看護のアジェンダ
[第184回] 2つの要諦
連載 井部 俊子
2020.04.27
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部 俊子 長野保健医療大学教授 聖路加国際大学名誉教授 |
(前回よりつづく)
長野への北陸新幹線通勤を始めて1年になろうとしている。新型コロナウイルスのパンデミックで,3月の車内はめっきり乗客が減った。大きなリュックを担いだ外国人観光客を見掛けなくなり,ビジネスマンも減った。私の定番の座席は3人掛けの通路側C席であるが,たいていの場合,AとBの座席は空いている。
紀行文の要諦
車内誌「トランヴェール」2020年3月号の巻頭エッセイ「旅のつばくろ」で,沢木耕太郎が初めての会津若松滞在記を載せている(毎号,私はこのエッセイを楽しみにして,文章のうまさを学んでいる)。2日間の滞在で同じ居酒屋に通ったという筆者は,山口瞳との対談を思い起こす。紀行文を書くための要諦は何かを問うた筆者に,山口はこう答えた。
第二 滞在中ひとつの店に何回も行く
第三 書く枚数を長く用意してもらう
第四 とりわけ枕の部分を長く書く
第五 書く媒体を選ぶ
「第二のひとつの店に何回も行くというのは,単に紀行文を書くための要諦というだけでなく,旅をする人にとって極めて有効な旅の“技術”である」と筆者は書いている。そして会津若松の居酒屋で,「常連を迎えるような笑顔」の女将に迎えられ,「居酒屋で酒を飲む前にカレーを注文するというわがままを許してもらった」のである。
さらに,「調理人の御主人が勧めてくれる,受け皿にたっぷりとこぼれるグラスの酒を3杯も飲むころには,もうこの店には2日ではなく2年は通っているような気分」になったという。「山口さんの第二の要諦は,こういう幸せな夜を用意してくれるものであった」と結んでいる(きりりとひきしまった文章にうっとりしている私である)。
私の3月の新幹線車中での読書に『貞観政要(じょうがんせいよう)』がある。しばらく前,夜遅くにつけたテレビでNHK「100分de名著」を放送していた。ゲストの出口治明氏が「1300年の間,読み継がれてきた帝王学」である『貞観政要』を座右の書としていると語っていたのを聞き,そのうち読もうと思っていた。それからしばらくそのことを忘れていたのだが,2020年3月15日放送のNHKスペシャル「メルトダウンZERO原発事故は防げなかったのか」の中で,869年の貞観津波が語られていた。そこで貞観に反応して,「貞観政要」が私の中に想起された。
さらに,東京駅の本屋に,私の来訪を待っていたかのように出口治明著《座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」》(角川新書,2019年)が平積みに置かれていたのを見つけ,思わず心の中で「お~」と歓声をあげて買ったという経緯である。このような経緯で私のもとにやってきた『貞観政要』を少し紹介することとしたい。
『貞観政要』に学ぶ「リーダーの要諦」
『貞観政要』は,唐の2代皇帝,太宗(たいそう)・李世民(りせいみん)の言行録である。
「貞観」とは当時の元号(西暦627~49年)であり,中国史上,最も国内が治まった時代の1つと言われている。「政要」とは政治の要諦のことである。つまり,『貞観政要』は,「貞観時代の政治のポイントをまとめた書物であり,ここには貞観という稀にみる平和な時代を築いたリーダーと,そのフォロワーたちの姿勢が明瞭に示されている」と出口氏は説明する。この書物は,後の中国の皇帝が帝王学を学ぶために愛読し,わが国でも北条政子や明治天皇が学んだという。
一方,「貞観津波」とは,平安時代の貞観11年(西暦869年)に陸奥国多賀城を襲ったとされる巨大津波である。平安時代の正史『日本三代実録』に,マグニチュード8.3以上と推定される巨大地震の記録が残る(百科辞典マイペディアの解説による)。というわけで,『貞観政要』と「貞観津波」は関連していないことが,この原稿を書くことで(私の中で)判明したわけである。
では,話を『貞観政要』に戻そう。リーダーシップ本をそれなりに読んできた私にとって,本書で印象深かったのは「李世民」という人物である。李世民を理解するには,唐の時代がどのようにして誕生し,どのような時代背景に後押しされた王朝だったのかを知る必要があるとして,出口氏は多くの頁を割いている(この部分は歴史小説としても面白い)。
李世民(598~649年)は,唐を建国した初代皇帝「李淵」の次男として生まれた。李淵の長男は,李世民に皇太子の座を奪われかねないと危惧し,四男と結託して,弟である李世民の排斥(殺害)を画策した。兄と弟の不穏な動きを察した李世民は先手を打つ。長安北門にある玄武門(げんぶもん)で兄と弟を射殺(いころ)したのである(「玄武門の変」と呼ばれる)。玄武門の変のあと,李世民は父である高祖・李淵を幽閉し実権を掌握し,28歳のときに2代皇帝として即位した。
李世民は,有能な人材を登用して能力を発揮させるとともに,彼らの諫言(目上の人の過失を指摘すること)に耳を傾け,常に自己を律していた。李世民には多くの側近がいたが,房玄齢(ぼうげんれい),杜如晦(とじょかい),魏徴(ぎちょう)の3人は優秀な重臣として李世民を補佐した。中でも魏徴は,敵方だった兄を支えていた人物で外様であったが,李世民に才能を見いだされ,側近として登用された。
「自分の首をはねたかもしれない人物でも,実力があれば殺さずに側に置く。李世民は,自分に敵対する人間であっても,その根本的な行動原理を見て,その人物を重用するかどうかを決めていた」と出口氏は書いている。さらに,太宗がリーダーとして傑出している理由は,①「権限の感覚」を持っていたこと(臣下にいったん権限を与えたら口出しをしない),②臣下の「諫言」を得たこと(欠点や過失を指摘されることを望み,喜んで聞き入れる姿勢)であり,これらは名君の2つの絶対条件とされる。
『貞観政要』の要諦は6章から成る。
第二章 「部下の小言を聞き続ける」という能力。
第三章 「いい決断」ができる人は,頭の中に「時間軸」がある。
第四章 「思いつきの指示」は部下に必ず見抜かれる。
第五章 伝家の宝刀は「抜かない」ほうが怖い。
第六章 有終の美は「自分」にかかっている。
「組織はトップ(リーダー)の器以上のことはできません。だからこそ,トップの責任は誰よりも重いのです。みなさんの周りに,魏徴はいますか」と問い掛けて本書は終わる。
(つづく)
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