医学界新聞

連載

2018.03.26



行動経済学×医療

なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?
患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。

[第8回]ナッジ 望ましい選択肢を選びやすくする仕組みや行為

平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)


前回よりつづく

緩和ケアはデフォルト設定にできないのか?

 骨転移のある再発がん患者に対しての一幕。

<シナリオA>
主治医 今後の相談をしましょう。治療と並行して緩和ケアもできますが,どうしますか?
患者 緩和ケア? 麻薬を使うのでしょう? それはイヤです。

<シナリオB>
骨転移がわかった段階で疼痛のスクリーニングが行われた。
看護師 痛みがあるそうですね。
患者 そうなんです。
看護師 骨転移のある患者さんは,よく痛みを訴えられます。なので,がんに対する治療と並行して,痛みの治療である緩和ケアも行っていくことが多いです。
患者 緩和ケア? 麻薬を使うのですよね?
看護師 必要に応じて医療用麻薬などの薬を使うこともありますが,それにより生活の質が改善するという研究結果があります。○○さんの場合も緩和ケアをしていくと良いと思うのですが,いかがですか。もし良ければ緩和ケアチームに一度診てもらうよう依頼します。
患者 そうですね……。実は昨日から痛みが強くなって困っていたんです。お願いできますか。

 シナリオAでは,医療者はデフォルトの方針を定めることなく患者の意向を尋ねています。一方でシナリオBでは,疼痛のスクリーニングをデフォルトで行い,痛みを取り除くためには緩和ケアが望ましい選択肢(デフォルト)であることを明確にしながら患者とのコミュニケーションをスタートさせています。

望ましい選択肢を「そっと促す」仕組み

 上記の2つのシナリオの違いは,前回(第3262号)紹介した「リバタリアン・パターナリズム」と,それに基づく意思決定を円滑にするための仕組みである「ナッジ(nudge)」から考えることができます1)。昨年ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらは,人々の行動を予測し,それに対して一定方向の影響を与えるように選択環境を設計すること(さまざまな仕組みや行為)を「ナッジ」と呼んでいます。ナッジは,「注意や合図のために人の横腹を特にひじでやさしく押したり,軽く突いたりすること」という意味の言葉です1)

 第3回(第3245号)で紹介した「フレーミング」や前回紹介した「デフォルト設定」もナッジの形態の一つと考えることができます。例えば,パソコンで文章作成をしていて,ウィンドウ上の閉じるボタンを押した際に,「保存しますか?」というダイアログが出てきます。保存がデフォルト設定されているので,そのままリターンキーを押した場合,そのファイルは保存されるようになっています。こうした仕組みもナッジと呼ぶことができます(保存しないという選択肢も同時に提示されます)。

終末期の意思決定にナッジが与える影響

 米国の研究で,肺がんなどの進行・再発性の胸部疾患の患者132人を対象に,デフォルト設定された選択肢が事前指示(アドバンス・ディレクティブ)の意思決定に与える影響を調査したランダム化比較試験があります2)。①症状緩和をデフォルト,②デフォルト設定なし,③延命処置をデフォルトの3種類を比較した結果,症状緩和を選択した人の割合は,①群では77%,②群では61%,③群は43%でした()。全体では57.4%がデフォルト設定どおりの選択肢を選んでいることから,デフォルト設定は特に症状緩和を選ぶ割合に大きく影響していることがわかります。この結果は,症状緩和をデフォルトとすることは妥当であると示すものだと考えられます。もちろん,患者にはデフォルトの選択肢を拒否する自由が保証されています。さらに,患者が事前指示を完了した後にデブリーフィングが行われます。そこで患者に研究の意図を伝えてもほとんどの患者は選択を変更しませんでした。フォローアップ調査では選択への満足度に3群間の有意差はなく,患者はナッジに導かれた選択肢に満足することが示されています。

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