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『これだけは気をつけたい! 高齢者への薬剤処方 第2版』より

連載 今井博久(帝京大学大学院教授・公衆衛生学研究科)

2024.03.01

 超高齢社会がますます進展する現在,診療科を問わず高齢者への適切な薬物治療に関する知識は必要になっています。新刊『高齢者への薬剤処方 第2版』は,高齢者に不適切な可能性のある薬剤の基準である米国Beers Criteriaの「日本版」として,最新の医薬品情報を盛り込み,この度初版から10年ぶりに改訂されました。プライマリ・ケア領域の医師・薬剤師を対象に,高齢者のコモンな内科疾患から,腎機能低下時,メンタルヘルスまで,幅広い知識が詰め込まれています。
  「医学界新聞プラス」では本書のうち,「改訂版の意義と特徴」「心血管系薬 高齢者に不整脈薬物治療を行ううえでの注意点」「プラゾシン」「メトクロプラミド」の内容を一部抜粋し,全3回にてご紹介します。

1 改訂版の意義と特徴

A 高齢化の進展に伴う薬物治療の変化

 本書の初版を著す基になった,故Mark H. Beers博士との共同研究による「日本版ビアーズ基準」の論文1)を発表したのが2008年であった.それから現在に至るまでに15年もの時間が経過した.日進月歩の医学薬学の世界において15年の歳月の経過は長く,この間に医薬品に関するさまざまな知見が得られ,また薬物治療も大きく変化している.新しい医薬品が登場した一方で,ほとんど使用されなくなった医薬品もある.いくつかの医薬品は副作用の重篤度に関する再評価が行われ,注意事項の追加もなされた.
 しかし大きな変化がありながら,いまだに古い知識のままの処方,相変わらず自己流の癖(prescribing habits)による処方などが行われている現状もある.こうした状況において最も重要な点は,医師や薬剤師が直近の信頼できるエビデンスおよび専門家からの正しい臨床情報に従って自らの医薬品の使用方法の見直しを行うことである.そこで私たちが今回,改訂版を発刊する意義は医師および薬剤師,あるいは医療従事者に「最新の医薬品使用に関する正しい情報」を伝え,有効で安全な薬物治療を推進することである.
 本邦の薬物治療の姿はこの15年間で大きく変化した.1つは医薬品自体の変化,それ以外では対象となる患者のより一層の高齢化と治療を提供するアプローチの変化がある.
 前者の医薬品自体の大きな変化としては,胃粘膜保護薬,ベンゾジアゼピン系薬,抗認知症薬など,診療科目を問わずに頻回に使用される医薬品群においてその使用量に大きな増減があったことだ.後者の変化として,超高齢社会の進展に伴い生理機能低下や認知機能低下が顕著な患者に遭遇する機会が増加している点が挙げられる.また特筆すべきは,医師の訪問診療件数が4倍以上になり2),在宅における薬物治療の機会が急増したことである.それに伴い在宅薬剤師が増え,多職種連携の機会も増えた.医療提供の方法はチーム医療が標準となり,医師,薬剤師,看護師は相互に緊密な連携をしながらの患者への全人格的なアプローチが中心となりつつある.
 診療対象としての高齢患者の存在は大きくなり,臨床医は内科のみならず整形外科,精神科,泌尿器科などほとんどすべての診療科目で高齢患者が罹患しやすい高血圧をはじめとするプライマリ・ケアの薬物治療に向き合わざるを得なくなっている.したがってそうした疾病に関する最新の適切な医薬品使用の知識は,ほとんどすべての科目の臨床医にとって必要不可欠である.本改訂はこのような過去15年間の医療環境の変化に対応した内容になっている.

B Beers Criteriaの改訂を受け日本の実情に即した改訂を実施

 米国のBeers Criteriaは改訂を重ね現在は2019年版3)が発表されている.この改訂では,学際的な専門家パネルが,前回の改訂(2015年)以降に公開されたエビデンスをレビューし,新しい基準を追加する必要があるか,既存の基準を削除するか,推奨事項,根拠,エビデンスのレベル,推奨の強度,といった項目を変更する必要があるかを判断している.
 2019年版は画期的な内容であるものの,本邦の患者にそのまま適応はできない.医療は各国の社会制度,文化,生活様式などに左右され,患者も体格差や遺伝子(体質)などに外国人と大きな差異があるからだ.科学的な判断が最優先されるべきだが,現実にはさまざまな要素が反映され,国の医療事情に沿った形で医薬品が選択されて薬物治療が行われる.そのため米国の基準であれ西欧の基準であれ,医薬品の使用基準をそのまま適用することはできない.そこで私たちは,Beers Criteriaの2019年版を参考にしつつ,本邦で使用可能な医薬品,現実的に臨床現場になじむ基準値,医療介護現場での使われ方などを考慮し,本邦の高齢者における安全安心な薬物治療の実践に役立つ基準を独自に開発した.
 こうした経緯から本書は,本邦の医師,薬剤師をはじめ医療者らが実際の現場で円滑に活用できる基準(医薬品リスト)を示したオリジナル書籍と位置付けられる.
 大幅な改訂例を紹介したい.例えば第6章は,本邦の現実の医薬品の使用実態に焦点を当てて不適切な医薬品使用を回避すべき点を解説し,本書の独自性を最も表している.この章で扱っている抗認知症薬は,その出現に関して言えば患者およびその家族などには朗報であった.しかしその一方で,処方のしやすさや専門医の関与を必ずしも求めないなどの理由から漫然投与や非適応使用が問題となっている.また欧米にはない漢方薬の成分重複や過剰投与は本邦における独自の問題であり,同じく第6章では,それについて解説している.  施設入居の患者に対する薬物治療が近年急増し,医師や薬剤師が関わらない日常的な投与も数多く行われる現実がある.どのように対応すべきかにも各章で言及している.
 少子高齢化が進展する本邦における医薬品の使用に関するテーマは大きな変革期を迎えている.これまでの,国民皆保険における出来高払い制度,保険者による標準的な薬物治療推進への不介入(チェック機能不備),薬剤師の薬学的管理の機能不全などにより,例えば東京都に居住する75歳以上の後期高齢者では6割超が「5種類以上の薬剤」を内服しているとする調査論文4)が示すように,ポリファーマシーや不適切処方が蔓延している現状がある.世界と比較した統計量5)では,国民医療費の薬剤費に占める割合は20%近く米国や英国の2倍程度に至っている.こうした憂うべき事実は,本邦で医薬品の使用に関して医師,薬剤師,看護師,自治体,保険者,政府,その他の関係者が真摯に検討を行わず放置してきたからであろう.深刻な状況を呈する中,ようやく近年には政府も検討委員会を立ち上げガイドライン6)を策定し,また日本医師会も医薬品の適正使用の手引書7)などを発行した.国内の医学雑誌や書籍でもポリファーマシーや不適切な処方をテーマにした著作物が編まれている.こうした動きは,本邦における医薬品の使用に関する反省と改革が胎動し始めていることを表している.パイオニア的な存在であった前書の改訂版である本書が,改革の黎明期に発刊される意義は計りしれないほど大きい.

C 日本版ビアーズ基準の概要

a.Beers Criteriaとは

 本書の原型は欧米で活用されている「高齢者に不適切な可能性のある薬剤処方(Beers Criteria)」である.このBeers Criteriaとは,端的に言えば,高齢者には処方を避けるのが望ましいと判断される代表的な薬剤が掲載された一覧表のことである.Beers Criteriaに掲載された薬剤は,故Mark H. Beers博士のリーダーシップの下に画期的な方法論に基づいて米国内の臨床医らに選考を依頼して選択されたものである.したがって,これらの薬剤をそのまま本邦に適用するならば,国内未発売薬剤の存在や服用量の相違などさまざまな問題が生じてしまうため,本邦の医療事情に合わせた日本版の開発が必要と考えられた.
 開発の方法はBeers Criteriaの方法論に従った.もし方法論が異なり,例えばアンケートを実施して薬剤を決める,学会の重鎮が決めるなどという方法が取られるならば,それはBeers Criteriaの日本版ではなくなる.またアンケートなどによる方法は薬剤の選考を恣意的なものにしてしまう可能性がある.「高齢者に処方を避けるのが望ましい薬剤」の選考は科学的に行われなければならず,今回の改訂版では妥当性と論理性と透明性を有するBeers Criteriaの方法論に則って行われた.
 市販後薬剤における薬剤疫学の特徴として,① 大規模な調査(市販前における薬剤は,効能や副作用など頻繁な薬剤関連健康事象について多くの場合すでに評価がなされている.したがって,市販後はまれな事象の検討が中心になり,研究の規模を非常に大きくせざるをえない),② 長期間の調査(新薬とは違って,長期的な作用,遅発性・潜伏性の薬剤関連健康事象の検討が要請される),③ 膨大な費用(上記の理由により市販後の薬剤疫学調査には膨大な費用が必要となる)などがある.理想は「市販後の薬剤疫学調査結果(エビデンス)に基づいた薬剤処方」であるが,この3つに代表される困難な課題があるため,そうしたエビデンスを拠り所にすることは非常に難しい.ハイリスク薬剤や新薬ならば論文や副作用報告などにより危険性のエビデンスは比較的得やすいが,プライマリ・ケアレベルの薬剤を対象にした場合,加えて高齢者という複雑な病態生理,千差万別の生活環境を有する人々を対象にした薬剤疫学からのエビデンスの探索となると,現実問題として不可能に近い.
 では,エビデンスが得られなければ,高齢者の薬剤処方の問題をこれまでどおりに放置するのか,恣意的な方法による指針を使用するのか.Beers博士は,この問題に果敢に挑戦し,独創的な方法論に基づいたエキスパート・コンセンサスにより高齢者に不適切な薬剤を決めていった.

b.定量評価によるコンセンサス

 Beers Criteriaは,薬剤が処方される際に,① 潜在的な有害事象を対象にしているため,実際に起こった有害事象を対象にしていない,② 患者にとって「有害となる可能性」と「有益となる可能性」を比較して前者が後者を上回り,かつ他に代替できる薬剤がある場合には,それは潜在的に不適切な薬剤処方(potentially inappropriate medication:PIM)とする,という原則をもつ.  日本版ビアーズ基準を開発する際は,基本的にこの原則に基づいて行われた.今回の改訂版では,7名の専門家からなる薬剤の選考委員会が設置され,候補薬剤について「高齢者に不適切な薬剤処方」と判断するか否かについて意見を出し合い,議論しながら意見を収斂させ,専門家のコンセンサスを得ていく方法論,すなわちデルファイ法に従い,専門家委員会の委員らのコンセンサスを得ることによりPIMが決められた.  簡単に選考方法を説明すると,専門家委員たちに「高齢者に避けるのが望ましい薬剤」か否かについて評価を依頼した.例えば,「A薬は使用を避けるのが望ましい」という記述に対して,回答者は「1.強く同意する 2.同意する 3.わからない 4.同意しない 5.強く異議を唱える 0.意見表明はできない」から1つを回答する.今回の専門家委員の人数は7名で,デルファイ法により意見を交わしながら,リッカートスケールの点数付けで薬剤を判断していった.  計算方法は質問票における薬剤の質問のそれぞれについて,リッカートスケールの評点の平均値および対応する95%信頼区間(CI)を算出した.95%CIの上限が3未満の場合に,その記述内容を今回の基準に採用した.記述または投与に関する質問の95%CIの下限が3を上回った場合は今回の基準から除外した.95%CIに3が含まれる記述は,専門家委員の会議に検討議題として提示され,さらに採用不採用の議論がされた.  すなわち,日本版ビアーズ基準は「エビデンス」ではなく7名の専門家委員会による「コンセンサス」によって選択された薬剤リストである.ここで説明したように,方法論に恣意的な点はまったくなく,妥当性と論理性と透明性を備えた科学的な方法論と考えている.

  • 参考文献
  •     1)    今井博久, Mark H. Beers, 他:高齢患者における不適切な薬剤処方の基準—Beers Criteriaの日本版の開発.日医師会誌 137:84-91, 2008
  •     2)    厚生労働省:令和元年社会医療診療行為別統計.2019
  •     3)    By the 2019 American Geriatrics Society Beers Criteria Update Expert Panel:American Geriatrics Society 2019 Updated AGS Beers Criteria for Potentially Inappropriate Medication Use in Older Adults. J Am Geriatr Soc 67(4):674-694, 2019 [PMID:30693946]
  •     4)    Ishizaki T, et al:Drug prescription patterns and factors associated with polypharmacy in over one million older adults in Tokyo. Geriatr Gerontol Int 20:304-311, 2020 [PMID:32048453]
  •     5)    OECD Data. Pharmaceutical spending.
    https://data.oecd.org/healthres/pharmaceutical-spending.htm
  •     6)    厚生労働省:高齢者の医薬品適正使用の指針(総論編).2018
    https://www.mhlw.go.jp/content/11121000/kourei-tekisei_web.pdf
  •     7)    日本医師会:超高齢社会におけるかかりつけ医の適正処方の手引き.2017 https://www.med.or.jp/doctor/sien/s_sien/008610.html
  •  
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高齢患者の薬物治療をアップデート!米国Beers Criteriaの日本版

<内容紹介>米国Beers Criteriaの日本版が、最新の医薬品情報を盛り込み初版から10年ぶりに改訂した。超高齢社会の今、高齢者への適切な薬剤処方の知識は診療科を問わず不可欠になっている。プライマリ・ケア領域の医師・薬剤師を対象に、高齢者のコモンな内科疾患から、腎機能低下時、メンタルヘルスまでカバーし、高齢者の薬物治療をアップデートできる内容に大幅改訂。医薬品使用時の重篤度と判定理由を示し、代替薬の使用方法や、やむを得ず使用する際の注意点など、診療場面で判断に迷うポイントを厚く解説している。

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