看護のアジェンダ
[第216回] 看護部長の剣幕
連載 井部俊子
2022.12.12 週刊医学界新聞(看護号):第3497号より
「二十数年間勤めた病院を退職する決意をしました。先週,上司に退職願いを伝えましたら大変な引き止めにあいました。希望退職日は3か月後,認知症の母の介護と,それを機に働き方を変え新たな場で働いていきたいというのが理由です。しかし,看護部長はものすごい剣幕でした。(中略)やはり看護部長としての立場ですと,退職願いを受け入れることはなかなか難しいことなのでしょうか」という相談メールが,2022年11月初めに届いた。
年度末にかけて,退職希望者と上司のやりとりが随所で行われる季節である。
「看護部長との話し合いではすぐに許可がおりず,再び面談となりました。(中略)なぜ退職するのか,自分の目的を俯瞰して,看護部長との次の面談ではこれをより意識して伝えようと思います」と2回目のメールにあった。私は,「方向性を確認して,2回目の面談に臨むとよいと思います。応援しています」と返信した。
二十数年間勤務した病院を辞めようと考えて上司に申し出ることは,当人にとって並々ならぬ決断であろうことは容易に想像できる。後任のことも考えて退職の時期は3か月後としており,おそらく就業規則などをわきまえてのことであろう。それなのに,上司は「ものすごい剣幕で」退職を阻止しようとした様子である。この職場を辞さなければならない当人の事情や思いに,看護部長は耳を傾ける余裕がないようである。長年,共にやってきた同僚であり,仕事ができる者ほど「失いたくない」という気持ちが強く作用すると,自らの経験からもうなずける。
しかし,部下の退職を阻止しようとすればするほど,相手はほんのわずか残っていた“迷い”を切り替えて,“絶対に辞めよう”とかたくなになる。そして二度と決して戻らないと心に誓う。この時点で持っていた組織への愛着を消しゴムで消してしまうのではないかと,私は考えるようになった。
退職希望者への対応における一流,二流,三流
『社長の一流,二流,三流』(明日香出版社,2019年)を著した上野光夫は,「退職希望者への対応」について興味深い提案をしている。「三流は,辞める人に対して悪態をつき,二流は,優秀な人は引き留めようとし,一流は,辞める人にはエールを送る」というのである。
説明をみてみよう。ある社長は,退職希望を申し出た本人に対して「せっかく手塩にかけて育ててやったのに辞めるとは恩知らずめ」と言ったところ反感を買い,退職後に提訴されたという例を挙げている。本人でなくても,他の社員に「辞めたあいつが悪い」などと言おうものなら,それを聞かされた人は社長を嫌うことになる。それゆえ,「社員が退職するときに発する言葉には,細心の注意が不可欠」であると述べている。さらに,優秀な人が退職願いを出してきたときに慰留する社長の気持ちはわかるが,「たいていの場合,本人の意思は固いので,覆すことは困難」であることや,給料のアップや重要なポストを用意するなどして引き留めに成功したとしても,本人が「残ってやったんだから」という気持ちになり,社長の立場が弱くなるかもしれないという(このような引き留め策は,看護の業界では稀有である)。
そして,一流の社長は「社員が辞めるときに無理に引き留めることはありません」と断言する。人材の流出は会社の新陳代謝と前向きに考えて,辞めていく社員にはこれまでの貢献に対する感謝を述べて,新天地で活躍できるようにエールを送るというのである。その際に「残ってほしい気持ちがある」というニュアンスを少しだけ出すところがミソであるとし,全く慰留の言葉がないと,本人は辞めてほしかったのかと悲しく思うかもしれないという。中小企業では,一度退職しても再び帰ってくる「出戻り社員」が活躍することがあり,転職した後に「やはりあの会社がよかった」と思う。
いずれにしても「退職する社員には,気持ちよく辞めてもらうことが非常に重要」であると強調している。
看護部長の「対象喪失」
前述した相談メールからおよそ2週間後,返信が来た。「看護部長と(2回目の)面談をし,自分の意思をお伝えし無事に退職が決定いたしました。面談の方向性と,自分のこれからの道の方向性を確認することができました。組織の中に未来が見いだせなくなったことが,新たな進路を探る機会になり,母の介護と重なりましたが,来年は大学院に進学することにいたしました! がんばります」とある。
私は,10年間の看護部長経験から,多くの「退職者面接」を行ってきた。初期の頃は,退職希望者との面接に肯定的になれず,自分の中に怒りがわいてきたこともあった。相談メールにある「ものすごい剣幕」の看護部長の気持ちがよくわかる。平静でいられない年末・年始を過ごすこともあった。いわゆる「対象喪失」といった心理状態である。
看護部長としてこのしんどい対象喪失を何度も経験しなければならないことに打ちのめされそうになったこともある。そうした心理状態から這い上がるようにしてたどり着いた境地が,「一流の社長」の考え方である。つまり,退職者にエールを送り,機会があったらまた戻って来てほしいというメッセージを,退職者の面接で力強く伝えることである。
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