医学界新聞

連載

2014.05.26

看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第113回〉
ノートをとる

井部俊子
聖路加国際大学学長


前回よりつづく

 新入生を迎え,本学の図書館ではこじんまりとした展示会が開かれている。題して「大学の勉強ってどうやってやるの?展」である。続けて,「大学での勉強の仕方,つまりノートのとり方,調べ方,まとめ方,時間管理などを学ぶための推薦本を紹介したいと思います。ぜひ,ご覧になり,自分に合った本を見つけ,それを読んで,大学での勉強の仕方を理解していってください。最初が肝心ですよ!!!」とある。

 そうかと思い,何冊かの本を手にとり,「ノートのとり方」を私も学ぶことにした。

簡潔で明瞭なノートを作成し,識別能力を鍛える

 大学で「ノートをとる」ことは,高校までのノートのとり方よりも,社会で活動するなかで求められるノートのとり方に似ている。つまり,先生が黒板に書いたこと(板書)をノートに写していくことではなく,授業という決められた時間の中で,ノートをとるかどうか,どのようにノートをとるかを自分で判断して進めていくことになるのである。授業方法は講義,演習,実験・実習・実技などがあるが,どのようなスタイルの授業にも共通することは,担当教員による口頭での説明が授業進行の中心にあるということであり,教員が説明する話を聞いて,その内容を理解するために「ノートをとる」ことが求められる。したがって,「ノートをとる」ことの意味は,(1)授業内容を理解するための記録,(2)学習履歴の蓄積,(3)新しい考え方の発見と創造の道具,(4)汎用的なスキルの習得,である。そのため,ノートをとるときの注意点は,(1)自分自身の道具として作る,(2)後で「使える」ノートとして作る,(3)発見や創造の道具として利用できるように作ることである(小原芳明監修,玉川大学編『大学生活ナビ 第二版』第4章,玉川大学出版部,2011年)。

 また,こんな指摘もある。重要なポイントについてメモをとるべきであり,「授業時間が質問と討論に費やされるならば,あまりメモをとってはならない」(A.W.コーンハウザー著,D.M.エナーソン改訂,山口栄一訳『大学で勉強する方法』63頁,玉川大学出版部,1995年)。

 『アメリカ式ノートのとり方』(ロン・フライ著,金利光訳,東京図書,1996年)はシンプルである。ノートをとる際に用意するものは,ボールペン1本,中仕切りのある三穴式のバインダー,ルーズリーフ,そして「いきいきとした頭脳」であるという。さらに,こんな記述がある。「二人の学生が授業に出たとしましょう。一人は先生の言葉をすべてノートに書きとりますが,話の内容には注意を払いません。もう一人は,ノートはあまりとらないが注意深く聞いています。授業の最後に抜き打ちテストをやれば,ずっとよい成績をとるのは後者の学生でしょう」。つまり,「ノートをとることは話を聞く能力をアップさせ,大事な知識をしっかり記憶させてくれる」から,積極的に話を聞くこと,注意力散漫にならないためにできるだけ先生の近くに座ること,落ち着きのないクラスメートのそばに座らないこと,正しい姿勢で座ること(腰が座らないと心も座らない),そして,書き留めるべき内容だと先生が教える言葉を聞きとる,言葉以外の手掛かりを探す,質問をたくさんする,テープレコーダーを使って録音するよりも「いきいきとした頭脳」を使おう,と言っている。ノートをとる戦略として「選択的な聞きとりを身につける」ことに注目したい。つまり,こういうことである。「簡潔で明瞭なノートを作成する作業は,なによりもあなたの識別能力を鍛えます。重要な内容とどうでもいい内容とを区別する能力,重要な概念,事実,考え方をそれ以外のすべてのものから選り分ける能力です。教師の話をしっかり聞き,概念を理解するのに必要な内容だけを書きとめる能力といってもいいでしょう。その内容とは,わずか一文であることもあるでしょうし,細かい実例であることもあるでしょう」(55頁)。

「知識」だけではなく,「知識の獲得のしかた」を学ぶ

 梅棹忠夫は『知的生産の技術』(岩波新書,1969年)の中で,学校はものごとをおしえすぎる反面,「おしえおしみ」をするところでもあると指摘している。知識はおしえるけれど,知識の獲得のしかたはあまりおしえてくれないのであるという。つまりそれは,「学問をこころざすものなら当然こころえておかねばならぬような,きわめて基礎的な,研究のやりかたのことなのである」。さらに,「大学をでて,あたらしく研究生活にはいってくる人たちは,学問の方法論については堂々たる議論をぶつことはできても,ごくかんたんな,本のよみかた,原稿のかきかたさえもしらないということが,かならずしもめずらしくない」が,自分自身もノートのとりかたひとつにしても「先生から直接おそわったという記憶がない」ので「みようみまね」で先生や先輩のやりかたを「ぬすんで」きりぬけたと書いている。この本が出版された1969年は,私が大学を卒業した年である。

 私のバッグにはいつも,表紙が紺色で厚紙でできている小ぶりのボストンノート(マルマン)が入っている。リング製本である。ノートをとるに値する講演やセミナー,インタビュー内容をボールペンで書き留める。ボールペンはパーカーである。ボストンノートの紙質と相性がいいので気に入っている。

 そういえば,最近,学生たちが授業中「ノートをとる」姿をみることが減ったのは,パワーポイントを用いた講義であり,その印刷資料が配布されるせいかもしれない。しかし,その上で「ノートをとる」ことは学習者にとって多くの効能があることを先達が教えてくれている。しかも,「板書」にも意義があることを,展示されている実物の学生によるノートが物語っている。

つづく

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