医学界新聞

連載

2011.01.10

連載
臨床医学航海術

第60回

言語について(3)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。


 前回は,言語学者のフェルディナン・ド・ソシュール,ノーム・チョムスキーらが築いてきた言語学の発展の歴史を述べた。今回は,その言語学の理論に照らし合わせて,医学の在り方について考えてみたい。

医学について

 医学は人間の傷病について研究する学問である。したがって,各種傷病についての疫学・病態生理・症候・検査所見・診断基準・鑑別診断・治療・予後などの知識を集積する必要がある。このような知識は臓器別などに分類・整理すれば医学体系として百科事典的・博物学的知識となる。したがって,医学は傷病の最先端の百科事典的・博物学的知識を,常により広くより深くそしてより正確に集積しなければならないのである。

 しかし,医学はこのような単なる百科事典的博物学にとどまっていてはならないはずである。なぜならば,このような知識は傷病ごとに記述された知識であり,診断が付いている患者には適応できるが,診断がついていない患者にはほとんど役に立たないからである。

 それでは,医学知識を診断がついていない患者に適用しようとしたら一体どうしたらよいのであろうか? そのためには目の前の患者が抱えている傷病を診断し,適用すべき医学知識を決定することが必要である。したがって,より完全な医学体系を構築しようとするには,症候学・診断学の後に百科事典的博物学的疾患学を追加すればよいことになる。このようなコンセプトでできているのが『ハリソン内科学』などの現存の教科書である。

 このような考えは筆者の中に以前からあったものだが,これまで紹介したような言語学と医学の比較をしているうちに,あらためて感じるようになった。というのも,傷病の一つひとつを収集・記述することは言語学で一つひとつの言葉を収集・記述するのに似ているのである。言葉が無限にあり,かつ無限に増えるように,傷病も非常に多様である上に,現在もなお増え続けている。また,同一の傷病でも違った形で発症することもある。そのような一例一例の症例報告まで網羅しようと思うと,どんなに完全に傷病を記述しようと思っても絶対に不可能なことがわかる。すなわち,現在の医学の状況は,いわば傷病別の「縦割り」の研究だけでなく,それに先立つ症候学・診断学などの思考過程にかろうじて気付き始めた段階である。つまり,現在の「医学」の状況は「言語学」の発展過程で言うと,ちょうどソシュールの近代言語学にあたると考えられる。

「実学」としての「医学」

 しかし,「医学」も「言語学」が「チョムスキーの大転換」を遂げたようにさらに進化しなければならない。チョムスキー以前の言語学は,ちょうど子どもの昆虫採集のように各言語の珍しい言葉や表現などの収集と分類・整理に明け暮れて,言語学自体もほかの学問からは珍しい言葉や表現の知識というネタを提供する程度の学問にすぎないとして諸学問の中で低くみなされていた。しかし,それが「チョムスキーの大転換」によって,言語学は数学や物理学のように人類に貢献するより普遍的な「科学」となったのである。

 それならば,「医学」という学問はどうだろう? 学会に行くといまだに奇病の収集・分類・整理に明け暮れている医師が見受けられる。「ごくごくまれに見る一例」「通常とは異なって発症した一例」「ちょっと臨床経験を積めば誰もが知っているだろうが,たまたま発表者が知らなかったと思われるような一例」などなど,「貴重な一例」報告がお好きなようだ。筆者はここでもちろん貴重な症例の発表の重要性を完全に否定するつもりはない。医学の歴史を顧みれば,貴重な症例報告が医学を発展させた例がいくつもあることは明白である。筆者が強調したいのは,医学も言語学と同様に一つひとつの傷病の百科事典的博物学的記載だけにとどまらずに,その根底にある症候学・診断学の思考過程を解き明かさなければならないということである。

 研修医の中には傷病をすべて知っていなければ診療ができないと思い込んでいて,研修医になってもキリスト教の神父が『聖書』を抱くように国家試験参考書を手離さない者もいる。しかし,どんなに頑張っても傷病ごとの知識だけでは診断前の患者には対応できないし,あるいは,仮にハリソンを読破したとしてもすべての診断理論・傷病の知識および治療法を網羅的に頭に入れることなど所詮不可能である。

 それならば,一層のことたとえ診断前でも痛みや症状の現れ方そのものに応じて治療を行えるような方法を,より重点的に身につけたほうが効率的なはずである。このような「診療理論」を身につけさえすれば,仮にその傷病を知らなくてもどんな患者にも適切な治療が可能となるはずなのである。

 したがって,言語学でチョムスキー言語学が言葉の一つひとつを研究するのではなくその根底にある「生成変形文法理論」の構築をめざしたように,医学も傷病の一つひとつを研究するだけではなく,その根底にある「生成変形診療理論」のようなものの構築をめざすべきであると言える。そのような大転換すなわち脱皮を行うことによって,医学は単なる百科事典的博物学から国民のための真の「実践的な科学」すなわち「実学」となるはずである。

 こういう意味で『ハリソン内科学』は医学の発展の歴史が刻まれた教科書だと筆者は考えている。『ハリソン内科学』は第45回で書いたように,もともと"Principles of Internal Medicine"というタイトルであって,"Principles and Practice of Internal Medicine"ではない。

 つまり,発刊当初から,『ハリソン内科学』は病態生理を理解するための原理的な教科書として書かれたのであって,実際の臨床現場での実践的な教科書としての意図は少なかったと思われる。そして,『ハリソン内科学』の読破をめざして読み進める中で筆者は,改訂を重ねてきたハリソンの完成度に大いに感服する一方,実際の臨床現場で診療する際には,この教科書に加えて,「反ハリソン」ならぬ「脱ハリソン」とでも言うべき新たなアプローチ法に基づく教科書が必要であると感じた。

 その異なるアプローチ法による教科書とは,傷病の根底にある「診療理論」を記載した新しい「実学」としての医学の教科書である。そして,その教科書とは単なる「博物学」ではなく,症候学・診断学・検査学・治療学という「診療理論」を軸に傷病をあらためて分類・整理して医学体系を記載した教科書だと言えるだろう。

 その新しい「実学」としての医学の教科書の試みの一つが「問題解決型」の教科書であると筆者は考えている。

つづく

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