医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部俊子

2024.07.09 医学界新聞(通常号):第3563号より

 自然に囲まれた穏やかな場所,鳥はさえずり,夫婦と子どもたちが川遊びをして,休日を過ごしている。

 翌朝,家族は庭で父にサプライズの誕生日プレゼントを披露する。3人乗りのボートだ。今日も空は青く,子どもたちは学校へ,父は仕事に出かけて行く。

 母は家で女たちと服の山から自分が選んだ服について談笑する。同じ頃,父は家に客を招き,仕事について打ち合わせる。彼らがめざすのは,二つの焼却炉を稼働させ,効率よく“荷”を焼却することだ。

 父の誕生日を祝うため,軍服を着た男たちが邸宅に集まってきた。彼らは司令官に仕えることを光栄だと言い,固い握手を交わす。

 陽が落ち,今日も一日が終わろうとしている。子どもたちはベッドに入り,誰のものかわからない歯で遊んでいる。寝室では夫婦が語り合い笑い声が絶えない。

 彼らの家の庭には壁があり,その向こうには同じ建物が規則正しく並んでいる。穏やかに時間が過ぎていく邸宅の壁の向こうに並ぶ建物からは煙が上がり,時おり銃声と叫び声が聞こえる。しかしそれらの音に誰も関心を示さない。女たちが談笑しながら手にしている服はかつてユダヤ人のものだった。規則正しく並んでいる建物はアウシュビッツ強制収容所である。ルドルフ・ヘス(アウシュビッツ強制収容所所長)は殺戮の効率化に邁進し,その妻ヘートヴィヒは収奪によって得られた衣類を自慢する。昼夜を問わずに聞こえる怒声,叫び声,銃声,そして立ち昇る煙。川を流れる灰を象徴する不協和音と光の明減は,観客の心をわしづかみにし,かき乱す。

 ヘートヴィヒは,自身の母を邸宅に呼び寄せ,庭を案内する。彼女が設計し,植栽し,プールや温室まで設置した楽園のような庭は,健康で幸せな,夢にみた暮らしの象徴であった。

 その庭で,ヘスは妻に転属が決まったこ...

この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook