医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部俊子

2024.09.10 医学界新聞(通常号):第3565号より

 2024年7月,新幹線で広島を訪れた。東京から広島へは飛行機で行くものと自分の中で決めていたので,地上からアプローチするのは初めての体験であった。

 広島も東京同様,うだるような暑さであった。オンラインではなく,コロナ禍前のように,全てのプログラムを対面で開催することにした「第25回日本赤十字看護学会学術集会」(会長=村田由香,於:日本赤十字広島看護大学)に参加した。

 本稿では,教育講演Ⅰ「教育は無限」について報告したい。副題には「教育をめぐる『力』の問題から看護を考える」とある。講師は,教育哲学・思想史を専門とされる山名淳氏(東京大学大学院)であった。ドイツ留学の経験がある山名氏は,導入として絵本『もじゃもじゃペーター』の話をされた。自身の身なりを整えないため,もじゃもじゃ頭で,爪が伸びて指先に大きなはさみがついたような格好の男の子ペーター。不品行とその結果による悲劇の顛末が描かれた絵本で,1844年にドイツ・フランクフルトの精神科医ホフマンが書き綴ったのだという。

 印象に残った講演内容を,講演集の記述を参照しつつ以下にまとめる。

 第一に,「人間はトリビアルマシンではない」ということである。トリビアルマシンとは,「こうすればそうなる」という見通しの立ちやすい手順によって一定の成果が得られる単純な仕組みのことを言う。しかし教育の対象である子どもは多様で,同じ手順を踏んだとしても一律に同じ成果を達成するわけではない。

 教師を含む先行世代は,何とかして後続世代の「成長」を促そうと働きかけをしてきた。この働きかけの「力」は,一般に教育と呼ばれている。この力は非常にデリケートであり,望ましい結果を引き起こす力(power)と,何かを傷めてしまう力(violence)の間に大きなグレーゾーンがあり,両者は明確に区別され得ないとも言う。「あなたのためよ」が暴力的となる時がある。近年,社会全般において,経験や知識・技能の優越性を前提として,それらを持たない人々に行使される「力」が妥当なものであるかということに対する感度が高まっている。

 「力」のいくらかは個人を超...

この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook