医学界新聞

連載

2009.05.18

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第151回

A Patient's Story(2)
生まれて初めての入れ墨

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2828号よりつづく

 私が生まれて初めての入れ墨を,それも,普通は絶対に入れないような場所に入れることになったきっかけは,年の初め,1月6日夕刻にかかってきた電話だった。

 電話に出たとき,私は,この連載用の原稿を日本に送稿したばかりだったこともあって,まったくリラックスしきっていた。人生の中でもいちばん驚く内容の電話になるとは夢にも思っていなかったのだが,電話をかけてきたのが,ハーバード系X病院の消化器内科フェローだと知ったときも,「何を今さら……」といぶかしく思っただけで,精神的に無防備だったことに変わりはなかった。検診目的で大腸鏡を受けてから3週間以上が経っていたし,「もうとっくに終わった話」と思い込んでいたからである。

 フェローは,挨拶もそこそこに切り出した。 「大腸鏡を施行したとき,『脂肪腫だと思うけれど,念のため生検した』と説明したことを覚えておられますか? 実は,病理の結果が返ってきたのですが,直腸カルチノイドだったのです。つきましては……」

「恐い物知らず」状態での告知

 かくして,私は電話で「癌」の診断を告知されるという体験をする羽目になったのだが,自分でも不思議に思うほど落ち着き払っていた。(以下は後から考えた理屈だが,)私がそれほど大きなショックを受けなかった理由の第一は,精神的にまったく無防備だったことにあったようである。もし,もともと癌の疑いがあって受けた検査だったなら,医師から電話がかかってくるのを(あるいは結果を告げられる診察日を)待ちながら,何日も煩悶のうちに過ごしたに違いない。その上で「癌でした」と告げられたらきっと頭を棒で殴られたような打撃を味わったと思うのだが,私の場合,「もう終わった話」と思い込んでいたし,あまりにも「藪から棒」の診断だったので,驚きはしたものの精神的な打撃を受けるまでには至らなかったのである(ちなみに,病理結果は内視鏡の2日後には出ていたのだが,クリスマス休暇のせいで年が明けるまで誰も見ていなかったようである)。

 ショックを受けなかった理由の第二は,私の「無知」にあった。消化管原発カルチノイドについて,医学部で習ったことなどきれいさっぱり忘れていたからである(さすがに「カルチノイド症候群」は言葉として覚...

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