医学界新聞

がん患者のせん妄を看護する エビデンスと臨床の間で

連載 岸 泰宏

2025.11.11 医学界新聞:第3579号より

 せん妄は,急性に発症する注意障害および意識の変容を主徴とする精神と行動の障害であり,高齢者や入院患者,特に終末期のがん患者において高頻度に認められます1, 2)。注意障害に加えて,睡眠―覚醒リズムの障害,幻覚,易刺激性,焦燥,不穏,あるいは無動状態など,多彩な臨床症状を呈します。

 これまでに提唱されてきた病態機序としては,神経伝達物質の不均衡,神経炎症,酸化ストレス,代謝・内分泌異常,薬物性中毒,中枢神経系(CNS)への直接的障害,さらに血液脳関門(BBB)機能の破綻などが挙げられ,これらが相互に影響し合いながら発症に至ると考えられています1~4)

 以下では,各病態機序についてエビデンスを挙げながら順に解説していきます。

 神経伝達物質仮説は,せん妄の発症機序として最も広く支持されている理論です。特に,アセチルコリンの枯渇およびドパミンの過剰が中心的な役割を果たすとされています1~3)。アセチルコリンは注意力,意識の維持,短期記憶に深く関与しており,加齢,アルツハイマー病の併存,抗コリン薬の投与によりその機能が低下します。これは,スコポラミンなどの抗コリン薬によりせん妄様症状が誘発されることからも裏付けられます。また,後述する神経炎症とも密接に関連しています。一方,ドパミンの過剰は,精神運動興奮,幻覚,妄想の出現に寄与し,これはドパミン遮断薬(ハロペリドール,リスペリドン等)の治療効果と一致します3)。さらに,ノルアドレナリンの過剰放出もせん妄の誘因となり,アルコールやベンゾジアゼピンの離脱,外科的侵襲,疼痛ストレスなどにより交感神経系が亢進し,神経過敏性が増強されます2, 5)

 また,興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸の過剰放出は,NMDA受容体を介した神経毒性を引き起こし,神経細胞死や意識障害をもたらします6, 7)。抑制性神経伝達物質であるGABA(γ-アミノ酪酸)は,肝性脳症などに関連するせん妄の背景として重要です。GABA作動薬の代表であるベンゾジアゼピン系薬剤は,せん妄を誘発し得る代表的な因子であり,その作用機序には複数の仮説が存在します。ベンゾジアゼピン系薬剤による生理的な睡眠パターンの障害や8),メラトニン分泌の抑制に伴う概日リズム(サーカディアンリズム)の乱れは9),せん妄の中心症状である睡眠・覚醒リズムに悪影響を及ぼします。さらに,他の神経伝達物質にも影響を与え,特にアセチルコリン系に抑制的に作用します。また,ベンゾジアゼピン系薬剤は,基底前脳および海馬における中枢性コリン作動性神経伝達を阻害することが示されています10, 11)

 セロトニンの枯渇は低活動型のせん妄,過剰状態ではセロトニン症候群を介した過活動型せん妄を引き起こすとされ,抗うつ薬やオピオイド鎮痛薬使用時には注意が必要です2)

 松果体から分泌されるメラトニンは,サーカディアンリズムの調整に深く関与しています。特に高齢者やICU環境など,光刺激に乏しい状況下ではその分泌が低下し,せん妄のリスクが上昇することが知られています12, 13)

 感染,外傷,悪性腫瘍,外科的侵襲といった全身性ストレスは,末梢における炎症性サイトカイン(IL-1β,IL-6,TNF-αなど)の放出を促進します。これらのサイトカインは,血液脳関門を通過,あるいは脳室周囲器官や迷走神経を介して中枢へ伝達され,ミクログリアの活性化を介して神経炎症を引き起こします2, 14, 15)。炎症環境下では,アセチルコリン作動性ニューロンがとりわけ障害されやすく,その結果として神経伝達物質のアンバランスが助長されます。また,アセチルコリンにはミクログリア活性を抑制する作用もあることから,その欠乏は神経炎症をさらに促進する要因となります。

 がん患者では,腫瘍随伴炎症,感染症,化学療法・放射線療法による免疫活性化が重層的に生じており,慢性炎症状態に曝されています。そのため,わずかな全身状態の変化でもせん妄を発症しやすく,中枢神経障害の閾値が低下します16)

 血液脳関門は,中枢神経系の恒常性を維持する上で不可欠な構造です。しかし,炎症,加齢,酸化ストレス,さらには抗がん薬やステロイドなどの薬剤によって,その機能は容易に破綻します2, 14, 15)。血液脳関門の障害により,通常は中枢に到達しない薬物や炎症性メディエーターが神経系に侵入し,神経炎症を一層促進するのです。

 がん治療では,特にメトトレキサートやシスプラチンなどの神経毒性を有する薬剤が血液脳関門を通過しやすくなり,中枢毒性を増強することが報告されています17, 18)。このような中枢神経系の脆弱性の増大は,せん妄発症の閾値を著しく低下させる可能性があります。

 がんの進行に伴い,肝機能障害,腎不全,高カルシウム血症,脱水,低酸素など,さまざまな代謝異常が出現します。これらは神経細胞のイオンバランスやATP産生を障害し,脳の代謝環境を悪化させます18)。特に脱水や電解質異常は,急性の意識変容を引き起こす誘因として,臨床現場で頻繁に遭遇します。

 また,がん性疼痛の管理に用いられるオピオイドは,ドパミンおよびグルタミン酸の活性を増強し,アセチルコリンを抑制することにより,せん妄の発症に寄与するとされています2, 3)。モルヒネやヒドロモルフォンの代謝産物は中枢毒性を有し,特に腎機能障害がある場合には,その蓄積による影響に注意が必要です。

広告

 脳転移や髄膜癌腫症などによる中枢神経系への直接的な浸潤は,せん妄の器質的基盤となり得ます。前頭葉,視床,脳幹といった意識調整系の損傷は,注意障害や昏迷を直接的に引き起こす要因となります19)。さらに,脳浮腫,脳圧亢進,脳出血などの急性病態が関与している可能性も否定できず,画像診断を含めた器質的スクリーニングが重要です。

 活性酸素種(ROS)の産生増加および抗酸化機構の破綻によって生じる酸化ストレスは,ミクログリアの活性化や炎症性サイトカインの放出を通じて,神経炎症をさらに増強します2, 5)。特に脳は脂質に富み,酸素消費量も多いため,酸化的損傷に対して非常に脆弱です。

 また,視床下部―下垂体―副腎(HPA)軸の過活動は,慢性的なストレスや重症疾患においてしばしば認められます。過剰なコルチゾールの分泌は,海馬および前頭葉の萎縮と関連し,認知機能障害を介してせん妄の一因となり得ます20, 21)

 がん患者は,身体的な脆弱性に加えて,精神的ストレス,死への不安,疼痛,孤独感といった心理社会的因子を抱えやすいです。これらは神経生理学的要因と相まって,せん妄の発症をさらに助長します。

 せん妄は単なる精神・行動の障害ではなく,全身状態の急激な変化を反映する重要な臨床サインです。その発症は,入院期間の延長,治療の中断,転倒,死亡率の上昇を招き,尊厳ある終末期ケアの妨げにもなり得ます。

 したがって,せん妄の病態的意義を正しく理解し,予防および早期介入に努めることが,がん診療における質の高いケアの提供に直結します。

・せん妄の病態機序には神経伝達物質の不均衡,神経炎症,酸化ストレス,代謝・内分泌異常,薬物性中毒,中枢神経系への直接的障害,血液脳関門機能の破綻などが挙げられ,これらが相互に影響し合いながら発症に至ると考えられている。

・せん妄の病態的意義を正しく理解し,予防・早期介入に努めることが,質の高いケアの提供に直結する。


1)Nat Rev Neurol.2009[PMID:19347026]
2)Int J Geriatr Psychiatry.2018[PMID:29278283]
3)Psychosomatics.1994[PMID:7916159]
4)Am J Geriatr Psychiatry.1998[PMID:9469212]
5)大山覚照,他.酸化ストレスとせん妄.総病精医.2023;35:7-14.
6)Trends Neurosci.1988[PMID:2469166]
7)Ann N Y Acad Sci.1989[PMID:2576505]
8)Can J Anaesth.2011[PMID:21170622]
9)Acta Anaesthesiol Scand.2004[PMID:15196098]
10)Eur J Pharmacol.1998[PMID:9832381]
11)Br J Anaesth.2000[PMID:11732522]
12)Med Hypotheses.1999[PMID:10532699]
13)Med Hypotheses.2004[PMID:15288356]
14)Lancet.2010[PMID:20189029]
15)JAMA.2012[PMID:22669559]
16)Oncologist.2009[PMID:19808772]
17)Geroscience.2025[PMID:39982666]
18)Geroscience.2025[PMID:39976845]
19)J Pain Symptom Manage.2001[PMID:11738162]
20)Dement Geriatr Cogn Disord.1999[PMID:10473937]
21)Stroke.1994[PMID:8202965]

医療法人岸会岸病院 理事長 / 日本医科大学武蔵小杉病院 非常勤講師