医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.05.25



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第185回〉
学長はかく語りき

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 大学人にとって2019年度の終わりから2020年度の始まりは,大学の歴史上後世まで語り継がれる年度になろう。卒業式は取りやめ,入学式も中止となった。皆が集い,口角泡をとばして議論することに価値を置いていた教育の場が閉鎖された。新型コロナウイルス感染拡大を防ぐためである。

 世界の感染者はおよそ417万人で死者は28万人以上,国内の感染者はおよそ1万5千人で死者は600人以上(本稿執筆5月12日時点)と無機質に報じられているが,この数字の一つひとつに悲劇があり心が痛む。東京都の小池百合子知事は大型連休明けまでを「ステイホーム週間」と名付けた。

 こうした非常時に大学のトップはどのようなメッセージを発しているのであろうか。日本看護系大学協議会283加盟校のウェブサイトをサーチして,メッセージ性のある「学長のメッセージ」56件を読んだ。学長のメッセージには,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大がわれわれに「何をもたらしているか」,われわれは「何をなすべきか」,さらに「何を学ぶべきか」に言及している。

目を凝らし耳を澄ませ,世界が難局を克服する過程に学べ

 瀬山敏雄学長(安田女子大学)のメッセージはやわらかである。「私は,今,花弁だけになった桜の木を遠く眺めています。本来ならば,満開の桜に彩られたキャンパスで,皆様とともに春学期を出発するはずでしたが,かないませんでした。あなた方はどの様な思いで今を過ごしているのだろう。どの様な気持ちでいるのだろう。どんなに不安かと思うと心静かにはおれません。しかし,目の前の困難は,私たちにそれを乗り越える強さと自信をあたえてくれるでしょう。(中略)新型コロナウイルス流行は必ず沈静化します。このキャンパスに再びにぎやかな話声と笑顔が戻ってくることを信じて,私は待っています」。

 西尾章治郎総長(大阪大学)は,大学で学ぶことの意義について,世界には未だ「わからないこと」がたくさんあるのだという事実を知ることであるとしている。社会を混乱させているウイルスは人類の歴史と切り離すことができず,有史以来,天然痘,インフルエンザなどさまざまなウイルスとの戦いがあったことを伝えている。人類がウイルスをその目で確実にとらえるには,1931年の電子顕微鏡の発明を待たなければならず,この1931年は,大阪大学が大阪帝国大学として誕生した年でもあるという。そして,メッセージはこう締めくくられる。「皆さんが教室の片隅で,あるいは日の光が降り注ぐベンチで,目を輝かせながら,友人と語り合っている。その顔には,知的興奮を隠しきれない笑顔が満ち溢れている。そのような光景に出会える日々を楽しみにしております」。

 大友邦学長(国際医療福祉大学)は,「100年に1度の危機」とされるCOVID-19の感染拡大パンデミックに遭遇しているなか,「今,伝えたいこと」を3項目示している。1つ目は,「自分の身をしっかりと守ろう」である。緊急事態宣言が発出されクラスターが発生している状況下で,将来医療人としてのキャリアを積んでいく学生に,強い自覚に基づく自己コントロールを求めている。2つ目は,同級生・先輩・後輩・教官との「ネットワークで難局を克服しよう」として,次のような率直なメッセージを伝える。「新年度の授業は開始が通常より2週あまり遅れるだけでなく,いわゆる“3密”を防ぐためにオンライン形式が広く導入される予定です。また様々な現場での実習も変則的になる可能性が高くなっています。皆さんにとって初めての経験であるのと同じように,多くの教官にとっても初めての経験です。最善は尽くしますが,当初は不完全な部分があるでしょうし,皆さんを100%満足させるのは難しいと考えています。この点については,あらかじめお詫びしておきます」。さらにこうつけ加える。「通常の対面授業に比べて,ひょっとしたら“さぼりやすい”かもしれませんが,その“つけ”は皆さんご自身に跳ね返ってきてしまいます。毎日の積み重ねを怠らないように,ぜひ根気よく努力してください」。3つ目は,1918年から19年にかけて1億人近い死者を出したとされるスペインインフルエンザに匹敵するダメージを人類に与える可能性があるとされる今回のCOVID-19について,感染症・公衆衛生学のみならず社会学,経済学,政治学などさまざまな分野からの情報に「目を凝らし,耳を澄ませ」,世界がこの難局に立ち向かい,克服していく過程から学ぶことを勧めている。

終息の向こうにある確かな希望

 長谷山彰塾長(慶應義塾大学)は,新入生に対して「誤った情報に惑わされてパニックに陥ることなく,何が正しい情報であるかを見極め,適切に行動する。このことは課題の本質を見極め解決法を創造する学問の作法にも通じる」と述べる。そして,1946年4月の入学式での式辞のなかで述べられた「冷たい学校」の一説を取り上げて,「慶應義塾に学ぶこと――それは一個の大人として,紳士として扱われることを意味した――に大きな誇りと喜びを持ち続けることが出来た」という当時の塾生の述懐を紹介した。

 堀内成子学長(聖路加国際大学)のメッセージは「未来の保健医療従事者となる聖路加国際大学の学生へ」と題する。あなたは,今健康かもしれないけれど,目に見えないウイルスを持っているかもしれない。誰かに渡してその人を死に追いやるかもしれない。将来の医療従事者となる人の行動は,Do No HARM! これを忘れてはならない。あなたにできることは“家で過ごす”(Stay Home !)ことである。そして「この病に苦しんでいる患者さんのこと」や,「COVID-19の最前線で治療にあたっている保健医療従事者のこと」を想像するように促す。さらに,社会には医療従事者に対する感謝を表す運動がある一方,病院や地域で働く保健医療従事者への誹謗中傷や不条理な要求があることにも言及し,あなたは何を考えどう行動するのかを問う。そして世界中の人々とともに,「皆さんの先輩や同窓生も昼夜を問わずCOVID-19の治療とケアに献身しています。あなたも同じ聖路加に学ぶものとして,チームとして存在してください。世界で今何が起きているのかを看護・公衆衛生の学生として考え,自分なりの答えのもとで行動し,今しかできない学びに向き合うことを願います」。そして「Do No HARM!を忘れてはなりません」と結んだ。

 学長メッセージを記述する作業によって私は,COVID-19の終息の向こうにある確かな希望を感じることができた。このところ私を覆っていた憂うつが,少し晴れた瞬間である。

つづく

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