言語について(2)(田中和豊)
連載
2010.12.06
連載 臨床医学航海術 第59回 言語について(2) 田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長) |
(前回よりつづく)
臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。
本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。
今回も前回に続いて,人間としての基礎的技能の中の言語について考えてみたい。
「言語学」という学問がある。しかし,その道の専門家に言わせると,「言語学とは何か?」という問いに答えることは非常に難しいらしい。確かに「言語学」は「言語」に対する「学問」である。そう言ってしまえば簡単だが,どうやら「言語をどのようなものととらえ,どのように研究するのか?」という問題に答えることが非常に難しいようである。
もともと「言語学」は,文法学,文献学,そして,比較言語学という3つの研究分野をもって始まった。1つ目の文法学とは,個々の言語の法則,すなわち,文法を研究する学問である。2つ目の文献学とは,個々の言語の過去の言語形態を研究する学問であり,古語の研究ということになる。
そして3つ目,比較言語学とは類似する文法を持つ言語を研究することによって言語の発生・進化を研究する学問である。この比較言語学によると,ギリシャ語・ラテン語・ペルシャ語・ゲルマン語などの言語は,古代インドの言語であるサンスクリット語の発見によって,同一の祖先の言語(祖語)から発生・進化した語族(インド・ヨーロッパ語族)であると考えられている。発生・進化という言葉からわかる通り,この比較言語学は同時代のダーウィンの『進化論』から多大な影響を受けて発展した学問である。「言語学」の代表的分野というと,上述の3つの研究分野よりむしろ,言語の音声などを扱う「音韻論」というイメージを持っている人も多いと思う。ところが,「言語学」という「学問」は多くの人が抱くそのようなイメージはもちろん,先の3つの研究分野の範囲をも越えた広がりを持つまでに発展してきているようなのである。
ソシュール
上記の文法学・文献学そして比較言語学といういわば古典的言語学を改革して近代言語学を確立したのが,スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure ; 1857-1913)である。近代言語学であるソシュールの言語学は,それまでの言語学をコペルニクス的に転回したそうである。
それではソシュールは言語学を一体どう変えたのだろうか? 彼の言語学を要約すると,「共時言語学」と「差異の体系」の2つにまとめられるようだ。
まずソシュールは言語学を「通時言語学」と「共時言語学」に分類した。彼によると「通時言語学」とは,言語の歴史を研究して,なぜ現在のような言語になったのかを解明する言語学である。つまり,現代の日本語の言葉が,その言葉に相当する古典日本語からどのようにして成り立ってきたのかを研究するというのが「通時言語学」ということである。
一方,「共時言語学」とは研究対象の言語について,研究年代を固定し,その時代における言語のあり方を文法学,文献学,比較言語学などの諸言語学や当時の社会背景,人々の心理など多様な視点から考察するものを言うらしい。そして,通時言語学の視点からある言語の変化を考察するためには,共時言語学の視点に立ち,まず最初に過去から現代までの各時代において,その言語がどのような形態をとっていたかを解明する必要がある。このようなそれぞれの時代での「共時言語学」の研究を行うことによって初めて,現代の言葉との関連性を調べる「通時言語学」を適用できるということである。すなわち,ソシュールは「通時言語学」の前提が「共時言語学」であると主張した。そういう意味で,彼は従来の「通時言語学」ではなく「共時言語学」こそが言語学の真の目的であると言ったのである。
そしてソシュールのもう一つの功績は,言語を「差異の体系」と位置付けたことである。当時の言語学では,あらかじめ事物があって,言葉はそれに対してラベルのように貼り付けられるものと考えられていた(これを「言語名辞目録説」と言う)。しかし,ソシュールはある一定の物事や現象を言葉で表現するとき,そのバリエーションが言語によって異なることに注目した。例えば,日本語では「雨」については「五月雨(さみだれ)」「時雨(しぐれ)」「氷雨(ひさめ)」「狐の嫁入り(天気雨のこと)」などと複数の表現があるが,英語には総称して"rain"という単語しかない。このような事実からソシュールは,人間が違いを見いだした数だけ言葉ができる,言い換えると,物があるから言語ができるのではなく,逆に人間の思考によって言語ができると考えたのである。だから彼は,言語を,人間が物事のなかに差異を見いだし,それを表現するたびに発展していくものとしてとらえ,「差異の体系」と呼んだのである。そして,詳細は参考文献に譲るが,ソシュールは「言語」という「意味」を表す「記号」に対して,彼が言う範列関係と連辞関係を明らかにして,最終的に「言語」の「体系」と「構造」を研究するのが「言語学」の目的と考えたよう...
この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
医学界新聞プラス
[第2回]アセトアミノフェン経口製剤(カロナールⓇ)は 空腹時に服薬することが可能か?
『医薬品情報のひきだし』より連載 2022.08.05
-
医学界新聞プラス
[第1回]ビタミンB1は救急外来でいつ,誰に,どれだけ投与するのか?
『救急外来,ここだけの話』より連載 2021.06.25
-
医学界新聞プラス
[第3回]冠動脈造影でLADとLCX の区別がつきません……
『医学界新聞プラス 循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.05.10
-
適切な「行動指導」で意欲は後からついてくる
学生・新人世代との円滑なコミュニケーションに向けて対談・座談会 2025.08.12
最新の記事
-
適切な「行動指導」で意欲は後からついてくる
学生・新人世代との円滑なコミュニケーションに向けて対談・座談会 2025.08.12
-
対談・座談会 2025.08.12
-
対談・座談会 2025.08.12
-
発達障害の特性がある学生・新人をサポートし,共に働く教育づくり
川上 ちひろ氏に聞くインタビュー 2025.08.12
-
インタビュー 2025.08.12
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。