医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部俊子

2024.06.11 医学界新聞(通常号):第3562号より

 「コロナ」と書いて「コドク」と読む。2019年12月,悪性リンパ腫と診断されて4か月半の入院を経験した笠井信輔氏(アナウンサー)は,雑誌『看護』(2023年9月号)のコラム欄「生きるということ」の冒頭に書いている。入院当初は大勢の友人,知人が見舞いに来てくれたけれど残りの3か月半はコロナのまん延により家族ですらほとんど見舞いに来ることができず,厳しい抗がん薬治療の中で,孤独の苦痛は大変なものだった。その孤独を救ったのが,病棟の22人の看護師たちであったという。彼は看護師たちを「優しさで孤独を癒す白衣の天使」とたたえた。

 さらに彼は,「私が入院した病院の看護師さんたちは“天使以上の存在”だった」として,その根拠となった経験を記している。それらを要約すると,まず,抗がん薬の5日間連続投与が行われる6クールの中で起こるさまざまな副作用の症状に精通していて的確な処置をしてくれたこと,眠れず,痛みやむかつきで苦しむ夜には,温かいタオルをお腹に当ててくれたり,腰をもんでくれたり,薬をもってきたりしてくれたこと,深夜に大量失禁をしてしまった日,下半身はずぶぬれの状態で恥を忍んでナースコールを押し,恥ずかしさが頂点に達した次の瞬間,若い看護師Hさんがやって来て,「よかったですね,泌尿器の調子が戻ってきたんですね」と声をかけてくれたこと,などを挙げている。

 彼は,こうした体験から,夜間に医師は不要,看護師がいればそれでいいと感じたことや,さまざまな副作用への対応は,優しさだけでは不十分であり,看護師は抗がん薬の豊富な知識が求められていることを身をもって知ったという。また,おねしょをして褒められたのは人生で初めてとした上でこうも述べる。あの時に,「大丈夫ですよ,よくあることですから」では,「普通の天使」である。しかし,排尿障害で尿が出にくいことに苦しむ私の状態を的確につかんでいたからこその反応であり,「病気がよくなっている証拠だったのだと私の心は一気に軽くなり,前に進む気持ちが強くなりました」と記している。

 先日,笠井さんの看護体験をもとに看護を考えようという企画があり,4人の看護師が集まった。笠井さんは前述した体験をわれわれに紹介してくださり,そこでの看護師はまさに「白衣の天使」であったと話された。彼が口にする「白衣の天使」は,集まったわれわれへの最上級の賛辞であった。

 しかしながら,「われわれ」は「白衣の天使」を手放しで受け入れなかった。その奇妙な雰囲気を察知した笠井さんの反応は早かった。「白衣の天使」と言われることを,看護師たちは歓迎していないのだと。

 『超人ナイチンゲール』(栗原康著,医学書院,2024年)の第5章のタイトルは「白衣じゃねえよ,黒衣だよ」である。そこには以下のように記されている。

 

ナイチンゲールといえば,ランプというイメージがうまれる。「ランプをもったレディ」。そのすがたが天使っぽいからか。ついたあだ名は「クリミアの天使」。のちに看護師といえば「白衣の天使」になっていく。しかしこの「天使」には,あきらかに男をやさしくつつんでくれる女性というニュアンスがこめられている。夫に従順で,なにがあっても無償の愛で支えてくれる「家庭の天使」。それが女性らしさであるかのようだ。家父長制かよ。だけど,ナイチンゲールはちがう。そもそも服装が白衣ではない。黒衣なのだ。まるで死者たちを弔っているかのように。あるいは,黒はなにものにも染まらない。(中略)あらゆる支配を破壊せよ。ハンマーをもった天使。白衣じゃねえよ,黒衣だよ。

 

 話を戻そう。

 笠井さんがわれわれに感謝の意をこめて発した「白衣の天使」は,われわれの認識を別の文脈に向かわせることになった。彼が入院中に体験した,看護師たちの対応は看護学の知識と技術に裏づけされた看護ケアなのである。それは「白衣の天使」などといった象徴をもち出す必要はないのである。

 われわれが到達した結論はこうである。つまり世の中の人にもっと看護のほんとうの姿を知ってもらわねばならない。看護とは何かが十分に知れわたっていないために,あるいは医師の後ろにそっと立っている人というイメージが強いために,ほんとうの看護を体験すると,その偉大さに圧倒されてしまい,それらが「白衣の天使」という言葉に収束されてしまうのである。

 そこで私は,今から22年前に手にした『沈黙から発言へ――ナースが知っていること,公衆に伝えるべきこと』(バーニス・ブレッシュ/スザンヌ・ゴードン著,早野真佐子訳,日本看護協会出版会,2002年)を再び開くことになった。第4章のタイトルは「あなたの仕事を世の中の人々に伝えよう」である。そこにはこうある。

 

看護について公衆に語ることは,それほど特別な努力を必要とするわけではない。専門的な広報の知識を必要とするわけでもない。日常生活の中で人々を啓発していけばいいのだ。まず,身近なところで看護を語ることから始めよう。その経験を積んでおけば,マスコミや政治家に向けても語りたいと考えるようになった時に,必ず役に立つはずだ。

 

 そして,われわれは,次のステップとして,『実は看護師は白衣の天使ではなかった』という本を書こうではないかということにして,意気揚々と解散したのである。


開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook