医学界新聞

看護のアジェンダ

井部俊子

2023.02.27 週刊医学界新聞(看護号):第3507号より

 「彼女の置かれた状況は,その美しさ故により悲劇的に見えた。彼女には外見的なダメージがほとんどなかった。脳室ドレーンが頭髪の下からくねり出し,排液が容器の中に溜まっていた。胸部は設定どおり1分間に14回上下し,点滴のラインはガウンの下に隠され,端末は中心静脈に繋がっていた。バイタルサインはモニター上,問題がなかった」。

 彼女は高速道路で何回か宙返りした車に乗っていて脳に負傷を負った。彼女には3歳と0歳の幼い子どもがいた。海外に派遣されていた軍人の夫は,軍服に身を包んだまま,深夜に到着した。彼女に付き添いはじめて5日目の晩,彼はどうしたらよいかと私に訊いた(筆者註:「私」はこのエッセイを書いたナースである。以下同)。

 私は,彼女の思いを大切にして決断してみたらと提案した。彼はケアを止める決断をした。私は,抜管し,生命維持装置を取り去り,ご家族を招き入れた。彼女の呼吸が徐々に遅くなり,ついに停止した。私は扉口に立ち,亡くなるのを見守った。夫は最後に部屋を出て行くときに私を抱きしめ,妻もあなたに感謝しているはずですと,私の気持ちを思いやってくれた〔Amanda L Richmond(BSN,RN-BC)『最高に困難な決断』〕。

 「私は,クラウス氏が心臓疾患ICUに入院した後,水曜日の午後9時にクラウス家の人々に会うことになった。彼は年配の禿頭の方で,淡いブルーの瞳をもち,疲れ,おびえているように見えた。『長い夜になりましたね』。酸素チューブを調整し,心機能監視装置のリードを取りつけながら話しかけた」。

 ほっそりした背の低い,赤みがかったブロンドヘアの妻は,病室に入ると彼の手を取り,両手で包み,額にキスをして「私はここに留まります」と彼に言った。それからクラウス夫人は夫のそばを離れなかった。この病棟は面会時間が厳しく,家族は家に帰ることになっていた。クラウス夫人は,シャワーも浴びず睡眠も取らず,食事も取っていない。このままだと倒れてしまうので帰宅して休むようにと勧めた。彼女は私の腕に手を置き,ゆっくり自分の左の袖を捲り上げた。彼女の腕にタトゥーで番号が彫られていた。彼女は,私たちが離れ離れだったのはアウシュビッツに居た時だけであり,「私たちは二度と離れないと約束した」と言って袖を下ろした。私は,ナースステーションで彼らの話を伝え,クラウス夫人がそうできるようにした〔Dawne De Voe Olbrych(MSN, RN, CNS)『離れられない』〕。

 「生徒が1500人の活気ある都会の高校に勤務するただ1人のヘルスケア提供者には,やりがいのある仕事が毎日ある。1日に50人から80人の,鎌状赤血球貧血から糖尿病,発作障害,妊娠,外傷,詐病に至るまであらゆることを看ている。マーカスが初めてここにやって来た時,私は机の前に座り,事務処理の遅れを取り戻そうとしていた。彼は扉越しに立ってこう尋ねた。『バンドエイドをもらえますか?』。そうした要求は珍しいことではないので,1つ渡して仕事に戻った」。

 彼の上腕には汚れた汗まみれのぼろぼろの包帯が巻かれていた。銃で撃たれた傷であった。救急センターで治療を受け,抗生物質の処方箋を持っていた。15歳の少年には「必要なときに助けて」と連絡できる人が誰もいなかった。4か月後,マーカスは母親との関係を取り戻し,別の地区の学校に行こうとしていた。銃の傷は完全に治っていた。マーカスのような生徒が毎日やって来る。彼らは宿題を仕上げようなんて思ってもいない。彼らは生き抜くことを考えている。私ができることは,彼らがバンドエイドを求めてきた時にここに居るのがせいぜいかもしれない〔Marie F. Kersher(BEd, RN, coordinated by Veneta Masson, MA, RN)『バンドエイドもらえますか?』〕。

 「私の看護師免許は書類の山の一番上にある。自分の免許を活かし続けるかどうか迷った。直ぐに結論が出た。長い間患者さんから離れていたが,免許があることは未だ重要だった。臨床を離れてから,看護師や保健師教育に携わり,学部長を務め,一時はこれらすべてを担った。しかし,肩書きはどうであれ,いつも看護師として生きてきた」。

 ナースマネジャーや専門看護師の仕事の意義や功を認めてもらう経営関連データを掘り起こすとき,私はデータや,データの解釈を通して,患者や患者ケアの擁護者となった。財務課の同僚が私を「元看護師さん」と呼ぶが,「私は年寄りだけど現役よ」と明言する〔Donna Diers(PhD, RN, FAAN)『私は看護師?』〕。

 ここに引用した4編のエッセイは,松谷美和子訳『看護体験のリフレクション――看護の神髄(art & science)を語り,活力を与える80のストーリー』(American Journal of Nursing編,2022年8月発行)の一部である。

 この本は私にとってこれまでにない読書体験をもたらした。一編を読み終えるたびに,鼻の奥がつんとして,次の章に移るのに自分の感情の処理をしなければならなかった。いつものようにどんどん読み進めるのではなく,残りの頁が少なくなっていくのを惜しんだ。

 訳者は,大学院教育において大学院生が新人看護師を理解したり看護の倫理観を話し合ったりできるような具体的な事例がないだろうかと探し始め,このエッセイ本にたどり着いたと「訳者はしがき」で述べている。そして,「奇しくも,これは,訳者の仕事としては最後のものとなります。看護職をめざす学生や大学院生と共に自己を啓発する仕事に就いてきた者のライフワークとしてこの訳書をお届けしたい」と。

 私の同僚であった松谷美和子さんは,2020年2月に膵がん罹患が判明したあと,外来での化学療法と並行して大学などの仕事をこなしつつ,翻訳に没頭した。翻訳出版の許諾が得られたのは2022年5月10日であった。訳者は体調の優れない中,最後の見直しを行い,出版の調整,著者校正などを夫に託し,6月10日に自宅で最期の日を迎えた。日本語版の上梓は2か月後の8月10日であった。この経緯を,添えられていた手紙で私は知った(本書は日本語版の制作許諾を経て,販売を目的としない限定部数で出版されている)。

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