医学界新聞

連載

2012.02.13

在宅医療モノ語り

第23話
語り手:聴くも聴かぬもあなた次第 聴診器さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「聴診器」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


医療人へのスイッチ
在宅医療では白衣着用率は低く,聴診器を出した瞬間に医療人モードに切り替えるという人もいます。最近の聴診器は性能,重量,価格,色の選択肢が豊富。今月はDr.コトーモデルの出番が多く,私は中央で小さくなっています。私はダイアフラムだけ新調してもらいました。

 江口洋介モデルとか松嶋菜々子モデルって一体何の話かと思えば,私と同業者でしたよ。『救命病棟24時』っていう,ひと昔前のテレビドラマで使われたタレント聴診器さんのことです。リットマン社の「カーディオロジー」のシリーズで,どちらかといえば高級品。どうせ松嶋菜々子モデルなら,昨年高視聴率をマークした『家政婦のミタ』さんの鞄から聴診器が出てきたらドラマ的にはおもしろかったかもしれませんが,聴診器のある家庭なんて一般的には存在しません。

 在宅医療業界で一番使われている聴診器は何か? 聴診器は往診鞄の中に必ず入っている道具ですが,私はこれに関する資料を持ち合わせておりません。高級品から普及品,よくある量産タイプからあまり見かけない日本製ステレオタイプまで,機種はバラエティーに富んでいます。私ですか? 特に芸名はついていません。正直言って地味で自己主張はしないほうです。値段もさほど高くなく,重量も控えめで,数は量産されています。「クラシックIISE」っていうんです。聞いたことありますか? そうですか,恐れ入ります。

 私の使い方については省略しますね。『週刊医学界新聞』読者の皆さんのほうがお詳しいと思います。ええ,心臓の音,肺の音,お腹の音,血管の音,その辺はうちの主人も聴いているようです。もちろん血圧を測るのにも使いますね。いつもは聴こえない肺雑音が聴こえて肺炎を疑う,昨日まで聴こえていた心音が聴こえず死亡診断に至る,在宅ではこんな調子です。今みたいな寒い季節だと重ね着した下着を分け入って,やっと胸やお腹までたどりつくというのも珍しくありません。病気や衰弱が進み,痩せて肋骨が浮き彫りになっている方もいらっしゃいます。厚みがたっぷりでダイアフラムが立派な高級聴診器より,私のような“お手軽薄型”が結構よかったりするのです。

 現在私は現役を引退しましたので,いつもは往診鞄の底で静かに眠っています。毎日活躍中の現役聴診器さんが急に体を壊されたとか,患者さんのお宅や車の助手席に置き去りにされたなど,何か事件が起こったときだけ現場に出ていくのです。聴診器のない医師の訪問は,クリープのないコーヒー以下です。体温計なら患者さんのお宅で借りることができますが,聴診器は普通借りられません。

 私と主人は医学部の学生のころからの付き合いで,今でも私には主人の旧姓が刻印されています。確か診断学の実習だったと思います。「聴診器はぶらぶら持ち歩かない,ちゃんと白衣のポケットにしまうこと」。続けて担当教員が言われた言葉が印象的でした。「若い医者はすぐに高級な聴診器を欲しがる。でも,問題なのは聴診器じゃない。イヤーピースの間に挟まれる,キミらの頭だ。諸君,いい医者になりたければ勉強しなさい。勉強が足りなければ,聴こえる音も聴こえてこない」。そんな話だったと思います。ウチの主人はこの言葉を覚えているでしょうか? 20年たっても精進が足りなさそうで,ちょっと心配しています。ザイタクは雑音にあふれています。テレビの音を小さくしてもらって,患者さんにもご家族にもおしゃべりのストップをお願いします。聴診器を使う医師にも,耳と脳と心を澄まして聴いてもらいたいものです。

つづく


鶴岡優子氏
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。