医学界新聞

連載

2018.07.23



行動経済学×医療

なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?
患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。

[第12回](最終回) 問題解決療法 アドバンス・ケア・プランニングの支援は「問題解決」支援

平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)


前回よりつづく

価値の基準が違うと,計画の話し合い方も異なる

医療者 今から抗がん薬治療を行いますが,治療の継続が困難になったときのことについて,あらかじめ相談しておきたいですか?
患者A 仕事や家族の今後のことはできるだけ考えておいたほうがいいと思うので,ぜひ相談させてください。
患者B いえ。今は治療のことだけを考えたいので,その先のことは考えられません。
患者C(高齢) もう年齢も年齢だし,副作用などしんどいことはできるだけ避けたいので,正直あまり治療を受けたくありません。

 本連載では,患者と医療者のコミュニケーションで生じるさまざまなバイアスを行動経済学の観点から紹介してきました。その中でも,第3回(第3245号)で扱ったように,それぞれの患者が持つ価値の基準である参照点の違いにより,同じ状況でも,患者の反応や医療者とのコミュニケーションが大きく異なることを見てきました。

 この場面での患者Aは,「がんにより死ぬかもしれない」という自らにとって最悪の状況を想定した参照点を持ち,今後について考えようとしています。恐らくほとんどの医療者が患者に期待する反応です。この会話の後,療養場所の選択や「終活」と呼ばれる自身の最期に向けたさまざまな準備を含めた,アドバンス・ケア・プランニング(ACP)がなされるでしょう。

 一方で,患者Bは「治療をしてがんを治す」,すなわち「治るための治療をしている現状を維持したい」という参照点から医療者の説明を受け取り,反応しています。つらい現実(損失)に直面することへの回避ととらえられるかもしれません。参照点が変わらないままだとギャンブルとなるような治療を選択したり,将来の変化に備えた具体的な準備につながるコミュニケーションができないまま終末期を迎えたりしてしまうかもしれません。

 最後の患者Cは,「治らなくてもいいから副作用のない現状を維持したい」という参照点です。高齢なこともあり,これまでにいろいろな病気の治療経験があったり,家族や友人のつらい闘病の様子を身近で見聞きしたりしてきたためと考えられます。もしかすると,「がん放置理論」を聞いていることなども影響しているかもしれません。この場合,抗がん薬治療が必要な場合でも,治療を拒否する可能性があります。

ACPの行動経済学的難しさ

 ACPは人生の最終段階の医療・ケアについて,本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセスです1)。通常のケアに加えてACPを促す介入を行った無作為化比較試験では,患者の希望するケアが行われることで終末期医療の質が改善され,患者と家族の満足度が向上したと報告されています2)。この研究では,ACPにおいて看護師などの訓練されたファシリテーターの存在,家族も含めた患者中心のディスカッション,医師に対する体系的教育などが重要でした。それらによって患者の意思決定をサポートし,必要な医療行為などの情報を提供することができたと考えられます。

 しかしながら,ACPを全ての患者に適用するのは難しく,英国でも半数程度の実施率であったとの報告もあります3)。この理由は,行動経済学的に説明できます4)

 健康なときには,...

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