できることを楽しみにしてまいりました。

深田 私は2009年に理学療法士になり,急性期の大学病院で脳卒中を含む多様な疾患の臨床経験を重ねてきました。その中で臨床上の疑問に対していくら文献を調べても答えにたどり着けないもどかしさを抱き,より深く探究したいと大学院へ進学しました。現在は回復期から生活期の臨床に携わっており,運動機能障害だけでなく,高次脳機能障害,さらには患者一人ひとりの背景や環境が複合的に絡み合い,患者の行為そのものが変容していく過程を目の当たりにしています。本日は現場の臨床家として,また若手を指導する立場からお話しできればと思います。

森岡 学生や若手が成長過程で直面する「神経領域の難しさ」を皆さんは日々実感されていると思います。高次脳機能障害やパーキンソン病といった神経障害に起因する疾患を対象とする神経理学療法において,運動器疾患や内部障害と比べた場合の学習・教育のボトルネックはどこにあるとお考えですか。

藤野 養成校での教育は,評価学,運動学,解剖学といったように科目ごとに行われます。すると,知識がどうしても「点」として伝わってしまい,臨床現場で患者の複雑な現象を目の当たりにしたときに,それらを「線」や「面」としてつなげられない学生が多くいます。この知識の統合,すなわち臨床推論に至るプロセスをカリキュラムに落とし込むのがなかなか難しいです。さらに,セラピスト一人ひとりが用いる評価ツールや介入の武器もばらばらで共通言語を持てていないことが,臨床推論における解釈のネガティブな多様性を生んでしまっています。

森岡 おっしゃる通りですね。そもそも神経領域は問題が生じる階層が本質的に異なります。運動器では局所の構造や力学から問題をとらえやすい一方,神経障害では病変と運動障害が単純に対応せず,その間に多層的な神経情報を伝達する過程が介在します。理学療法にとって運動学が重要であることは間違いありませんが,運動学はあくまで関節角度や運動軌跡など,現れた運動を記述するものであり,その運動がどのように生成されたのかを理解するには,神経系の働きまで視野に入れる必要があります。運動器疾患と神経障害で同じような問題点の抽出を行っている現状は見直すべきであり,神経障害の特性に即したリハビリテーションを突き詰めることが必要です。

藤野 表面化した運動障害はあくまで結果に過ぎず,その背景には中枢神経性疼痛,高次脳機能障害,平衡機能障害などの要素が複雑に絡み合っています。原因と結果の間に介在する変数が多すぎるため,解釈が多岐に分かれ,これが学習者にとって他領域にはないハードルとなっています。

深田 回復期や生活期の現場にいるとその難しさを痛感します。脳損傷では,損傷部位によって現れる症状が異なるだけでなく,同じような損傷であってもその現れ方は多様です。さらに,患者さん一人ひとりの生活歴や心理的・環境的要因などが重なり,実際の生活場面で現れる問題は大きく異なります。また,単関節の運動は問題なく行える患者であっても,高次脳機能障害や意図の欠如によって,実生活での行為として再現されないケースは珍しくありません。運動学的な枠組みだけで歩行を分析し,「股関節が何度曲がっているか」ばかりを追っていても,患者の行為の再建にはつながらないのです。

森岡 まさにそこです。その複雑さに向き合えないと,結果的に疾患名や症状の枠組みだけで患者を分類し,奥にあるメカニズムへの思考を停止してしまう。この画一的な見方から抜け出せなくなっていることこそが,現在の神経理学療法が抱える問題です。

森岡 運動器領域は基礎知識がある程度体系化されており教育のばらつきも少ない印象ですが,神経領域は体系化されていない部分が多く,指導に困る教員も少なくありません。そのため,学習を途中で投げ出しやすい分野でもあります。現場で若手を指導する立場として,どのような課題を感じていますか。

深田 入職したての若手は,目の前の患者さんを早く良くしなければとのプレッシャーから,どうしても介入手段の明確な答えを求めてしまいます。そこで指導側が手技だけを教えてしまうと,「この病態にはこの手技」という一面的なパターンとして定着してしまいます。手技そのものではなく,「病態と評価を踏まえ,なぜこの治療を選択したのか」という思考プロセスを考えさせることが何より重要だと感じています。例えば脳卒中の場合,「荷重をたくさんかければいい」と短絡的に考えてしまう若手は多いです。しかし,荷重ができない背景には姿勢制御の問題があるのか,それとも課題を理解するための認知的基盤の低下があるのかを評価することが必要です。

森岡 わかりやすい手技に依存したくなるのは,不安を払拭し,不確実な臨床を少しでも確実にしたいという心理の表れです。しかしながら臨床医学は本来不確実性に満ちており,何をどう評価するかによって目の前の現象の解釈はいくらでも変わります。その不確実性から逃げずに,現時点での最適解を探っていかなければなりません。

藤野 その曖昧さに耐えられないと,良かれと思って全員に同じような治療介入を行ってしまい,効果が出ないと「結局片麻痺はこれ以上良くならない」と誤った結論を出して諦めてしまうわけですね。

森岡 そうです。ベッドサイドの神経学的検査が形骸化し,検査が終わった途端に結果と無関係なルーティン作業に終始してしまうのもその一例です。これでは検査が病態判断のツールになっておらず,単なるセット作業を実行しているに過ぎません。まず,臨床の不確実性にチームで向き合う心構えが卒前・卒後を通じて不足しています。手技の習得ばかりにとらわれると,やり方を覚えることが神経理学療法の学びだと錯覚し,肝心の病態をとらえる力が育たないのです。

深田 運動学に加え,認知的・神経学的基盤を組み合わせて病態をひもとき,思考の道筋を言語化できて初めて,次の新しい症例への応用が利くようになります。単に手技のパターンを覚えるだけでは,同じ壁にぶつかり続ける負のサイクルから抜け出せません。

広告

森岡 目に見えない病態変化をとらえるには,知識と経験の融合,そして見ようとする意志が不可欠です。経験に支えられる理学療法がある一方で,知識の裏付けがなければその経験は錆びつき,過去の成功体験に固執してしまいます。臨床の不確実性に立ち向かい,個々の経験に閉じこもらないためにも,まず取り組むべきは知識の標準化です。

藤野 「標準化」が画一的な方法の押し付けであるかのような誤解が臨床現場には根強くあります。しかし,標準化とは介入手段を一つに縛ることではありません。複雑な現象を前に思考停止しないために,基礎知識や評価の視点を整え,臨床推論を成り立たせるための共通基盤や判断軸を全員でそろえることです。

深田 臨床教育の現場でも,標準化の重要性を痛感しています。私は日々の指導において安易な答えを提供しないことを意識していて,それは答えを固定化するのではなく,判断するための思考の土台をまず全員に持ってもらいたいからです。土台となる標準的な知識があるからこそ,初めて個々の患者に合わせた個別化が可能になります。

藤野 標準化と個別化は対立するものではない,ということですね。

森岡 神経障害は多階層にまたがって問題が生じるため,共通の土台がなければ共通言語が持てず,症例検討でも議論が発散してしまいます。ただ,その土台となる基礎知識の水準には,個々の理学療法士の間で大きな差があるのが現状です。共通の基盤を整えることは,考え方を一つにそろえるためではなく,異なる見解を学術的に議論するために必要です。「標準」を提示することで,他施設との症例検討や学会での議論が深まり,領域全体の教育と臨床の質を底上げできると考えています。

深田 教員の専門領域や教育経験のばらつきが課題となる中で,卒前教育においては神経理学療法の「標準」をいかに習得し活用すべきとお考えでしょうか。

森岡 難しい問題です。特に神経分野を専門的に教えられる教員は限られており,養成校のみで改革を進めるには限界があると感じています。臨床実習がある以上,学生の学びは現場の実習指導者の考え方や指導にも大きく影響されるからです。だからこそ,まずは臨床現場で共有すべき知識の共通基盤を整えることが重要だと考えています。実習施設において,1~3年目の療法士が身につけるべき標準的知識が共有され,それに伴って指導も変わって行けば,卒前教育の水準も徐々に引き上げられていくのではと期待しています。

藤野 養成校と実習施設の橋渡しを担う中では,決まった正解を求め,手続き通りに実習をこなすことでレベルアップしたと安心してしまう学生をよく見かけます。教員として標準知識を基盤にしながら常に自分の判断や評価を疑い,問いを立て続けてもらえるような指導を心がけてはいますが,その姿勢を教育システムとしてどう根付かせるか,私自身もまだ答えを見つけられていません。

森岡 「問いを立てよう」と気負いすぎると,今度は「どういう問いが正解か」という正解探しに陥ってしまいます。本来,問いは立てるものではなく,臨床現場で患者の表情がガラリと変わるような場面を見た時の驚きから自然と立ち上がるものです。

藤野 確かに,臨床現場で指導者の介入を間近で観察し,目の前の患者の変化を目の当たりにすると,学生の内発的な興味が湧き立ち,質問が次々と出てきます。「いくつかアプローチがある中で,なぜ今この治療を選択したのですか?」という意思決定のプロセスまで踏み込んだ質問も出るようになります。

森岡 さらに現場ではOJTを通じて,先輩が悩み,試行錯誤する姿を見せることも重要です。うまくいかないことや不安に直面した時,それをネガティブにとらえるか,学びの好奇心に転換してとらえるかは紙一重ですが,学生や若手の刺激になるはずです。深田先生は日頃の指導の中で,若手に疑問を持たせたり,モチベーションを持続させたりするために意識されていることはありますか。

深田 今ある状態がなぜ起こっているのかを一緒に観察して考えること,そして将来的にこの患者がどう推移していくのかという時間軸のプロセスを合わせて指導することを意識しています。臨床ではうまくいかないことのほうが多いですが,文献などの根拠を提示して,「なぜ変化が出ないのか」「どう推移していくのか」を行き来しながら指導しています。ただ,指導の中で悩ましいのは,安心感を与えすぎてしまうと若手が満足して思考停止してしまう点です。ある程度方向性を示して安心感を与えつつも,安住させずに探究心を持たせるためのバランスに難しさを感じています。

森岡 それは極めて重要なトレードオフです。哲学者キルケゴールが不安を「自由のめまい」と表現したように,あらゆる可能性に開かれていることそのものが不安を生みます。一方で,その不安があるからこそ人は未知のものに向き合い探索することもできるのだと思います。安心して挑戦できる環境は必要ですが,そこにとどまらせないためには,指導者自身が完璧を演じず未完であるという姿勢を見せることが大切です。指導者もうまくいかないことがあると知るからこそ,若手も恐れずに挑戦できる。神経理学療法にはなお多くの未解明な点が残されています。だからこそ,患者がなぜ変化したかを皆で問い続ける姿勢が必要だと思います。

*

藤野 『神経理学療法学講義――脳卒中編』は運動障害や高次脳機能障害といった臨床症状(縦軸)と,神経メカニズムやエビデンスなどの学習内容(横軸)を行き来しながら,多角的に病態をとらえられる構成になっています。自身の成長とともに見え方が確実に変わってくるはずですので,ぜひ日常臨床の中で活用していただきたいです。

深田 臨床で迷った時に,まず立ち戻るべき共通の基盤として位置づけてほしいですね。より専門的な書籍や論文へとステップアップしていくための最初の一冊として活用されることを願っています。

森岡 本書は神経理学療法の標準とは何かを広く共有するためにまとめた一冊です。これをもとに,患者一人ひとりに個別化された豊かな臨床判断へと発展させていってほしいと思います。本日はありがとうございました。

(了)


3590_0102.jpg

畿央大学健康科学部理学療法学科 教授 / ニューロリハビリテーション研究センター長

1992年高知医療学院理学療法学科卒。近森リハビリテーション病院での勤務を経て,97年に仏Centre Hospitalier Sainte-Anneなど欧州で臨床研修を行う。修士(教育学)。博士(医学)。2007年より畿央大大学院健康科学研究科教授。2013年同ニューロリハビリテーション研究センターを開設しセンター長を務める。26年より仏Centre de Recherche en Neurosciences de Lyon客員教授。神経科学を基盤に,身体・自己・ナラティブの視点から,人の回復と理学療法の在り方を問い直す研究・教育・執筆活動を展開している。『神経理学療法学 第3版』(医学書院)など編著多数。

X:@ShuMorioka

3590_0103.jpg

順天堂大学保健医療学部理学療法学科 准教授

2004年埼玉医大短大理学療法学科卒業。同年4月に埼玉医大病院に入職し,埼玉医大国際医療センターを経て,19年4月より順大学保健医療学部理学療法学科助教,25年より現職。博士(理学療法学)。専門理学療法士(神経),心臓リハビリテーション指導士。『PT臨床評価ガイド』,『回復期リハビリテーションで「困った!」ときの臨床ノート』(いずれも医学書院)など編著多数。

3590_0104.jpg

武蔵台病院リハビリテーション課

2009年帝京平成大健康メディカル学部理学療法学科卒。同年4月より埼玉医大国際医療センターリハビリテーションセンターに勤務。博士(理学療法学)。東京都立大人間健康科学研究科特任助教,慶大医学部リハビリテーション医学教室研究員などを経て現職。現在は回復期から生活期における脳卒中患者の臨床と研究に取り組む。編書に『高次脳機能障害を読み解く』(医学書院)。

X:@Fukata_Kazuhiro

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook