臨床におけるエルダースピークの問題点
寄稿 大庭 輝
2025.06.10 医学界新聞:第3574号より
高齢者に対する不適切なコミュニケーション法
私たちは日常の中で特段意識することなく他者とコミュニケーションを行っているが,会話をするには実は高度な認知機能の活用が求められる。相手の声に意識を向ける必要があり(注意),話の内容を覚える必要もある(記憶)。言葉の背後にある相手の感情を推測することも求められ(社会的認知),相手の話を聞きながら適切な応答を考えなくてはならない(遂行機能)。
加齢や認知症により認知機能が低下すると,他者と意思疎通がうまくいかなくなることが増える。そうした状況にある高齢者に対して,子どもに接するような態度で会話をしている人をしばしば見かけることがある。それは家族介護者のような一般の人のみならず,専門職であっても,である。このような高齢者に対する不適切なコミュニケーション法の一つとしてエルダースピーク(Elderspeak)が知られている。本稿ではエルダースピークとは何か,臨床における問題点およびその対策について紹介する。
「行き過ぎた配慮」であるエルダースピーク
エルダースピークは以下のように定義される。
耳が遠い人には声が届くよう大きめの声で話すように,通常のコミュニケーションの中でも何かしらの配慮が行われていることは少なくない。しかし,エルダースピークは「行き過ぎた」配慮という点で,通常のコミュニケーションにおける配慮とは区別される。
ケアに対する拒否的な行動を出現しやすくする
エルダースピークがケアに及ぼす影響については,米国カンザス大学のWilliamsらの研究グループが精力的に知見を積み重ねている。彼女らの研究から,エルダースピークは特に認知症の人に対して用いられた場合にネガティブな影響を及ぼすことが明らかになっている。例えば,Williamsらは20人の認知症の人と52人の看護職とによる80回のケアのやり取りを分析し,認知機能障害が強いほどエルダースピークが使用されやすいことを示した2)。また,通常のコミュニケーションによるやり取りに比べて,エルダースピークの使用は職員をつかんだり叩いたりするなどのケアに対する拒否的な行動をおよそ2倍出現させやすくすること,エルダースピークは認知症の人が拒否的もしくは協力的といった様子を示している時よりも,特定の行動をしていない通常のやり取りの際に生じやすいことを明らかにした。
また,16人の認知症の人と53人の看護職により行われた,11時間近くに及ぶ88回のやり取りを分析したShawらの研究では,エルダースピークは総記録時間の11.7%(range=0.0~57.4%)で用いられており,やり取りのうち43回(48.9%)はケアに対する拒否的な行動を示していた3)。この研究ではエルダースピークとケアに対する拒否的な行動の関連も解析しており,エルダースピークを10%減少させると拒否的な行動が77%減少することが示された。さらには,疼痛がある認知症の人へのエルダースピークの使用は,ケアに対する拒否的な行動をより強めていた。
これらの研究結果は,配慮のつもりで行っているコミュニケーションの工夫が,実際には認知症の人とのやり取りにおいて悪影響を及ぼしていること,エルダースピークの改善がより良い認知症ケアの実践に不可欠であることを示している。
自身のコミュニケーションを振り返ってみる
エルダースピークの厄介な点は,定義にもあるように「配慮」として行われていることにある。つまり,エルダースピークは「善かれと思って」用いられているのである。背景には高齢者に対する差別や偏見であるエイジズム,すなわち「高齢者は能力が衰えている,誰かの助けがないと暮らしていけないだろう」といったネガティブな認識があると考えられている。しかし,エルダースピークを用いている当の本人は自身が抱いているエイジズムに気づいていないため,エルダースピークは「善意あるエイジズム(Benevolent ageism)」と皮肉的に呼ばれることもある。この厄介なエルダースピークを改善するにはどうすればよいのだろうか。
幸いにも,エルダースピークは自身のコミュニケーションを振り返ることで比較的容易に気づくことができる4)。例えば,コミュニケーションをとる上で,相手が認知症の人の場合と,家族や友人,同僚などの場合で話し方が変わっているようであれば,エルダースピークを使用している可能性がある。認知症の人と2人だけで話している場合と,上司や同僚,家族介護者に会話を聞かれている状況で話し方が異なる場合には,エルダースピークの可能性が高いだろう。少なくとも,高齢者とのコミュニケーションの中で何かしらの配慮を行っている時にはエルダースピークになっていないかを省みることが大切である。エルダースピークの背後にあるエイジズムが年齢に基づいて生じる以上,年を取れば誰もがエイジズムを向ける側から向けられる側になる。いつか自身が当事者となった時に,どのようなコミュニケーションを望むのかを想像してみるのも良いかもしれない。
加齢のポジティブな側面を知る
臨床現場で働く専門職は何かしらの疾患を抱えた人とかかわっている。このような状況の中では,病気がちで,弱々しいといったネガティブな高齢者像を強めるばかりでエイジズムを改める機会が乏しい可能性がある。エルダースピークを減らすには,臨床現場における教育研修機会の確保だけでなく,専門職教育の課程において加齢における身体的・心理的・社会的変化について学ぶ機会や,地域で暮らす元気な高齢者と接する機会を増やし加齢のポジティブな側面について理解を深める,といった長期的視野に基づく対策も必要であろう。
註:認知症の人が直面している困難を解決しようと試みている行動のことを指す。例えば,ケアへの拒否や帰宅願望はケアする側にとっては困る行動であるが,認知症の人の視点に立てば不快感や孤独感を和らげるために行っていると考えることができる。
参考文献
1)Innov Aging. 2021[PMID:34476301]
2)Am J Alzheimers Dis Other Demen. 2009[PMID:18591210]
3)J Am Geriatr Soc. 2022[PMID:35642656]
4)J Psychosoc Nurs Ment Health Serv. 2005[PMID:15960030]

大庭 輝(おおば・ひかる)氏 弘前大学大学院保健学研究科 教授
弘前大学大学院保健学研究科心理支援科学専攻教授。公認心理師,臨床心理士,日本老年精神医学会認定上級専門心理士。博士(人間科学)。専門は老年臨床心理学。日本老年行動科学会理事,日本老年臨床心理学会評議員,日本臨床心理士会高齢者福祉委員会委員などを務める。主著に『心理学のプロが教える――認知症の人のホントの気持ちとかかわり方」(中央法規出版)。
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