医学界新聞

原典資料から歴史のストーリーを編む

対談・座談会 坂井 建雄,柳川 錬平

2020.02.17



【対談】

原典資料から歴史のストーリーを編む
医史学研究の魅力に迫る

坂井 建雄氏(順天堂大学保健医療学部理学療法学科 特任教授)
柳川 錬平氏(防衛医科大学校病院 総合臨床部)
坂井氏の自宅にある書庫にて撮影。図書館や研究室で見慣れた手動の移動棚が6本設置されている。蔵書の中で最も古い『医学典範』1544年版をはじめ,坂井氏が収集した古今東西の書物を所蔵している。


 原典資料から医学の進歩を読み解かなければ,真の医学の歴史は描けない。日進月歩と言われる医学の発展の陰には古代以来,病を癒やしたいと願う先人たちの飽くなき探究心と研究の蓄積があった。それらの原典資料から,どのように歴史のストーリーを描くのか。

 解剖学の研究・教育の傍ら解剖学の歴史を中心に医史学研究を深める坂井建雄氏が,膨大な原典資料の解読から『図説 医学の歴史』(医学書院)をまとめ上げた。その坂井氏と,「病院船史」の研究を進める臨床医の柳川錬平氏の2人が,原典資料の探究から事実を明らかにする医史学研究の醍醐味を語り合った。医史学研究から医学の歴史を解き明かす魅力,そして歴史に学ぶ意義とは。


柳川 約20年ぶりの母校で臨床の傍ら医学教育に携わるようになり,まず驚いたのは,学生の学ぶ知識量が爆発的に増え,歴史や哲学などの教養部分が圧縮されていることです。

坂井 おっしゃる通り,学ぶべき臨床の知識は飛躍的に増えています。サイエンスの進歩によって信頼の厚い医療が築かれた一方,患者さんに対してクリアカットに説明し切れない事象はいまだたくさんあるのも事実です。教養はその解明の助けにもなる,重要な要素と言えます。

柳川 学ぶ量が膨大になるにつれ,教養を学ぶ機会の獲得は自己の責任に委ねられ,将来ブレークスルーをもたらすための種をまく時期も短くなっている印象を持ちます。卒後20年を経て初めて医史学研究に取り組んだ私は,医師がものの見方を鍛える上で,歴史に学ぶ大切さを感じました。

原典資料を読み解かなければ,真の医学の歴史は描けない

柳川 初めに,解剖学をご専門とする坂井先生がなぜ,医学の歴史を探究するようになったかお聞かせください。

坂井 解剖学は歴史的背景を伴う学問であり,解剖学の研究を始めた当初から両者のなじみの良さに関心を持っていました。

柳川 特にどのような点ですか?

坂井 人体を見る解剖学はその形態の意味を考える上で,機能の側面から細かく分析するだけでなく,他の動物種や時間・空間を超えて比較する視点も織り交ぜて検討する学問であることです。歴史上の解剖学書を古代から現代までひもときながら比較していくと,解剖学書が編まれた時代の技術的・社会的な状況も浮かび上がってきます。そこに研究の面白さがあります。

柳川 まさに歴史探究と通じる点です。解剖学の歴史に関心を持った最初のきっかけは何ですか。

坂井 16世紀の医師ヴェサリウス(1514~64年)によって編まれた解剖学書『ファブリカ』や,1628年に血液循環論を発表した医師ハーヴィー(1578~1657年)について調べたことです。米国の医史学研究者のオマリー(1907~70年)が1963年に書いたヴェサリウスの伝記を読み,綿密に調査された史実から「医史学研究はこんなにも奥が深いのか」と感動したものです。原典をつぶさに当たって調べ上げたオマリーの手法に目を見開かされました。

柳川 歴史研究で重視される,一次資料の重要性に気付かれたわけですね。

坂井 ええ。実際に私も,ラテン語で書かれた『ファブリカ』の原典の一部を翻訳しながら読み進めました。すると,解剖学書の目次立てには著者が人体をどう把握しているかのコンセプトが凝縮されていることに,はたと気が付いたのです。さらに調べていくと『ファブリカ』よりも古い,現存する最古の解剖学書が古代ローマの医師ガレノス(129~216年)によって2世紀に書かれていたことが明らかになりました。

柳川 それは読まずにいられません。内容はいかがでしたか。

坂井 実に面白い。2世紀に行われた解剖の様子が,医師の息遣いとともに伝わってくるような記述でした。本書を実際に読んでわかったのは,ガレノスは自ら解剖した所見を正確かつ精緻に述べていて,16世紀のヴェサリウスの解剖学は99%以上がガレノスの解剖学を踏襲していたことです。

柳川 坂井先生が原典に当られたことで初めて発見できた事実ですね。

坂井 これには本当に驚きました。なぜならヴェサリウスは,古代解剖学の権威であるガレノスを否定し,新しい科学的な知見で解剖学を創り上げたヒーローのように,どの医学史の書物でも評価されていたからです。しかし実際は,ガレノスが築いた解剖学を土台に,ヴェサリウスが少し付け加えたにすぎなかった。それからです。「原典から医学の進歩を読み解かなければ,真の医学の歴史は描けない」との思いを強くしました。

写真 ①『ガレノス全集』(ラテン語訳,1625年版,坂井氏蔵)。坂井氏は本書から原典の重要性を実感した。②ヴェサリウス『ファブリカ』(1543年,同)の扉絵には人体解剖をするヴェサリウスと見学をする観客が描かれている。③,④はアルビヌス『人体骨格筋肉図』1747年,同)から。(クリックで拡大)

資料に根気強く当たれば,意外な発見に次々と出会える

坂井 臨床医である柳川先生が歴史研究に関心を持ったきっかけは何ですか?

柳川 やはり,原典資料を手にした感動からです。私は2011年の東日本大震災直後,防衛医大の防衛医学講座に急きょ転勤を命ぜられ,当時はまだ思い入れもなかった軍事医学史の講義を担当することになりました。予備知識もなかったので,手当たり次第に軍医の事績などを集め始めました。折しも,震災の直後で病院船の役割について論議が再燃する中,政府がまとめた報告書で触れられた病院船史にいくつか誤謬を見つけたことから,この分野に先行研究がないことを認識しました。関係資料を求め各地の図書館や資料館を訪ね歩く中,現物は国内に「ない」とされた原典資料の存在をつかんだのです。

 それが,第一次世界大戦中に運用された病院船「八幡丸」に関する記述を含む唯一の公刊戦史である『大正三,四年戦役海軍衛生史』です。米国議会図書館に収蔵されていた資料の複製が,平成初期に日本に里帰りしていたことを突き止め,複製を手に入れることができたのです。その後,坂井先生にご指導を賜り,足掛け4年で論文にまとめることができました1)

坂井 第一次世界大戦で日本海軍が運用した唯一の病院船の歴史について,その空白を埋める貴重な発見でした。原典資料と二次資料の区別を的確に判断し研究を進めた点に感心しています。

柳川 学問的に考察するに当たり,日本海軍が第一次世界大戦の前後で運用した病院船に関する一次資料と二次資料を縦軸,地方新聞など当時の刊行物から得た時代背景を横軸に置き,資料の妥当性を吟味しながら探究しました。それによって八幡丸の歴史的位置付けを見いだすことができました。一つ一つの資料に根気強く当たると,それまでの説と違う点や意外な発見が次々とあるもので,原典に戻り検証する大切さを実感しました。それに,即時的に記録された資料からは病院船で働いた軍医や衛生兵の働きぶりが伝わってくるんですね。石炭を燃料に船を動かしていた時代ですから,船内の手術室にも漂ってきていたであろう焦げ臭い香りまでも立ち昇ってくるような気がして。医史学研究の奥深さと楽しさにすっかり魅せられ今に至ります。

物語を描く際に問われる価値観

柳川 坂井先生は『図説 医学の歴史』の中で,「医史学」の言葉を用いています。当初,医学史と医療史を合わせて「医史学」と単純な図式を考えていましたが,今では両者に根本的な違いがあると認識して使い分けています。

坂井 最後に「史」のつく「医学史」は物語としての歴史記述のニュアンスがあり,一方「学」がつく「医史学」は学問的な意味合いが強くなると考えています。「医学」と訳されたmedicineの語は,医学,医療,医薬の3つの意味があり,より広がりのある概念です。そのため,History of medicineには医学と医療の両方を合わせた歴史という意味合いがあります。「医学史」ならサイエンスとしての医学の歴史,「医療史」なら実践としての医療の歴史になる。「医史学」の言葉は両方を含む「医」の歴史という意味で用いています。

柳川 学問として歴史を描く際,原典資料に当たる他にどのような心掛けをなさっていますか。

坂井 歴史にゆかりのある地を実際に訪ねることです。言葉で言い表せないその土地の雰囲気を感じることで,描き上げるストーリーの座標軸も定まっていくからです。やはり,何の価値観も介在しない,全く純粋な歴史の描き方というのはあり得ないですし,原典を単に集めて並べただけで描き上げられるものでもありません。

柳川 歴史研究の世界に足を踏み入れたことで私は,歴史のストーリーを描き出すには書き手の価値観や,それまでの人生で積み上げてきた教養が問われると実感しました。

坂井 たとえ同じ対象を見ても,作り上げるストーリーは人によって異なるでしょう。現在私たちが置かれている時代背景を踏まえ,いかに他者が納得できる美しいストーリーを紡ぎ出せるか。そこが,歴史研究に欠かせない視点であり,描く醍醐味でもあります。

18世紀以前の科学的探究が,近代医学発展の基礎に

柳川 坂井先生のご研究から,近年大きく書き換えられた歴史のストーリーにはどのようなものがありますか。

坂井 近代医学発展の背景が,18世紀以前と19世紀以降の医学の構造の違いにあったことです。病理解剖学や実験的な生理学など西洋近代医学の発達に起因することが,この30年の間にわかってきました。それまでも,小川鼎三先生の『医学の歴史』(1964年)や川喜田愛郎先生の『近代医学の史的基盤』(1977年)など医学史の名著があり,よく学んだものです。しかし,内容にどことなく古さも感じていました。その理由は,18世紀までの医学しかまともに描かれていなかったためです。

柳川 基礎医学は,臨床医学と区別される形で19世紀以降に成立したそうですね。

坂井 ええ。基礎医学のルーツを18世紀以前に求めようとした人もいます。しかしそれは,今ある基礎医学が18世紀以前から既にあったという誤った思い込みによるものです。西洋医学の水準は,古代のヒポクラテスやガレノスの頃から18世紀までほとんど変わらずに踏襲され,19世紀に入ってから大きく変容します。18世紀以前の医学の内容がどのようなもので,それが19世紀以後の近代医学にどう変わったのか,これまでの医学史の研究書や著作では一切言及されてこなかった。そこで,18世紀から19世紀の医学史の空白を埋めるべく,私は18世紀以前の医学書の原典をつぶさに当たりました。すると,18世紀以前の医学は現代と全く違う構造を持っていたことが見えてきたのです。

柳川 18世紀以前の医学とは,どのような姿だったのでしょうか。

坂井 18世紀以前の西洋伝統医学は,①医学理論,②医学実地,③解剖学/外科学,④植物学/薬剤学の4つの教科で教えられていました。さらに4教科の内容を吟味すると,性格の異なる3つの要素が見いだせます。それが,①経験的医療,②推論的考察,③科学的探究です。経験的医療はともかく役立ちますが,推論的考察は古代ガレノスの体液理論のように科学的根拠が不確かな,空理空論の側面がありました。

 その一方で,事実を知りたいという知的好奇心から行われる科学的探究の要素が当時からあった点は見逃せません。なぜその病があったかを懸命に考える知的な営みとして,18世紀以前の科学的探究は近代医学の発展に大きな意義があったからです。

柳川 18世紀以前の西洋伝統医学は一概に低水準とは言えず,当時の科学的探究が近代医学発展の土台になったわけですね。

坂井 その通りです。進歩を続ける原動力はなんといっても,解剖学の伝統に基づく科学的な探究です。19世紀に入ると病理解剖や実験的な生理学,顕微鏡を使った組織学の発展によって科学的に探究する対象が飛躍的に増え,現在の基礎医学を形作りました。探究の営みを連綿と続けた結果,真理を探究する力をも養ってきたわけです。古代以来,長い歴史のある解剖学には,現代を生きる私たちの心に訴える魅力が詰まっています。

「現象の観察」に基づく「合理的な想像」を大切にしたい

柳川 膨大な量の資料から一つずつストーリーを束ね,大きな歴史の流れを見いだしてこられた坂井先生が,長い時間軸で歴史を検討する中で大切になさっていることは何ですか。

坂井 想像でよいのでストーリーを思い描くことです。想像を出発点に仮説を立て,検証を深めて真実を導き出していく。もちろん道半ばでついえた構想もあります。でも,日頃から想像力を働かせて考えなければ前に進めません。

柳川 自然科学と同じ手順で歴史研究に臨まれているわけですね。医史学研究の研鑽によって身につく資質は,日常診療でも有用だと実感しています。歴史を描く経験から,ものの見方が鍛えられ,各出来事に存在する周辺事情や前史への感受性が鋭敏になったと感じます。医師の仕事の多くがAIに置き換えられかねない危惧がある今,ガイドラインや診断基準を遵守するばかりでなく,典型的とされる病像から逸脱する現象にも目を配り,より合理的なストーリーを想像して患者さんに向き合うことを,声が届く範囲の医学生や若手医官に勧めています。

坂井 「病気を診ずして病人を診よ」。

柳川 はい。問診の要諦は,発症前にさかのぼって患者さんのヒストリーを読み解くことかと。

坂井 歴史を調べることと相通じるものがありますね。広い教養と視野を土台に相手に向き合う点も共通します。

柳川 診察室や医学書を離れた医史学研究の世界で史実の因果を追い掛け,大小のブレークスルーに到達した先人の歩みを疑似体験することは,患者さんの苦悩に思いをめぐらせる素養の,格好のトレーニングになりそうです。

坂井 現象を観察するという臨床医学に通底する部分は,18世紀以前の経験的医療から連綿と残り続けています。それ抜きに患者さんを治すことはできないことを,先人たちが教えてくれている。そして,今ある医学の知見が10年,20年先も同じであるはずがないこともです。現代医学の発展にばかり目を奪われていると,患者さんに向き合い観察する基本が置き去りになってしまうでしょう。現代医学を見つめ直す上でも歴史に学ぶ意義があると再確認しました。

蔵書に見入る坂井氏(右)と柳川氏

(了)

参考文献
1)柳川錬平.日独戦役における海軍病院船「八幡丸」の医療活動.日医史誌.2017;63(4):407-26.


やながわ・れんぺい氏
1990年防衛医大卒。海上自衛隊医官(2等海佐)。外科を基盤に全国各地の自衛隊病院・衛生隊・艦隊司令部等で総合診療に従事。いくつかの国際医療活動,災害医療活動を経て,2019年より現職。この間,海上自衛隊や米国海軍の水上艦艇に通算5年間乗り組み,5大陸18か国に上陸。14年より順大大学院医学研究科社会人大学院生となり,その後も協力研究員として坂井建雄氏に師事。第一次世界大戦中の海軍病院船「八幡丸」を手始めに,病院船史の研究分野を開拓中。

さかい・たつお氏
1978年東大医学部卒。86年同大医学部助教授,90年順大教授(解剖学・生体構造科学)を経て,2019年より現職。専門は解剖学,医史学。日本医史学会理事長を務める。09年『人体観の歴史』(岩波書店)で日本医史学会矢数医史学賞受賞。『からだの自然誌』(東京大学出版会),『日本医学教育史』(編著,東北大学出版会),『医学教育の歴史』(編著,法政大学出版局),『標準解剖学』,『プロメテウス解剖学アトラス』(監訳),『図説 医学の歴史』(いずれも医学書院)など多数の著書がある。

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