医学界新聞


うまくいかない日々も,きっと未来につながっている

寄稿 近田 真美子,岡山 久代,岩間 恵子,川岡 和也,本田 和也,榊原 千秋

2025.06.10 医学界新聞:第3574号より

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 春に入職してから1か月あまり。少しずつ仕事に慣れてきた一方で,「自分だけができていない気がする」「この先,本当にやっていけるのかな」と不安を抱えている新人ナースの方は少なくないと思います。今,現場で頼れる存在となっている先輩ナースたちも,かつては同じように戸惑い,つまずきながら一歩ずつ前に進んできました。

 本特集では,そんな先輩ナースから「新人時代の失敗談」を紹介していただきました。未来のあなたにきっとつながる,温かい言葉の数々をぜひ受け取ってください。

▼ 目次

患者さんの話を聴きすぎたが故の失敗  近田 真美子(大阪成蹊大学看護学部看護学科 教授)
分娩室勤務初日,頭が真っ白になった分娩介助デビュー  岡山 久代(筑波大学医学医療系 教授/同大学医学群看護学類長)
天使のようなプリセプターとの出会い  岩間 恵子(ペース大学 助教授 / マウントサイナイモーニングサイド病院 臨床看護師)
ご縁も,失敗も,感情も一緒に“えっほ えっほ”  川岡 和也(島根県健康福祉部健康推進課がん対策推進室 主任保健師)
失敗は人生の味つけ二倍三倍の努力があなたを育てる  本田 和也(純真学園大学大学院保健医療学研究科看護学専攻診療看護師(NP)コース 講師)
全ての人が気持ちよく排泄できる社会をつくろう  榊原 千秋(合同会社プラスぽぽぽ / うんこ文化センターおまかせうんチッチ 代表)

❶新人ナース時代の「今だから笑って 話せるトホホ体験・失敗談」
❷忘れ得ぬ出会い
❸あの頃にタイムスリップ! 思い出の曲とその理由
❹新人ナースへのメッセージ

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大阪成蹊大学看護学部看護学科 教授

❶「いつか行きたい!」と考え,希望調査の第5希望にこっそりと書いた精神科病棟。「希望者があなたしかいなかったから」というあっけない理由で精神科開放病棟への配属が決まり,看護師としてのキャリアをスタートさせました。新人時代というのは,今後の看護観を育む大切な時間だったんだなぁ……と今になって思います。

 多くの新人看護師同様,私もたくさんの失敗を経験しました。看護技術がうまく習得できない,患者さんの容態が急変しても先輩のようにテキパキと対応できないというのはもちろん,精神科ならではの苦労もありました。

 例えば,入院中のアルコール依存症の患者さんたちは私が新人看護師だとわかると,身体症状を訴えつつ睡眠薬が欲しい等,さまざまな要求を突き付けてきました。新人なので,訴えの背景に飲酒欲求があることを想像できず,懇切丁寧に話を聞き頓服薬を渡し,翌日先輩看護師に対応について苦言を呈されることが何度もありました。その後,病棟医がアルコール依存症の患者さんに,「近田看護師さんは,新人さんだから噓つかないであげてね。ちゃんとしらふで話すための練習相手だと思ってね」と,うまく役割を付与してくださいましたが……。

 他にも,日勤帯で担当していた統合失調症の患者さんの話に聞き入ってしまい,ナースステーションに戻ってくるよう看護師長から呼び戻されることが何度もありました(これには,患者さんからもよく笑われておりました)。

 つまり,新人時代の私は,患者さんの話を丁寧に聴きすぎるが故,患者さんの病いをかえって助長させたり,チーム全体の動きが見えなくなったりするといった失敗をたくさん経験してきたのです。裏を返せば,新人である自分には,患者さんの話を聴くことしかできないとの思いがあったのかもしれません。

❷学生時代に受け持たせていただいた患者さんと病棟で再会できたことです。この患者さんは,リストラに遭い統合失調症を発病された方で,ストレスがかかると妄想様の言動が生じるため長期入院となっていました。ただ,私には学生時代同様,父親のようなまなざしで接してくださり,精神の病いが決して特殊なものではなく,誰にでも起こり得るものであることを教えてくれたのです。

 病棟の精神科医には,専門職として「すべきこと」と「してはいけないこと」の境界を常に見極める姿勢を学びました。病棟の規則やルールを遵守する以前に,そもそも私たち専門職の行為が,患者さんにとってどのような意味があるのかを常に問い,考えて,実践に落とし込んでいくことの大切さを教えていただきました。

❹不安もあると思いますが,1年目は看護師としてうまく振る舞えなくて当然です。うまくやろうとするよりも,まずは,できるだけ職場の人とコミュニケーションを図り自分の存在を知ってもらうこと,助けてくれる宛先を増やしながら場に慣れることが大事です。そして,自分を褒めてあげること! 少しゆとりが持てるようになったら,患者さんにとって自分が良き支え手となれているのか振り返りつつ,看護師としての自分をゆっくり成長させていくと良いと思います。


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筑波大学医学医療系 教授
同大学医学群看護学類長

❶私は,学生時代から分娩介助させていただいたお産を「My分娩台帳」に記載しています。日付,かかわった助産師や医師の名前,いただいたアドバイス,感じたこと,失敗してしまったことなどを日記のように書き留めています。今回の原稿執筆に当たって,これを読み返しています。懐かしい思い出と苦い記憶がよみがえってきますが,初心に返るという意味で良い機会をいただいたと思っています。

 1993年の京都大学医学部附属病院産科分娩部・未熟児センターへの入職が,私のキャリアのスタートです。入職を決めた理由は,実習でお世話になった親しみのある病院であり,自律した先輩方がかっこよくて,いつか自分もあんなふうになりたいと思ったためです。当時の新人は,1週間程度の集合研修を受けて,その後に配属先での研修を受けました。

 研修が終了し,初めての分娩室担当の日のことでした。「今日は先輩について分娩室担当の仕事を覚えよう」と思いながら出勤すると,分娩経過中の産婦さんがいらっしゃいました。先輩が「分娩介助のやり方を思い出すために一度見学してから実際に介助するのが良いけれど,私がサポートするから一緒にお産をとろう。実習の時を思い出して」と後押ししてくださり,私がその産婦さんを受け持つことになりました。経過は順調で,数時間後に子宮口全開大となりました。私は先輩に言われるまま分娩に必要な器具のセットを開いて,周囲が誘導する呼吸法に合わせて,ただ手を添えるだけの分娩介助をしました。My分娩台帳には「就職して勤務初日に思ってもみなかったお産。何もわからないまま,スタッフの皆さんの協力のもと介助しました……」と書かれていました。頭が真っ白になり,十分な声かけもできず,言われるままに動いた助産学生のような分娩介助でした。先輩からは,「最初は誰でもこんな感じよ。これから頑張って磨いていけばいいから」と声を掛けていただいたのですが,学生時代の最後に介助した10例目から少しも成長してない(むしろ後退している)自分がふがいなく,苦くて落ち込むばかりの分娩介助デビューでした。

❷病棟には助産学生が実習に来ていましたし,同期の新人助産師は5人でしたので,1年目に自分が分娩介助できたのは15例だけでした。「このままでは自律した助産師には永遠になれない。何か手を打たないと。何でもいいから分娩にかかわろう」と考え,作戦を立てました。例えば,先輩が学生に指導されている様子をこっそりとのぞき見したり,分娩記録をみながら「なぜ先輩はこの時にこのアセスメントをされたのですか?」と質問したりして,色々な場面で教えていただきました。今思うと,苦くて落ち込むばかりの分娩介助デビューと,少しでも分娩にかかわるという作戦が成長するための基盤になったのかなと思います。

 当時一緒に働いていた憧れの先輩とは,今もつながっています。今はお互い教員になっていますので,学会で一緒になった折には,苦すぎる分娩介助デビューのこと,仕事帰りに焼き肉を爆食いしたことなど,お酒を飲みながら話しています。憧れの先輩に近づきたい気持ちは今も変わりません。これからも置いて行かれないように走り続けたいと思っています。

❸入職当時にはやった曲の中で,特に印象に残っているのはZARDの『負けないで』です。この曲は,頑張る気持ちを高めてくれるので,当時もよく聴いていました。今でも「がんばるぞー」と思うときには,自然に口ずさんでしまいます。新人時代の苦い経験を乗り越えるための励ましの曲,そして今も走り続けるためのパワーの源となる曲として,心の中に住み着いています。

❹新人の皆さん,苦い経験や落ち込む体験は大事なことです。体験には意味があり,必ずそこから得られることがあります。自分がなりたい姿を思い描いて,少しずつ前進していってくださいね! なお,「My分娩台帳」はCLoCMiPレベルⅢ認証申請の時に役立ちました。皆さんにもご自身のポートフォリオの作成をお薦めします。


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ペース大学 助教授
マウントサイナイモーニングサイド病院 臨床看護師

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❶❷米国のGallup社による世論調査Gallup-Pollにおいて,看護師は誠実さと倫理に長け,最も信頼される職業として,過去23年間連続で1位に輝き続けています。私たちはこの職業に誇りを持ち,看護に力を注いでいます。しかしその裏には,日々の努力と苦労が繰り広げられているのです。

 私も,涙と汗を流しながら一人前に成長した看護師の1人です。米国でスタートした新人時代は,毎日自分のできなさに落胆し,反省の連続で帰宅の途につきました。自宅へ向かう車の中であまりにも考え込んでしまい,時速20 kmでハイウェイをのろのろと運転し,警察官に止められてしまったことさえあります。

 急性期医療の総合病院で新人看護師として働き始め,言葉の壁と文化の違いに適応するのはとても難しいことでした。その中で,ロールモデルとして私の成長を支えてくれたのが,プリセプターのロゼラです。ロゼラはイタリア系アメリカ人で,50歳代のベテラン看護師でした。物腰が柔らかで,患者さんに対しても優しいまなざしで接し,いつも落ち着いて仕事をこなす。彼女が慌てて走る姿を見たことがありませんでした。そして,私の拙い英語にも辛抱強く耳を傾けてくれ,看護の手順についても1つひとつ丁寧に教えてくれました。

 新人教育も終わりに近づき,英語,看護スキルともに通常の業務をこなすことができるレベルまで上達したある日,担当する患者さんが亡くなりました。家族が急いで駆けつけたのですが死の瞬間には間に合わず,その悲しみを想像して心が痛みました。しかし,それ以上にショックを受けたのは,悲しむ家族に言葉の1つもかけられず,ただ突っ立っているしかできなかった自分自身に対してです。ちょうどその時,ロゼラが静かにやってきて,家族の悲しみを和らげる心優しい言葉をかけました。その言葉はまるで魔法のようで,家族の心を癒やし,笑顔さえも見ることができました。その瞬間,どんなに頑張っても越えられない言葉と文化の壁に直面し,無力な自分が情けなく,この地で看護職としてやっていくことへの限界を感じました。

 家族が去った後,私はそのまま看護師長の所へ行き,辞めたいと伝えたのです。それを聞いたロゼラが,また静かに近づいてきて,「気の利いた言葉を言うことは大切なスキルじゃないのよ。言葉が出なければこうすればいいの」と言って,私をぎゅっと抱きしめ,ハグは万国共通の言葉だと教えてくれました。そういえば,彼女は患者の家族のことも優しくハグしていた,と思い出しました。あの時の温かい彼女の手を今でも忘れることはできません。気の利いた言葉を言いたいなんて安っぽいことを考えていた私の価値観は大きく変わりました。その後,ハグは私の心を伝える大切なコミュニケーション手段になると同時に,自信を持って患者やその家族と接することができるようになりました。

 もしロゼラがプリセプターでなかったら……と考えることが今でもたびたびあります。私が他の病院に移ってから,なぜか彼女とは音信不通になってしまいました。インターネットやFacebookで検索しても探すことができず,悔やまれます。彼女は,私のためにこの地上に降りてきた天使だったのではないかと思えて仕方がありません。

❹新人看護師として難しさを感じることが多い中,技術と知識だけでなく,気持ちを示す非言語的コミュニケーションも看護に取り入れてみましょう。そして,プリセプターとの出会いも大切にしてください。その人は,あなたのための天使かも知れません。

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島根県健康福祉部健康推進課がん対策推進室 主任保健師

❶「ここのあたりだと思うんだけどなぁ……。あと2分で約束の時間だよ……」。その時の私は,手に汗を握りながら涙がこぼれそうな気持ちで,何度も同じ道を行ったり来たりしていました。

 私は新卒で島根県に所属する保健師となり,出雲保健所の心の健康支援課に配属されました。配属から半年ほどたった頃,初めて“ひとりで”ご自宅への訪問を任されました。訪問の目的や確認事項などは,上司と一緒にしっかり準備して,訪問のイメージもバッチリです。上司から「家の場所は確認した?」と聞かれ,「はい! 大丈夫です! 任せてください!(若者はGoogleマップを使えるんだぜ?)」と元気よく公用車に乗り込み,出発! ……しかし,Googleマップが案内してくれた場所には,訪問対象者のお名前の表札が見当たりません。

 この時点ですぐに職場に電話をかけて確認すればよかったのに,「大丈夫!」と言ってしまった手前,余計なプライドが邪魔をします。車を降りて,周囲をウロウロ……。少し走らせてから車を降り,またウロウロ……。何度繰り返しても,目的の表札とは出合えません。

 そして,ついに訪問時間の2分前。ようやく観念して,職場に電話をかけました。「すみません。大丈夫とお伝えしたのですが,Aさんのお宅にたどり着けません。助けてください(涙)」。上司「ゼンリン地図で調べたんじゃないの?」。私「……ゼンリンって,なんですか?」。上司「………」(後から知ることになります。地方での住所探しは,Googleマップではなく“ゼンリン”が必須だということを)。その後,職場でゼンリン地図を確認してもらい,正しい場所を教えてもらってようやく無事に訪問ができました。10分遅れての訪問となりましたが,事前にしっかり準備をしていたおかげで内容自体はうまく進められたかな,と思っています。

 職場に戻ってからは会議も研修も訪問も「準備が9割!」とこっぴどくご指導いただきました。今ではその言葉を笑いながら後輩たちにも伝えています。

 新人時代には,「うまくやりたい!」という気持ちが空回りすることもたくさんありますが,そんな時こそ先輩たちの言葉に耳を傾けて具体的に確認すること。そして「準備すること」が自分自身の安心にもつながるんだなあと実感しています。

 皆さんも心に刻み,ご唱和ください! 「準備が9割!!」。

❷私は職場の上司や同僚に恵まれていましたが,それ以上に“関係者”とのご縁に本当に恵まれていました。配属されたばかりの頃,あいさつ回りをする中で,後に「この人が師匠だ」と心の中で決めることになる相談支援専門員さんに出会いました。その方は,保健師資格をお持ちであることに加えて精神科認定看護師でもあり,まさに“実践と理論のプロフェッショナル”。新人である私に,任意団体が主催する事例検討会への参加を勧めてくれました。そこから月に一度の事例検討会への参加が始まり,約6年間,毎月のようにアセスメントとファシリテーションのスキルを鍛えてもらいました。

 たくさんの言葉をいただいた中で,今でも心に強く残っているのが,このひと言です。「保健師は企画力がないと役に立たん。あんたは,企画力では誰にも負けん保健師にならんと許さんけんね」。

 当時はピンと来なかった“企画力”という言葉。しかし今では,「現状をしっかり把握・分析した上で,未来を構想し,その差分を埋めるためのアイデアを戦略に変え,周囲の共感を生み,行動をデザインする力」だと思っています。

 まだまだ道の途中ではありますが,新任の頃に“企画力”という言葉を教えてもらったことが,今も私の保健師としての土台になっています。人との出会い,言葉との出合い。その1つひとつに,いつまでも感謝と敬意を忘れずにいたいと改めて感じています。

❹ここでは書ききれないような,sweetとはほど遠いbitterなことも,たくさん経験してきました(笑)。少しずつ年を重ねる中で思うのは,若い頃の失敗って,そのときは落ち込むけれど,長い目で見れば“うまくいくための経験”だったんだな,ということです。

 働いているとイライラしたり,悲しくなったり,楽しくなったり,うれしくなったり,本当にいろんな感情が湧いてきますよね。でも最近,その“感情の振り幅”こそが,患者さんや地域の方とかかわるときの彩りになっている気がしています。

 失敗したことも,感じたことも,全部が看護・保健の仕事につながっていると思うと,自分らしく“えっほ えっほ”と歩き続けることが,一番大事なんじゃないかと思うんです。新人の皆さんも,自分のペースで,自分の感情も大切にしながら,一歩ずつ“えっほ えっほ”と進んでいってくださいね。


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純真学園大学大学院保健医療学研究科看護学専攻診療看護師(NP)コース 講師

❶看護師としてのキャリアが始まったばかりの春。私は手術室に配属となり,先輩たちのように動けない自分に焦り,不安を抱えていました。「なんで自分だけこんなに要領が悪いのだろう」「このままで看護師としてやっていけるのか」。自信のなさや不安と毎日向き合いながら,もがいていました。そんな新人時代,私には今でも忘れられない大失敗があります。

 その日は,ベテランの先輩看護師と2人で手術室の夜勤を担当していました。初めての夜勤です。夜明け前,長い廊下の両端から中央に向かってモップがけをする作業が始まります。私は近くにあった液体を「洗剤かな?」と勝手に思い込み,先輩に「これ使いますよね?」と尋ねたものの,返事を待たずにモップのタンクに謎の液体を投入。真面目に,丁寧に,隅々まで,1時間近くモップをかけました。「よし,完璧!」と達成感に満ちていたその朝,床はピカピカ……ではなく,日勤の始業の頃にはなぜかベタベタに。出勤してきたスタッフたちが「床が……ベタベタする!」と一斉に声を上げます。なんと,私は手術機器を洗浄するための強力な洗剤で床を拭き,ワックスを一気に剝がしてしまっていたのです。看護師長は頭を抱え,先輩たちは「本田くん……良くも悪くも真面目だよね」「普段掃除しない隙間までキレイにベタベタだね」と苦笑い。しかしこの一件がきっかけで,私は周囲に「おっちょこちょいだけど誠実な人」として覚えてもらえるようになりました。

 その頃,もう1つの大失敗が待っていました。新人研修に向かう途中,手が滑って落としたクリアファイルが,まさかのエレベーターの隙間に吸い込まれたのです。資料は消え,エレベーターは使用不可に。あぜんとする職員たちの視線が私に突き刺さる中,エレベーターに乗っていた医師や看護師の先輩方が「逆に才能かもね。こんなこと,普通は起きないよ」と笑いながら冗談まじりに一言。張りつめていた私の心をふっと緩めてくれました。完璧じゃなくていい。失敗から何かを得ていけばいい。そう思えるようになったのは,あのときのまなざしと声があったからだと思います。

❷そんな失敗だらけの新人の私を支えてくれたのが,プリセプターの存在でした。指導は簡潔で,説明は最小限でしたが,それでも常に大切な視点と優しいまなざしで私をサポートしてくださる人でした。

 数日後に手術介助を控えたある日,プリセプターに「脳腫瘍の手術? 皮膚切って,腫瘍とって,閉じるだけよ。難しく考えすぎないで」と言われ,当時は「いやそれ皮膚腫瘍と同じ説明じゃ……」と返した記憶があります。しかし,その言葉は不思議と胸に残りました。

 そうした日々を重ねるうちに,私はただ“教えてもらう”だけでなく,自分で調べ,考え,深める力を身につけていったのです。知らないなら自分で調べてみる。どうしてもわからないことは,どこがわからないのかを整理してから質問する。難しく考えすぎず,一方で深く理解しようとする姿勢を持つ。これらが,今の私の土台になっています。プリセプターとの出会いがあったからこそ,私は看護師としてだけでなく,“自分で学ぶ人”として成長できたと思っています。今も変わらず,その姿勢が自分の根っこにあります。

❹今春,私も皆さんと同じ“新人”になりました。診療看護師(NP)の育成という新たな使命を担う,看護教員としての第一歩です。

 これまで私は,長崎県で約20年間地域医療に従事してきました。地元の人々を看護の力で支えたい,お世話になった皆さんに恩返しがしたいという想いが,私の原点でした。だからこそ,長崎を離れて新しい土地に移り,仕事内容や役割も変わることに,大きな不安がありました。けれど,不思議と怖くはありませんでした。なぜなら,これまでにたくさんの大失敗とその失敗の意味を考える経験してきたからです。失敗を乗り越えてきた経験が,変化や挑戦への耐性を少しずつ育ててくれたのだと思います。

 そして,私が大切にしているのは“交流の力”です。交流とは,ただ会話をすることではありません。「相手を知ろうとすること」「自分を伝えること」「一緒に学ぼうとする姿勢」だと考えています。これらの積み重ねが,誰かとの信頼を育みます。清潔感のある服装,明るい表情,丁寧な言葉遣い。その一つひとつが,交流のきっかけや第一歩になります。初対面の機会をこれから多く経験されていくと思いますが,この考え方を忘れずに過ごしていただきたいです。

 失敗は,人生の“味つけ”です。他人の二倍,三倍努力して身につけた経験には深みがあります。だからこそ,看護師としてだけでなく,人としても“味のある人生”を送ることができるのだと思います。新人の皆さんも,どうか焦らずに,一歩ずつ歩んでください。皆さんが今感じている不安や経験した失敗も,きっと未来のあなたを育ててくれる“材料”になります。少し先の未来で,日本の看護を共に盛り上げられたらいいですね。


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合同会社プラスぽぽぽ
うんこ文化センターおまかせうんチッチ 代表

❶❷小学2年生の時,ひとりっ子だった私に弟が生まれました。1970年のことです。新生児訪問に来た保健師さんが,生まれたばかりの弟をつりばかりのハンモックに大切に乗せて体重を量る姿に後光が差して見えました。その日,町役場の保健師になると決めてから気持ちがぶれることはなく,1983年に保健師として町役場に入職しました。あの日の弟の体重を量った保健師である石田さんと一緒に家庭訪問や健康教室に出かけた日々は,私の宝物です。

 1988年,結婚を機に愛媛県から石川県小松市に移住し,老人ホーム併設のデイサービスで勤務することになりました。介護福祉士制度がない時代,寮母である先輩から,見よう見まねで手技を学びました。オムツから溢れる尿と便に手も足も出ず四苦八苦する日々は,人生のどん底でした。そんな中,排泄ケア研修会に参加し日本コンチネンス協会の西村かおるさんと出会いました。「排泄障害には必ず原因があり,アセスメントが重要」「全ての人が気持ちよく排泄できる社会をつくろう」。コンチネンスケアとの出会いは,どん底だった私にとって一筋の光であり希望でした。この希望の延長線上に,「おまかせうんチッチ」「POOマスター」が生まれるのですから,人生って面白い!

 1989年,「高齢者保健福祉推進10カ年戦略」(ゴールドプラン)により在宅福祉が推進されたこともあり,私は在宅介護支援センターの保健師となりました。その後,介護保険制度が始まり,ケアマネジャーになったばかりのある日のことです。長いお付き合いになる80代の難病を患う男性に「あんたはケアマネかなんかになったかもしれんが,これまでのようにちゃんと人として接してもらわんと困る。嫁さんの話を聞くのもええが,わしがここにおることを忘れとらんか!」と叱られました。ケアプランを持参し,ご家族に「ここに印鑑をお願いします」とお願いしていた私はドキッとしました。私が代表を務める訪問看護ステーション「ややのいえ」の理念である「とことん当事者」「人として出会う」「自分ごととして考える」「十位一体のネットワーク」は,この方から学ばせていただいた教訓です。

❸学生時代は,私も聖子ちゃんカットでミニスカートだったんです。夫とは学生時代を過ごした松山で出会いました。母が脳腫瘍で入院したり,夫が就職し遠距離になったり……。サザンオールスターズの『いとしのエリー』を聞くと,学生時代のほろ苦い気持ちを思い出します。

❹現在,やなせたかしと妻のぶをモデルとしたNHK連続テレビ小説『あんぱん』が放映されています。中学生の頃,彼が編集長を務めた月刊『詩とメルヘン』(1973~2003年)に夢中になりました。やなせたかしは「誰かを喜ばせることが生きる意味」「絶望のとなりは希望」と語っており,どんなに苦しくてもその先には「希望」があるのだと私は学びました。

 また,ドイツ出身のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(1906-1975)は,労働(Labor)は,肉体的・知的に働いて金銭を得て必要最低限の生命維持と生活保障を得ること,仕事(Work)は,人間自らの創造性・思考能力を具現化し新たな事物を作り出すこと,活動(Action)は,人間関係の中で自己を表現し他者と協働で何かを成し遂げることと定義し,活動(Action)こそが「希望と信頼」を生み出すと説いています。希望は「CO-BECOMING」。さあ,ご一緒に何かを成し遂げましょう!

 

:「おまかせうんチッチ」は,地域における排泄ケアの相談対応や,排泄ケアのプロフェッショナルである「POOマスター」(榊原氏が設立した民間認定資格)の育成に取り組む活動。


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