医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.07.27



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第187回〉
ジヒキシャ

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 2020年6月のある日,私は職場の人間関係上の対応について助言を求めるために,元同僚の保坂隆医師(保坂サイコオンコロジー・クリニック院長)を訪ねた。「それはあなたが得意とするところでしょ」と彼は言ったが,ある意味,「それでいいのです」という保証が欲しかったのかもしれない。

敵対者に対する怒りを調伏する方法

 保坂先生はひととおり私の“来談理由”を聞いたあと,「ジヒキシャ」という考え方が役に立つと言った。ジヒキシャという響きが珍しく,シンブンキシャの一種なのかと思ったが,もちろんそれは冗談である。ジヒキシャは「慈悲喜捨」と書くのだと彼は説明し,用語の解説をしたコピーを私に差し出した1)。そのコピーには次のように記されている。

 「慈」は,相手の幸福や健康や安楽を願う心であり,その本質は怒りを離れた心である。いかなる怒りも存在しない瞬間には,相手の存在をそのままに受容することが可能となるからである。(中略)もしも敵対者に対して怒りが浮かんできた場合には,容易に慈しみの念を抱ける人に戻って心を調える。敵対者に対する怒りを調伏する方法としては,①相手が怒りによって悪行をなしてしまい自らその報いを受ける苦しみを考えてみる,②相手のどんなところが怒りを誘うのかを考察する,③相手の感情の責任を取る必要はないことを思う,④自分と相手に似たところがないかを考える,⑤長い輪廻転生のなかで親子あるいは家族として生まれ合わせたことがあるかもしれないと想像してみるなどの工夫をしてみる。それでもだめな場合には,しばらく休息して距離をとる。(これがいい!)

 続けて悲喜捨の説明に入る。

 「悲」は,相手の苦しみや痛みが和らぐように祈り願う心。
 「喜」は,相手の成功や幸福を共に喜びそれらが長く続くように祈り願う心。
 「捨」は,相手の人生の浮き沈みを,自業自得の視点から,適切な距離から見守る心,とある。この慈悲喜捨という四つの心の保ち方を四無量心(しむりょうしん)と呼び,日本語の慈悲は四無量心の最初の二つを合わせた呼び方とされる。

 思い起こしてみると,私は「慈悲喜捨」にすでに出合っていた。『3つの習慣で私が変わる「慈悲喜捨」「健全思考」「レジリエンス」』(保坂隆・川畑のぶこ・大下大圓著,日本看護協会出版会)を私は出版直後に読んでいる。正確に言うと,読んだ気配がある。

 私は本を読む時のマイルールとして,できるだけ居住まいを正し,丁寧に表紙をめくり,購入年月日と名前を(鉛筆で)記入し,そして「はじめに」を読み,目次を確認する。これが本文に入るまでの儀式である。余談であるが,この儀式を終えて目下とりつかれているのは,『沢木耕太郎セッションズ〈訊いて,聴く〉』(岩波書店)である。現在4巻に突入している。

過剰な共感から来る「共感疲労」

 本論に戻そう。

 保坂先生との面談から帰宅し,自分の本立...

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