A Patient's Story(1) リアリティ番組スターの死(李 啓充)
連載
2009.04.27
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第150回
A Patient's Story(1)
リアリティ番組スターの死
李 啓充 医師/作家(在ボストン)3月22日,27歳の英国人女性ジェイド・グディが亡くなった。グディの死は米国でも大きく報じられたが,それは,彼女が英国の「大スター」だったからに他ならない。
しかし,グディは「大スター」とはいっても,昔だったら,とてもスターになることも有名人になることもありえなかった,「普通」の女性だった。その彼女がなぜ有名になったのかというと,テレビのリアリティ番組に出演したことがきっかけだった。
グディが出演したリアリティ番組のタイトルは『ビッグ・ブラザー』。ジョージ・オーウェルが傑作『1984年』の中で描いた「個人の行動をTVカメラが監視する社会」にちなんだものであるのは言うまでもない。しかし,リアリティ番組の場合,TVカメラが個々人の行動を監視するというよりも,逆に,出演者たちがTVカメラの存在を意識しながら日常生活を「演ずる」といったほうがより実相に近い。そういった意味で,世界中でリアリティ番組の人気が高まっている現在の世相の到来を正確に予言したのは,オーウェルのオリジナル,『1984年』ではなく,筒井康隆のパロディ,『48億の妄想』のほうだったのではないだろうか?
TVカメラがとらえた「告知」と「悲嘆」
グディが『ビッグ・ブラザー』でデビューしたのは2002年のことだった。薬剤依存症の両親の下に生まれ,美貌に恵まれたわけでもなく,教養も学歴も特別の才能もなかったグディがスターとなったのは,「スターとなるべき条件など何も備えていなかったから」だったと言ってよい。歯に衣着せずに物を言うとりわけ開放的な性格に加え,「リオデジャネイロって人の名前でしょ」とか,「ポルトガルってスペインにあるのよね」とか,迷言・珍言の数々を連発したことも貢献したが,「隣近所にいそうな」キャラクターだったからこそ,人気が出たのだった。
しかし,歯に衣着せずに物を言う性格が災いしてTV界から「追放」されたのは2007年のことだった。『有名人版ビッグ・ブラザー』に出演した際,同じく出演者だったインドの大スター,シルパ・シェティに向かって人種差別的暴言を繰り返し,世論の大非難を浴びたのである。特にインドで沸き起こった怒りは凄まじく,各地で抗議のデモ行進が行われ,グディに似せた人形が焼かれたりしたのだった。
人気も下火となり「嫌われ者」となったグディが思わぬ「カムバック」を果たすことに成功したのは,2008年8月だった。人種差別的暴言へのお詫びの意も込めて,インドまで出向いて現地版『ビッグ・ブラザー』に出演したのだが,番組収録中に英国の病院から「子宮頸癌」の診断を告げる電話がかかってきたのである。診断を告げられた直後,ヒステリカルに泣きじゃくるグディの姿がTVカメラにとらえられたが,この残酷な映像が全英に繰り返し放映されたことで,グディの「人気」は再沸騰したのだった。
グディの子宮頸癌との闘いをテーマとしたリアリティ番組が作られるようになるのにさして時間はかからなかった。全英の目がTVに釘付けとなり,グディの病状の推移に一喜一憂するようになった。2009年2月,全英のTV視聴者は「化学療法などあらゆる手を尽くしたにもかかわらず転移が全身に広がった」と,絶望的な予後を告知されることとなった。その直後の2月22日(亡くなるひと月前),グディは同居男性(21歳)との結婚式を挙げた。式の模様は2時間の特別番組として中継されたが,化学療法のせいで「坊主頭」となったグディのウエディングドレス姿が全英国民の涙を誘ったのだった。
自らの病気を公表することの是非
グディがプライバシーをさらけ出したことについて,「末期癌患者が自らの死を売り物にした」と批判する向きがあったのは言うまでもない。しかし,自分の健康や病気に関する情報を世間に公表するかどうか,それぞれが個々に抱える状況は文字通り千差万別であり,その判断はあくまでも「私的」なものである。例えば,グディの場合,「自分が死んだ後の息子二人(5歳と4歳)の行く末を思ったら,TV局に自分の病気を『売る』ことに迷いなどなかった」と,公表の理由を説明したが,公表したことそのものの是非を第三者がとやかくあげつらうのは「筋違い」というものだろう。
ちなみに,グディが自らの壮絶な癌との闘いをリアリティ番組としたことで,英国では子宮頸癌に対する意識が高まり検診受診者が急増するという効用をもたらしたことを付言しておこう。
*
私がこの原稿を書いているのは,グディが「眠るように」息を引き取ってから1週あまりが経った3月31日のことである。ここまで長々とグディのことを書いてきたのも,私個人の病気を題材とした原稿を本欄に発表するかどうかについて,この間,ずっと逡巡してきたからに他ならない。いわば,「プライベートな情報を公開することへのためらい,そして,自分の病気を売文のネタにしたと批判されることの不愉快」と,「自らの経験を語ることが日本の医療者にもたらす利益」とを天秤にかけてきたのだが,グディの凄絶な死に様の報に触れたことが,天秤のバランスを「公表へ」と大きく傾けることになった。次回から,一患者として,極めて私的な物語を語らせていただくので,読者には辛抱してお付き合いいただきたい。
(この項つづく)
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