医学界新聞

寄稿 庵地 雄太

2025.06.10 医学界新聞:第3574号より

 1948年に発効されたWHO憲章の前文では,健康の定義を「健康とは,病気でないとか,弱っていないということではなく,肉体的にも,精神的にも,そして社会的にも,すべてが満たされた状態にあること」としています1)。この定義は循環器疾患患者に対する治療やケアの最終的な目標でもありますが,皆さまが日々接する患者は,「肉体的にも,精神的にも,社会的にも満たされた健康的な状態」にあるでしょうか。

 低侵襲治療技術の開発,新薬の登場,デバイスの進化,運動療法や食事療法の充実など,患者の肉体的側面における健康へのアプローチは近年劇的な進展を遂げてきました。一方で,精神心理的・社会的側面における治療,ケア,支援については,依然として発展途上の段階にあります。

 今回は,多様化する循環器疾患患者の「健康」をめざすうえで不可欠な視点であるサイコカーディオロジー(psychocardiology)について解説していきます。

 サイコカーディオロジーとは,循環器疾患を有する患者のメンタルヘルスに関する学術領域を指す言葉です。類義語として「cardiac psychology」や「behavioral cardiology」などがあり,日本語では「循環器心身医学」と呼ばれています。

 実は日本は,諸外国に先駆けて循環器心身医学の発展に取り組んできた国の1つです。1950年代,虚血性心疾患の患者に絶対安静が推奨されていた時代に,久留米大学の木村登氏が積極的運動療法を提唱され今日の心臓リハビリテーションへと発展しました2)。その後,行動特性や性格が虚血性心疾患の原因や増悪因子となる可能性についての研究が世界的に進展し,1972年には日野原重明氏,石川中氏,鈴木仁一氏ら3人の大家によって,循環器心身医学の発展を目的とした「循環器PSM(psychosomatic medicine)の会」が設立されました。

 その後,抗血栓療法やカテーテル治療,心不全治療薬など治療技術が発展するスピードに心身医学は追いつけず,人々の関心も次第に薄れていきました。しかし2007年,日本循環器学会から「心血管疾患におけるリハビリテーションに関するガイドライン」が公表され,心血管疾患患者の身体的・心理的・社会的・職業的状態の改善が目標として明記されたことが転機となり,再びサイコカーディオロジーへの関心が高まります。さらに少子高齢化の深刻化とともに「心不全パンデミック」と呼ばれる時代に突入し,生命予後の改善に加えて健康寿命の延伸が日本の核心的目標と位置づけられるようになりました3)

 現在,サイコカーディオロジー領域の実践および研究において特に期待と関心が高いのは,「うつ」と「認知症」です。

 うつは65歳未満の心不全患者の3分の1以上が併発するとされる,一般的な併存疾患です。その併存率は慢性腎臓病に次いで高く,慢性閉塞性肺疾患よりも高いことが示されています4)。さらに,うつは独立した予後悪化因子であり5),心不全の重症度とうつの併存率は有意に関連していることも明らかになっています6)

 また,循環器疾患に併存するうつは療養指導や疾病教育の効果を低下させ7),療養行動にも悪影響を及ぼします8)。そのため,うつを早期に発見し治療することが,日本の心不全診療ガイドラインをはじめ,さまざまな場面で推奨されています9)

 しかし,心不全に併存するうつを見極めることは決して容易ではありません。たとえば,ガイドライン等で推奨されているうつのスクリーニングツールPHQ-9(Patient Health Questionnaire-9)を用いると,多くの患者が睡眠の質の低下や倦怠感に関する項目に該当すると回答します。これらの症状は心不全そのものの症状と重複するため,原因がうつにあるのか,心不全にあるのかを見分けることは非常に困難...

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日本サイコカーディオロジー学会 副代表理事 / 国立循環器病研究センター心不全・移植部門 心理療法士

2007年に川崎医療福祉大を卒業後,兵庫県立姫路循環器病センター(現・兵庫県立はりま姫路総合医療センター),公益財団法人慈愛会奄美病院,医療法人社団顕鐘会神戸百年記念病院などを経て,19年より現職。循環器緩和ケアや心臓リハビリテーションを軸足として,循環器疾患患者の精神・心理・社会的問題の解決や軽減をめざしている。公認心理士。

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